04
冒険者組合に足を運ぶ手間が省けたので、自宅に戻った俺はさっそく義手の件に着手することにした。
先日、荒事の際に具現しているが、さすがにあの出来では駄目だろうし、この機会に精巧なものを作るのも悪くない。
まあ、右手を参考にすればいいだけだし、時間はかかるかもしれないけど、きっとそんなに難しくはないだろう…………なんて、楽観的な事を考えていた自分に莫迦と言ってやりたいくらいに、義手の制作は難航することになった。
これまでの人生であんまり機会がなかったから自覚していなかったんだけど、この魔法には画力とでもいうべきものが非常に重要だったのだ。実際に絵が上手い必要があるかどうかはともかくとして、少なくとも頭の中で詳細な映像が描けないと、望んだような形を再現できない。
そしてどうやら俺には、それが哀しくなりそうなくらいに欠けているようだった。
剣や盾みたいなシンプルなものは、それほど不恰好になる事もないんだけど、イメージする対象に曲線が入ると途端にダメになる。
というか、人の手が難しすぎるのだ。特に指のラインというか、そういうものがまったく頭の中で描けなくて、出来上がった代物はどれもこれも、とてもじゃないけど女性の手には見えなかった。
手袋でもつければ、それでも問題はないんだろうけど、それはそれで悔しいというか、これから先もっとこの魔法を上手く使っていくためにも、避けてはいけない気がするし、なんとか最低限の形くらいは整えたい。
ちょっとした意地である。
とはいえ、絵と同じで急激に上手くなるなんて事もなく、数時間ほど粘って出来上がったのは、初期のものとそれほど大差ない粗悪品ばかりだった。
「……はぁ」
否応なくため息が漏れる。
成果の見えない労力というのは気持ちを挫くものだ。あげく、まだまだ馴染んでいるとは言い難い魔法を繰り返し使っている所為か、どうも頭の方もぼんやりしてきている。
明日に支障が出たら本末転倒だし、そろそろ止めるべきなのかもしれない。
けど、なんだろう、もう少しでなにかを掴めそうな気もする。
四、五回ほど前から、具現をする瞬間、脳裏にやけに精巧な義手がちらつくようになっていたからだ。俺自身がイメージしたものとは決定的に違う、おそらくは未だ不明瞭な部分の多いレニ・ソルクラウの記憶の中にある義手。
それを掴むことが出来れば、そのまま一気に理想的な義手も手に入れる事が出来るかもしれない。
もちろん、明確な根拠はない。ただ、夢の中で何度か見た彼女は、いつだって瞬間的に魔法を顕していた。瞬間的に、細部まで拘りを感じさせる武器や防具をいくつも扱っていた。
そんなものを毎度毎度、頭の中で一から構築しているとは考えにくい。だからきっと、具現化する直前の、頭の中で完成させたものを、いつでもすぐに引き出せるようにどこかに保存している筈。
……まあ、仮にこの読みが正解だったとしても、結局それは借り物でしかないわけで、その借り物に依存する割合が増えるのはあんまり望ましくないんだけど、それでも使えるものが増える事に越したことはないし、義手の件は自分一人の問題というわけでもないのだ。
出来が悪ければ、レフレリで不味い事になるかもしれない。そうなればドールマンさんたちにも迷惑が掛かる恐れがある。
なんだか言い訳じみてるなぁ、と思わないでもないけど、とりあえず今は即物的な成果を優先することにし、俺は再び具現化の魔法を行使して――それに触れ、劇的な変化に出くわした。
左腕の肘から下に不出来な腕を創造する最中、神経なんてないその腕に無理矢理神経を繋げたみたいに、激痛と共に世界が切り替わったのだ。
痙攣している左腕。
呼吸が上手くできない身体。
じっとりと気持ち悪い汗と、夥しいほどに流れ落ちる血液。
耳鳴りがする。どうやら鼓膜も破れているようだ。
「――!」
遠くで、誰かの声が空気を揺らしている。
誰の声かは不明。ただ、それは酷く不快で、胸にドロドロとした黒い感情が込み上げてくるのがわかった。
「……本当に、邪魔にしかならない」
冷たい、どこまでも冷たい声が喉から零れる。
それは自分自身に寒気がするほどの、本心だった。
要は、早く死んでくれないかと思ったのだ。味方という名の足手纏いの死を、これ以上ないくらいに切望していた。
……あぁ、ここでようやく、状況が見えてくる。
これは、レニ・ソルクラウが左腕を失った戦いの記憶だ。その事実をなによりも雄弁に、悲鳴をあげていないのが不思議なくらいの痛みが教えてくれている。
レニはその痛みを誤魔化すように強く強く歯を食いしばりながら、左腕の出血を魔力の膜で止めて、真っ直ぐに前方に佇む影を見据えていた。
人の姿をし、天使のような片翼をもったなにか。凄まじい量と密度の魔力で身体を覆っているために、輪郭しかわからない埒外。
そんな、紛う事なき化物との距離は、大体二百メートルくらいだろうか。
場所は平原。進行を阻むものなどは何もない。
一歩あれば届く。
一呼吸あれば、殺せる。
だが、それは向こうも同じだ。先程と同じ攻め方をすれば、痛み分けで終わり。
こんなものと心中する気はないので、それは避けなければならない。
これから先、望むべきは一方的な処理だ。ついでに、周りの無能共も掃除してしまえば、全てが清々することだろう。
もはや、失った利き腕は治らないのだ。もっていかれた感触で判っている。だったら、唯一使い道があった治癒師すら、この場には不要だ。ならば構う事などない。どうせそこで生じた罪は、化物が引き受けてくれる。
……その誘惑の、なんと甘い事だろう。歓喜のままに身を委ねたくなる。
けれど、それは合理的じゃない。まだ雑魚の処理くらいには使えるのだから、帰りには居た方が良いからだ。ましてここにいるのは曲がりなりにも騎士と呼ばれる者達。役立って死んでもらわないと、それは国家への裏切りにもなる。
「だから、死ぬのは貴様だけでいい」
会話はまだ成立していないが、片翼にしてやった化物には言葉が通じる。
おそらく、言葉だけじゃなく、思考だってある程度読めるのだろう。これまでにそういう動きも見せていた。間違いなく強敵だ。想像以上といってもいい。事実、対峙した段階では、片腕を捨てる事になるとは思ってもいなかった。久しぶりに殺し合いをしている実感を与えてくれた事には、感謝すら覚えるほどだ。
だが、所詮はそこまで。
切り札を使ってしまえば、ただ終わるだけの相手でもあった。
「……動くなよ」
特に期待もなく、これだけ荒れ狂った魔力の渦の中では届くとも思っていない言葉を、この戦場にのこのことついてきた能無し共に告げながら、私は地を蹴り、右手に顕した長射程の剣を振り抜く。
それを空間転移かなにかで躱しながら、化物は距離を取って魔力の弾丸を乱射してくる。
掻い潜るのはさほど難しくない。……まあ、お互い様だ。
離れれば離れるほど、対処に使える時間が増えるのだから、それは必然だった。
故に、互いの手の内がある程度見えている現段階で、危険な間合いは近距離のみ。
そこに、どのように踏み込むか、どんな形で仕掛けるか。……こういった駆け引きは嫌いじゃないが、不利なのが実情である以上、そこで勝負はしない。
というより、切り札を使う覚悟を決めた時点で、もうする必要もないのだ。
今、細心の注意を払うべき対象は一つだけ。
そこさえ間違えなければ、私の勝利は確実であり――
「――」
化物が、なにかを喋った。
聴覚が壊れているから意味のある言葉なんて拾えないが、きっと、そこには驚きがあったのだろう。
やはり心が読めるのだ。それによって私の切り札が何かを理解した。
理解して、終わったのである。
「……気付いて死ねる事を、誇るがいい」
その言葉によって、ようやく世界が認識したみたいに、化物の胴体が千切れ飛んだ。
切り裂いてからずいぶんとタイムラグがあったが、まあいつも通りだ。
ありったけの魔力を攻撃性に変えて放った一撃でもあったので、再生も効かない。十分な致命傷である。
ただ、遺言を口にする程度の猶予はあるだろう。
正直、気を失いたいくらいに全身が痛いが、この敵には敬意を抱くだけの価値があった。
私はたった今罅割れた右膝と、折れた右腕を気遣いながら、地面に転がった相手の元に歩いていく。その悠長な時間を使って、鼓膜の修復と、ぼやけだしていた視界の確保にも努めた。
治癒の魔法をもっているわけではないので、どちらも気休めにしかならないが、到着までになんとか最低限の機能は取り戻せたようだ。
「……人に似ているのは、輪郭だけではなかったか」
もはや戦闘が不可能である事を物語るように、それを覆い隠していた魔力が解けて、化物は素顔を晒していた。
絶世と言っても差し支えがないほどに整った容姿の青年。翼さえなければ、それほど苦も無く、人の街に紛れる事も出来そうだ。l
「貴様は何者だ? さすがに人間ではないと思うが」
「そういう君は、本当に人間か? とてもじゃないがそうは感じられないが。或いは、だからこそ人間なのか」苦笑気味に、そいつは言った。「……まあ、なんでもいい。止めてくれた事には感謝しよう。これは、私の本意でもなかったのでな」
どこか晴れやかな表情。
向こうの事情になど興味はないが、少なくとも言葉に嘘はないということなんだろう。
そいつは静かに目を閉じて、
「……あぁ、グロノアセヌ、ようやく私も、君の元に」
何処かで聞いた覚えのある名前を口にすると、ぴくりとも動かなくなり、核が壊れた影響でか、灰となって細かく崩れ、やがて風に飛ばされて消えていった。
そうして、周囲を支配していた凶暴な魔力も潰え、淀んでいた景色にも澄んだ色が戻ってくる。
「ソルクラウ様! う、腕が……す、すぐに治します!」
後ろから誰かの声と、けたたましい足音が近付いてきた。
振り返るのも億劫だったが、仕方がない。
「無駄な事はしなくていい。それより、被害の方はどうなっている?」
と、私は訪ねた。
答えたのは大きな声をあげていた女の方ではなく、その隣に付き添っていた男で、
「高位七名、上位が三十名、下位はまだ正確な数を出せませんが、最低でも二千名ほどが死亡したかと」
「そうか。ご苦労だった。これでこの一帯の魔域化は終息するだろう。三つの都市を破滅させた脅威は取り除かれた。……私は少し休む。あとの事は任せられるか?」
「あ、あの、腕は……?」
躊躇いがちに、女の方が同じような事を訪ねてきた。
「必要ないと言った。この中にいる誰にも、治す手立てなどないのだからな」
そんなことすら見てわからない。
まったくもって、救いようがない無能だ。本当に、同じ人間なのかと疑いたくなる。
これでは、今始末した奴の方がよほど、私にとっては人間だった。私に近い人間だ。
……ここで失った左腕は、果たしてこの乖離を少しでも埋めてくれるのだろうか? ショックよりもそちらへの期待の方が大きい辺り、もう末期なのかもしれないが。
いずれにしても、義手が必要になった。戦場では手甲が代わりを務めるので、別になくても構わない気もするけれど。
「どんな形にしたものかな」
小さく呟きながら、私は頭の中で新しい左腕の構築を開始し――
「――ぐぅ、あぁ、がぅあ、あ、うぁ……」
堪えられていた筈の痛みが、まるで制御を失ったように暴れ出した。
あまりの熾烈さに呻き声が漏れ、立っていられなくなってその場に膝をつく。
ぽたぽた、と床に汗と涙が落ちた。
視界がまだぼやけている。右膝と右腕も痙攣していた。
耳が莫迦になりそうなくらいに、呼吸もまた荒くなっている。
こんなの、初めての経験だ。
私――いや、俺は、明らかに彼女の意識に途中から完全に呑み込まれていた。
強烈という言葉では生ぬるいほどの追体験。今まで夢で見て来たような俯瞰とはまるで違う。映像が切り替わって、見知った家に戻って来たにもかかわらず、まだ感情や痛みまで引き摺っている。
冷えはじめた汗が、寒気も連れてきていた。
アイデンティティを侵食されたような、最悪の気分だ。吐き気がする。
「……あぁ、くそ」
悪態をつきながら、なんとか立ち上がろうとしたところで、義手の存在に気付いた。
嫋やかな左腕。漆黒という色さえ除けば、完璧といっていいほどに人の腕を模したもの。もちろん義手以上の機能はないので手首も指も動かすことは出来ないが、不思議なくらいにしっくりとくる感触があった。
どうやら記憶が混濁している間に成功していたようだ。
最悪の気分の報酬としては、まあ悪くはないのかもしれないけど……そんなことよりも先に、今の状態をなんとか立て直す必要がありそうだった。
感覚が尖っていたおかげか、仕事を終えて帰ってくるミーアの気配を捉えたのだ。
かなり近い。あと一分もあれば、玄関のドアが開きそうだ。
その一分で、この異常を拭いきれるだろうか? わからないけど、余計な心配はかけたくない。
まずは呼吸を整える。
……大丈夫。痛みは徐々にだけど引き始めている。当然だ。今は傷なんてどこにもないんだから、そもそもこれほどの痛みを感じている事自体が異常なのだ。
視界のほうも見えないほど酷いわけじゃないし、こちらはすぐに治るはず。
けれど、一分では足りなかったようだ。玄関が開く音が響く。
仕方がないから乱暴に涙だけ拭って、俺は息を止めながら立ち上がり、ベッドまで移動する事にした。
そこで腰を下ろして、短くを息を吐きだしたところで、この部屋のドアが開いてミーアが顔を出す。
「おかえり」
声は、なんとか普段通りのものを出せた。
これでミーアがなにも気づかなければ満点だったんだけど、自分がどういう状態にあるのか、自分自身正確には把握できていなかったようで、
「……なにか、あったんですか?」
不安そうな表情で、ミーアはそう訪ねてきた。
「どうしてそう思うの?」
「だって、目が真っ赤ですよ。その、まるで、泣きじゃくっていたみたいに」
「あー……ええと、実は図書館に寄っていて。凄く良い本があってね。その内容を、ちょっと思い出しちゃって」
恥ずかしそうに装いながら、俺は言う。
咄嗟に思いついたにしても、なかなかに苦しい理由な気がするが、このまま有耶無耶にするしかない。
「それより、どうかな?」と、左腕を軽く上げて、俺はたずねた。「義手、レフレリでは必要なようだから用意してみたんだけど、変じゃないかな?」
「はい、手袋さえつければ、何の違和感もないと思います」
「そう、それは良かった」
なら、あとはもう一回、ミーアがいないところで、これと同じ義手を具現できるかを試して、それで上手くいけば問題が一つ解決する。
その確認に、これ以上ないくらいの憂鬱を覚えながら、俺は小さく笑って言った。
「それじゃあ、さっそく手袋を買ってくるね。……あぁ、他にも少し買い物をするから遅くなるかもしれないけど、予定が変わったとか、確認があるとかでドールマンさんが来るかもしれないから、留守番をお願いしてもいい?」
「はい、それは問題ありませんけど――」
「ありがとう」
なにか言いたそうなミーアの言葉を遮って、俺はすぐに背中を向け、少しだけ足早に部屋を後にする。
これもあまりよくない対応だっていうのは判っているけど、それでも、もう我慢できなかったのだ。
これ以上、ミーアを直視していられなかった。
順調に治まってきた痛みと違って、未だに根深くこびりついているレニ・ソルクラウの感情が、まるで彼女を傷つけたがっているみたいに叫んでいたから。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。