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地上に向かう昇降機は特定の場所にしかないが、下へ向かう昇降機はいたるところに散りばめられている。その利便性は、そのままレフレリの人達の生活が地下深くを主軸にしている事を表しているわけだが、逃げる側としてもその分岐の多さは有利に働いてくれたようだ。
三度ほど乗り継ぎをして、ある程度敵との距離が離れたのを確認したところで、俺は地下百七十五階に降り立つ。
そこは上の階層よりも、ずいぶんとゆとりのある空間だった。
天井が高く、それに合わせるように二階建ての建物が多く見受けられる。道幅もなかなか広い。天井にはエアコンのような装置が等間隔に設置されていて、そこから地上の空気を送っているんだろう、無秩序な風の流れを感じる。
霧の存在は見当たらない。期待通りの光景だ。
とりあえず、こちらの顔を見て過剰な反応をみせる人がいない事にほっとしつつ、俺は魔力感知に意識を割きながら、足早に街を歩く。
ただし裏路地などは使わない。潜伏するつもりはないからだ。もとより、本気で敵を撒く気もない。
どうせ、この都市の人間すべてに顔がばれるのも時間の問題なのである。隠れ続けるには無理があるし、それに上手くいったらいったで敵の警戒網も広げてしまう。
こちらの本命はリッセだ。彼女がアカイアネさんを見つけるか、首謀者の首根っこを摑みさえすれば、事態は好転する。そのためにも、出来るだけ彼女が動きやすい状況を作る必要があった。
まあ、この陽動がどの程度効果を発揮するのかは、首謀者がどこにいるかにもよるのだが……相手は貴族。普通に考えれば地上を拠点にしている筈だ。
その読みが合っている事を信じつつ、ほどほどに逃げるような素振りを見せながら、追っ手が来るのを待つ。
程なくして、探知の魔力が肌に触れた。
お返しにこちらも魔力を波紋のように広げて、相手の気配をつかまえる。
数は二人。最初の追っ手とは別口のようだ。どちらもかなり強い魔力を有している。ただ、その使い方はあまり上手くない印象だった。上手い人間は探知を行った事を気付かせないものだからだ。
もちろん、これは目安の一つに過ぎず、探知が下手だから戦いも下手という事にはならないのだが……まあ、なんにしたって、オーウェさんよりは楽な相手だろう。
「そうじゃなかったら、お手上げかな」
今まで交戦した人間の中で一番厳しかった、とある貴族に仕える執事の顔が浮かんで、思わず苦笑が漏れる。そのおかげか、不安も少しだけ和らいでくれた。
強敵と本気で戦った事があるという経験の賜物である。こちらとしてはあまり稼ぎたくない値でもあるのだが、今はそれに感謝をしつつ、頭の中に細くて長い昆棒をイメージして、右手に具現する。
これなら、よほど酷い当たり方でもしない限り死ぬ事はないだろう。
軽く二、三度振って感触を馴染ませつつ、再度感知に魔力を広げたところで、新たな気配を補足した。
見知った存在。ミミトミアのものだ。
てっきり逃げたとばかり思っていたけど、こちらに降りてきている。最初の追っ手たちを引き連れているようだ。
……そちらとの接触は、大体二分後くらいだろうか。昇降機を使わず強引に向かってこない限りは、そんなところだろう。それまでに、二人を無力化する必要が出てきた。
まったくもって、どこまでも面倒な状況を運んで来てくれるものだけど、これくらいで泣きごとを漏らすほどに楽観的だったわけでもない。
ここで待つのは止め、こちらから仕掛けるべく俺は二人の元に向かって駆けだした。
「……お、どうやら、こっちが正解だったようだな。地上に逃げるほど莫迦ではなかった」
「あぁ、そしてそっちだと踏んだ奴等は大莫迦だったわけだ」
広場のような場所で待ち構えていた二人が、陽気な口調で呟く。
片方は双剣、もう片方は槍を携えている。どちらも二十代半ばの男性だ。
「一応、肩書きだけは示しておこうか。俺たちは紫の冒険者だ」
「……紫」
ということは、ドールマンさんやアカイアネさんと同格という事らしい。
「大人しく降伏する事を勧めよう。美人を斬る趣味はないしな」
余裕たっぷりに、双剣の男が言う。
美人と限定するあたり、大したフェミニストである。
「だったら、見逃してもらいたいところだけどね」
ため息交じりにそう言うと、槍の男が笑った。
「残念だが、それは無理な相談だ。俺たちの趣味は金集めなんでな。素敵な小遣いの為に、狩らせてもらうぞ、罪人!」
鋭い踏み込み。
地面すれすれの位置から放たれた槍が、喉元に迫る。
それを左手で受け流し、俺は側面から迫ってきていた双剣男よりも先に、右手の棍棒を振り抜いた。
「……ぐぅ、どうやら、手心を加える必要はないみたいだな。魔物に近い力をもった奴が、女なわけがない」
こちらの一撃を受け止めきれず五メートルほど吹き飛ばされて、その両手を震わせた双剣男が吐き捨てる。
ずいぶんな物言いだ。でも、おかげでこちらも妙な罪悪感を抱く必要が完全になくなった。
ナアレ・アカイアネという仲間がやられた事に対する義憤で仕掛けてきたわけでもなければ、性格も褒められたものじゃない相手であるのなら、叩くのも気楽でいい。
まずは弱そうな方から片付けようと、俺は槍の男に前蹴りをして大きく距離を取らせつつ、双剣男に向かって踏み込んだ。
「――っ!?」
驚愕に表情を強張らせながら、双剣男は真っ直ぐ突き出した義手の一撃を片方の剣で受け流し、もう一本の剣を振り抜いてくる。
が、完全に受け流す事に成功したわけではなく、姿勢が崩れた状態での攻撃だったので速度も威力も乗ってない。最悪、皮膚で受け止めても殆ど損害はないだろう。
だからこそ物は試しと、斬られる箇所を把握した瞬間に、そこに掌ほどの大きさの板みたいなもの思い描く。
直後、金属同士が衝突する甲高い音と共に、双剣男の体勢がより決定的に崩れた。
どうやら、これくらいの速度の相手には咄嗟の具現化も間に合うみたいだ。これは、多数相手で手が回らない時なんかに重宝する事になるかもしれない。
そんな事を確認しつつ、俺は攻撃を弾かれた直後で完全に無防備になっていた双剣男の二の腕目掛けて、棍棒を振り抜いた。
鈍い手応え。確実に左腕を破壊した音だ。
双剣男から悲鳴が上がり、剣が一本地面に落ちる。
「てめぇ!」
槍の男が怒りを露わに踏み込んできたが、感情的だ。要は直線的な攻撃。
いなすのは容易く、反撃も殆どリスクなく行えた。……もっとも、こちらの方に手傷を負わす事は出来なかったが、ここまでのやりとりで大体相手の性質も把握できたので、初手の攻防としては十分だろう。
両者共に能力は高いけど、経験や技術が足りていない感じ。
どうやら、その性能だけで今までやってきたようだ。もっと言えば、その性能で処理できる仕事だけを選んできたという事でもある。
「……もう一度だけ言う。見逃してもらえないかな?」
右手の得物を棍棒から剣に変えながら、俺は言った。
後続が控えているのだ。ここは下手に粘られるより、さっさと諦めてもらった方がいい。
「お、おい……」
不安そうな表情で槍の男が、双剣使いではなくなってしまった男を見た。
見られた方もかなり弱気な表情を浮かべている。脅しは十分機能したようだ。この分なら上手くいきそう――と思った矢先、突然二人の表情が強張った。
原因は俺の方からは判らないが、なにかテレパシーでも受信したのか、
「……片腕潰したくらいで、勝った気になるなよ!」
怯えを怒気で隠すようにして、片腕の死んだ男は残った剣に冷気を纏わせ、それを横薙ぎに振り払った。
そこに合わせるように、槍の男も風の魔法を行使して、冷気の威力を底上げする。
広範囲の、視認が難しい攻撃だ。回避よりも防御した方が安全だろう。
俺は右手の武器を棍棒に戻すのと並行して足の爪先から天井まで届く壁を具現化しつつ、二人の魔力に意識を向ける。
すると、左右から肉薄し攻撃を仕掛けようとする意図が読み取れた。
こちらの視界前面が潰れた直後に行われた迅速な行動だ。両者のタイミングも合っている。このまま手をこまねいていたら挟撃を受ける羽目になるだろう。
だが、今の段階なら対処は容易い。
もう一つ横長の壁を具現化して剣の男の進路を塞ぎ、槍の男を先に処理するべく、俺はそちらに向かって地を蹴った。
「――っ!」
思惑を躱されたのがよほどショックだったのか、苦々しげな表情を浮かべて硬直をみせる槍の男。
その所為で遅れた動作の隙をついて、俺は横薙に一撃を見舞う。
剣と違って槍は小回りが利かない。攻撃モーションに入っていたなら尚更だ。
結果、防御が間に合わず、槍の男はこちらの一撃をもろに脇腹に受けて吹き飛び、ごろごろと地面を転がって、立ち上がる事も叶わず、その場で悶絶する事になった。
これで残りは一人だと振り返ると、ちょうど迂回をしてこちらに迫ってきていた相手の姿が視界に入ってくる。
相棒がやられた事をそこで認識したのか、一瞬泣きそうな表情を浮かべるが、それでも逃げるという選択を取るつもりはないらしい。
それは仲間を見捨てるわけにはいかないという矜持から来ているものなのか、それとも別のなにかが要因なのかはわからないが、覚悟をもった相手は油断ならない。
歯を食いしばり、明らかに目の色を変えた剣の男への警戒を強めつつも、俺は先手を続けるべく、一歩前に出た。
「――くっ」
迎え撃つように、男の姿勢が低くなる。
力では勝てないのは既に証明されている筈だが、どうするつもりなのか――そんな事を思いつつ得物を振り抜くと、今度は綺麗に受け流された。
こちらもそこまで前のめりに仕掛けたわけじゃないので、バランスが崩れるような事はなかったが、どうやら防御重視に切り替えたらしい。という事は時間稼ぎだ。彼も増援の気配を捉えたんだろう。
少し面倒な事になった。ここは強引に倒しに行くべきか……だが、ここで下手な手傷を負えば後続相手に不利になる。やはり安全を徹すべきか…………こういう時に迷ってしまうのは、やっぱり対人戦闘の少なさが原因なんだろうか。
体感で二十秒を超えたところで、安全を求めていたら埒が明かないと判断し、一気呵成に畳み掛ける事にしたが、さすがに決定が遅すぎる。
まあ、最終的に腕や太腿にかすり傷を負う程度で、相手の体勢を完全に崩したところに前蹴りを打ちこみ、くの時に折れ曲がったその身体に棍棒を振り下ろして右肩を砕くことに成功し、増援が来る前に片付けられたので、ギリギリセーフではあったけれど……。
ともあれ、これでこの場から離脱する事が出来る。
俺は武器と壁を消して、少し乱れていた呼吸を整えるために深呼吸を一つだけとって、
「……最低限かよ。気分の、悪い話だな」
その、苦しげな声を聞く事になった。
槍の男の呟きだ。戦える状態には見えないが、その顔には引き攣った笑みが飾られており――なにか、酷く嫌な予感がした。
こういう予感はよく当たる。そして大抵は手遅れなのだ。
今回も例に漏れず、早々に立ち去ろうと右足に力を込めたところで、突然左腕に青い炎が顕れた。
それが、義手にこびりついていた魔力の残滓から生まれたものだと気付いた瞬間、立っている事すら儘ならないほどの脱力に襲われる。まるで、血液が一瞬で致死量間近まで奪われたような喪失感。
否応なく落ちた視線が、地面に浮かぶ不気味な紋様を捉える。
炎に呼応するように、青い明滅を繰り返している魔法陣。……これは即席のものじゃない。前もって床の中に仕込まれていたものだ。
途端に焦りが膨れ上がる。それはつまり、まんまとこの場におびき寄せられたという事を意味していて――
「――拘束の多重掛けだ。最高位の魔物すら動けなくするほどのね」
押し殺したような女の声が、響いた。
最悪のタイミングで増援がやってきたのだ。足音は六人分。
そして、その先頭にいるのは、この魔法陣の起動させるに必要なキーを仕込んでくれた張本人である、ユミル・ミミトミアだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




