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霧から映像が浮かび上がったのは、丁度飲み物を買い終わり、財布を仕舞った時の事だった。
(……ふざけないで)
突然レニの名前が無遠慮に叫ばれ、それによって人々が怒りに染まっていく様を目の当たりにしながら、ミーアもまた強い憎悪に拳を震わせる。
もちろん、その矛先にあるのはナアレ・アカイアネだ。
あの女に呼ばれてから、レニの様子はおかしくなった。心ここにあらずで、なにか不安を抱えているようだった。あげく、今目の前で起きている厄介である。
そこにどのような事情があったとしても、許しがたい害悪だ。償いを求めずにはいられない。……まあ、今優先するべきはそれではないが。
(でも、合流は難しそうね)
レニの気配と、彼女に迫ろうとする気配はどちらも相当な速度で離れていっている。この身体では追いつけないだろう。
それに、こちらに迫ってきている敵意の対処もあった。
レニに差し向けられた者達よりは貧弱な魔力だが、ミーアを殺すには十分な力を持った三人。
とはいえ、それは単純な性能だけの話で、殺し合いの技術を考えれば、明らかに不足している刺客ではあったが。
(どう処理するか……)
拷問でもして、ある程度情報を手に入れるのも悪くはない。が、どうせ末端だ。得られるものは少ないだろうし、拷問場所を見つける手間の方が大きい。
では、早々に始末して場所を変えるのが妥当か。
(そうね、そうするか)
最低限人気の少ない場所に移動して、ミーアは自身の右手人差し指に魔力を集中させていく。
魔物と違って、人間は柔らかい部分が多いので、よほどの魔力差がない限りは急ごしらえのこの武器でも十分致命傷を与える事は可能だろう。
(出来れば、短剣や細剣をもっている敵がいてくれたら、このあとの展開が楽なのだけど)
なにせ、宿に武器を取りに行く手間が省ける。
別に、斧や槍も使えないわけではないが、やはり慣れ親しんだもののほうが確実だ。
そんな事を考えつつ、あと数秒で曲がり角から姿を見せる敵に意識を傾けたところで、何度か経験したこのとある嫌な魔力をミーアは捉えた。
直後、大剣と斧、槍といった、いかにも魔物を専門にしていますと宣言しているような武器を携えた冒険者風の男たちが三人ほどやってきたが、
「……おい、どこにいるんだ?」
「わからん、急に気配が読めなくなった」
「こっちに気付いて離れたのか?」
「莫迦な、隠密はとっていた。気付かれるはずがない」
「なら近くに潜んでいるとでも? それこそありえないだろう? お前の感知の隙間をついて、気配をけして離れた。そんなところだと思うがな」
「想定していたよりはやるって事か? ……わかったよ。感知を広げる、気配を長時間消す事は出来ないしな、すぐにまた見つけてやるさ」
見当外れなやりとりをしながら、彼等はミーアを素通りして、昇降機のある方へと消えていった。
と、そこで、愉しげな笑い声が響く。
「どうやらレフレリの冒険者は、魔物以外には役立たずみたいね」
思っていたよりも近い距離。
ため息と共にそちらに視線を向けると、そこには案の定リッセ・ベルノーウの姿があった。
彼女の魔法が、ミーアの姿を彼等の視覚から消し去ったのだ。
「余計な事をするものですね、貴女も」
「なんだ、そんなにあいつらを殺したかったのか?」
「武器が必要だったというだけの話です。そういう意味では、貴女を代わりに死体にしてもいい。ちょうど、使いやすそうなナイフも見える事ですしね」
腰にぶら下げられている黒塗りのそれに視線を向けながら、ミーアは冷たいトーンで言った。
すると、リッセは小馬鹿にするように笑って、
「今度は物乞い? ずいぶんと野蛮だな」
「冗談に聞こえましたか? お目出度い人ですね」
「はっ、冗談にしてやってるんだよ。余裕のない奴を苛めるほど、あたしは今暇じゃないし。それに、レニの奴の注文を破る気もないんでね」
その言葉に、ミーアは眉を顰める。
「レニさまが、貴女を寄越したというんですか?」
「ええ、そうよ。ついさっき、あんたを隠してやってくれって通信を送ってきたの。余計な事をする前にってな。良かったわね? あんたの事をよく判ってくれている友人でさ。そのおかげで、あんたは冒険者組合の人間を殺すなんて面倒を避ける事が出来たわけだ」
「余所の都市の一介の冒険者風情、始末したからなんだというのですか? この状況ですよ。どうせ早いか遅いかの違いでしかない」
「それは殺人を一番手っ取り早い解決方法にしてきた奴らの理屈だよ。後ろ盾があるのならいざ知らず、それがない状況で機能するものじゃない。……あんたが昔どんな立場だったのかは知らないし興味もないけどな、いい加減その短絡的な考えは捨てた方がいいわよ? じゃないと、あいつの迷惑になる」
「……貴女のような人に、言われたくはありません」
苦々しい気持ちを吐き捨てるように、ミーアは言った。
悪党に説教をされるなんて、最悪の気分だ。それを流せない自分というものにも、苛立ちを抑えきれない。
「まあ、たしかにあたしも感情的に動く事は多いからね。あんたの気持ちが判らないわけじゃない。だから、特別に手伝わせてやるよ」
「――は?」
唐突な言葉に、思わず間の抜けた声が漏れた。
「せっかくの休暇をぶち壊した奴を血祭りにしたいんでしょう? でも、そこに到る明確な道筋があんたの中にはない。違う?」
「そんなわけ、ないでしょう?」
「じゃあ、武器を奪ったあとはどうするつもりだったんだ?」
「それは、拷問をして首謀者の居場所を吐かせて――」
「ばーか。首謀者の一人の面はもう割れてるだろう? ほら、今も堂々と晒してる。余計な手間をかける必要なんてどこにもない」
霧に浮かんだ画像を指差して、リッセは言った。
……言われて初めて、その通りだと納得するあたり、どうかしている。
ナアレ・アカイアネが問題を持ち込んできたのは間違いないが、この状況を引き起こした敵は彼女ではないのだ。彼女に憎悪するよりも先に、敵を始末するのが道理。
そんな事すら失念するなんて……自己嫌悪と羞恥で、とてもじゃないけれど顔をあげていられなかった。
「頭、冷えたか?」
そんなミーアに、リッセは静かなトーンで言った。
ここで莫迦にしてきたのなら反発必至だったが、重要な局面で不要な事をしないあたり、曲がりなりにも組織を束ねるリーダーといったところなんだろう。哀しいかな、自分には乏しい適性だ。
「……ええ、多少は」
自省をしつつ、粛々と頷く。
「それはよかった。で、どうする? あたしはこれからそいつに用があるんだけど、あんたも来る?」
「どうして私を誘うのですか? それも、レニさまの要望ですか?」
「まさか、ただの気紛れだよ。あんたはどうか知らないけど、あたしはギスギスした空気って結構好きだしね。それに、ここはトルフィネじゃないから単純に人手が足りないってのもある」
「……」
前者は理解不能な理由だが、後者は納得だ。それに、彼女の力があれば事がスムーズに進展するのも事実。
非常に遺憾だが、ここは実利的に行動するべきだろう。
「私に、何をしろと?」
ため息交じりに、ミーアは訪ねる。
「そうね、とりあえず雑用全般でもお願いしようかしら? 基本的にあんたは指示通りに動けばいい。簡単なお仕事でしょう?」
リッセは唇に人差し指をあてて、可笑しそうに言った。
小悪魔的な微笑だ。けして大人とは言えない体躯や顔立ち故か、やけに妖艶に映る。
「……ふざけた要求を並べたら舌を切り落とします。それでも良いのであれば」
「ふざけた要求ってのは、たとえば、あたしを守れ、とかか?」
「それは別に構いませんけど」
むしろ、自分が貢献できるとすればそのあたりくらいだろう。
こちらとしては、至極まともな解答のつもりだった。だが、なぜかリッセはきょとんとした顔をしてから、
「……やっぱつまんない奴よね、あんたって。まあいいわ。じゃあ、それだけでいいから、ちゃんと、か弱いあたしを守ってよね? その腕だけは、信じてやるからさ」
そう言って、腰に掛けていた黒塗りのナイフをミーアに向かって放り投げた。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




