12
「ところで、このあとサヤカとはどう接するつもりなのかしら?」
メイドさんがカップをすべて回収して退室したところで、アカイアネさんが口を開いた。
過去に傾いていた思考が現実に戻る。
「……こちらの正体をばらして欲しいと?」
冷めた感情で、俺は言った。
「ええ、率直に言うとそうなるわね。誰だって話が出来る人間を信じたいものでしょう? このままではあの無精髭の言葉に踊らされて、彼女は戦争のきっかけになってしまう。ほどなくして私たちの事も信用しなくなるわ。あの廃都市が消えてしまった今、このレフレリで異世界への干渉を行うにはサヤカの存在は必要不可欠。打算的な物言いをするなら、友好的である事にも大きな意味がある」
「本来の世界との糸が、この世界と彼女の世界への唯一の繋がりとなっているから、でしたよね」
学生証を届けに行ったあの日、この屋敷にはネムレシアも来ていた。
その彼女が提供してくれた情報だ。そして、アカイアネさんが魂を移す魔法を有している人間を揃えてくれるという約束によって、俺は子供の頃の倉瀬蓮の身体に戻れるかもしれないという希望を手にする事になったのである。
「ヲレンから呼ぶと言っていた人は、いつ来るんですか?」
「もう会っているわ」
その言葉で、さっきのメイドの姿が頭に過ぎった。
「なかなか堂々としたものだったでしょう? 溶け込むのが上手いのよ」
「そうですね。どこでもやっていけそうだ。……そんな人が本当に、外の世界を望んでいるんですか?」
レフレリで行われる異世界転移は片道切符だ。当然、魂を移すという魔法を有している人物は、魔法を実行するために向こう側の世界に行くことになる。俺や柊さんと違って、帰るべき家なんてない世界にだ。
それを、こんな短い期間で、果たしてそう簡単に決められるものなのだろうか……?
「ヲレンの人間はこの世界に絶望している。海というある種の絶対者の気紛れで、全てがあっさりと終わる恐怖に疲れ切っているの。別の都市に行っても、それは変わらない。だって、視えているか視えていないかの違いでしかないから。それを知ってしまっているから。だから、あの都市の人間の多くはそういった願望を持っている。つまり、無理強いをする必要なんてそもそもないという事ね。もちろん、私の言葉が信じられないなら、当人に聞いてみてもいいわ。その疑いはとても大事な感情ですもの。無理して止める必要はない」
「……まるで、訊くと私が後悔するような物言いですね」
「ある意味では正解ね。今の貴方にとって、迷いが増える事は後悔でしょうし」
「彼女は危険な人物なんですか?」
「人格という点では普通の娘よ。ごく一般的なヲレンの人間。でも、魔力がない世界において彼女の魔法は此処とは比べ物にならない脅威となるでしょう」
「……そして、過大になってしまった力は往々に人を狂わせる、ということですか?」
「ええ、まあそんなところね。ただの一般人という枠から、この上ない特別に立場が変わってしまった彼女が、五年後十年後も真っ当である保証は、私にも出来ないわ」
そう言って、被っていた帽子の角度を左手で少し変えた。
「それで、どうするの? 会って話をする?」
「……いえ、彼女の件はもういいです。疑問は片付きましたから」
というよりも、最短で解消するように話を持っていかれたような、そんな感じだろうか。
上手くコントロールされたみたいで、少し居心地が悪い。
「そう、それはよかったわ。手間が省けて。……では、サヤカの件に戻りましょうか? 貴方の答えを聞かせてくれる?」
ぽんぽんと柊さんの肩を叩きながら、アカイアネさんは微笑む。
そこに圧を覚えるのは、色々と迷いがあるからか。……とはいえ、この状況で日本語を使わないというのはさすがによろしくない。柊さんとの関係は敵より優位にしておくべきだ。
「……わかりました。ただ、上手くいくかはわかりませんよ。こっちはその事を隠していたわけですから、どうあっても心象は悪いものになるでしょうし」
「そのあたりは問題ない筈よ。事情を話して納得出来ないほど、自分本位な子には見えないもの」
どこか憐れむようにアカイアネさんは言う。
そこに共感と、同時によく分からない苛立ちのようなものを覚えつつ、俺は柊さんに向き合った。
そして深呼吸を一つしてから、この世界に来て初めて日本語を使用する。
「無精髭の、彼は、どういう、風に、質問を、してきた?」
「――え?」
間の抜けた反応。
自分でもびっくりするくらいぎこちなく、また酷い滑舌だったけれど、どうやらそれは、なんとか日本語として伝わってくれたようだ。
「聞き取り、難いかも、しれないけど、少し、がまん、して欲しい」
なにせ、レニ・ソルクラウという身体は日本語に適していない。舌か顎かはわからないけれど、普段まったく使わない筋肉を無理して使う必要もあった。
その所為か、ただ喋るだけなのにやけに疲れるが。まあ、動かしていくうちに、それも解れていくだろう。
「な、なんで……?」
「それは、私も、日本人だからだよ。中身、の方がね」
呆然とする彼女に、そう答える。
「日本人? 貴女が?」
「柊さんの住んでいた県から、電車で一時間くらいの、距離に住んでいた。特急を使えば、もっと早い。友達に誘われて、駅の傍にあるスタジアムに足を運んだ事もあった。もっとも、2009年に、そのスタジアムがあったかどうかは、さすがに把握していないけどね」
ある程度具体的な情報を口にしてみると、彼女は戸惑いをさらに強くしたようだった。
そこに追い打ちをかけるように、俺は自己紹介をする。
「倉瀬蓮だ。高校二年生だった。部活には、入っていなかったけど、ウサイン・ボルトくらいは、知ってる」
たしか、その陸上選手が世間一般に認知されるようになったのは、それくらいの年だった筈だ。
真新しい家族たちと世界陸上を一緒に見た記憶がある。陸上をやっているのなら、さすがに知らないという事はないだろうし、同じ世界の人間ならそれはかなりの信憑性をもった情報になるはず……。
「……本当に、そうなんですね」
その狙いが当たってくれたのか、柊さんは微かに震える声をもらして、
「でも、だったら、どうして今まで……」
と、拳を握りしめて、非難するような眼差しをこちらに向けてきた。
でも、それをすぐに撤回して俯いてしまうあたり、本当に彼女は他人の事情を汲み取ることの出来る人間なんだろう。
好都合な反面、より一層に胸が痛む。
その自己嫌悪を呑み込みながら、俺は言った。
「レニ・ソルクラウが、日本語を喋るのは、不自然だからね。彼女は元々、この世界に存在していた人物で、私は、別人だと疑われるわけにはいかなかった」
そんな言い訳を並べてから、彼女が知りたいであろうここに到るまでの経緯をざっくりと説明していく。
その後に、無精髭が俺たちに伝えた内容を口にした。
「わ、私、そんな事言ってません!」
「もちろん、それは判ってる。でも、私を除いて正確な内容を理解できる人は、きっといなかった。だから、鵜呑みとまではいかなくても、その印象のままに、事態が動いていた可能性は、高い」
つまり、あの虚言にはかなりの効果があったという事だ。当然、俺のような例外を想定出来ていたとは思えないので、彼等の狙いも言葉通りのものといえるだろう。
「この都市の貴族たちは、本気で日本への侵略を考えている」
「……貴女たちは違うんですか? 違うっていうなら、私をどうしたいんですか?」
不安そうな表情で、彼女は訊いてきた。
「元の世界に、帰したいと思っているよ」
と、俺は答える。
「でも、きっと簡単な事じゃないんでしょう? それなのに、どうして?」
「私にとっては、他人事じゃないから。……私だって、望んで此処に来た人間ではないしね。戻れるものなら、戻りたいという、気持ちがある」
といっても、まだそれを決めたわけじゃないけど、彼女にとっては説得力のある言葉だろう。少なくとも、下心のない善意なんて得体の知れないものよりは。
「こちらが話せる事は、これくらいかな。あとは、柊さんがどちらを選ぶかだけ。無精髭を信じるか、私達を信じるか。出来れば、今決めて欲しいところだけどね」
「……わかりました。じゃあ、貴女たちを信じます」
「即決か。本当にいいの?」
「だって、そんなの考えるまでもない事じゃないですか? 貴女たちは、命の恩人だもの。……その、色々と判らない事が多すぎて、まだ混乱してて、変な事とかも聞いたかもしれないけれど、それは判っていますから」
今にも泣きだしそうな笑顔で、彼女はそう言ってくれた。
「ありがとう。……ごめんね。でも、必ず元の世界に帰すから」
「はい、お願いします」
「どうやら、話は纏まったみたいね」
緊張していた空気が弛緩したのを感じてか、静かに事を見守っていたアカイアネさんが口を開いた。
「出来れば、どんな話をしたのかは詳しく教えて欲しいところだけど、まあ、それはあとでいいわ。それよりもレニ、彼女に伝えて欲しい事があるのだけど、大丈夫かしら?」
「なんですか?」
「まず、貴方と意思疎通が出来る事は伏せるようにしてもらって。その方が色々と安全だろうし、逆手に取れる機会もあるかもしれないから。それと、これを常に身に着けておくようにと」
懐から宝石のついた指輪を取り出して、彼女はそれを俺に手渡してきた。
彼女の魔力――いや、魔法が込められた宝石だ。
「ちょっとした保険よ。異世界への門が開くまでは、彼女の安全は約束されていると思うけれど、流れ弾が飛んでこないとも限らない。どうやら、ドゥーク・ラフシャイナは本気で私と事を構えるつもりみたいだしね。……ふふ、貴女がいてくれて良かったわ。おかげで、彼の想定よりも間違いなく早い段階で私は真実に辿りつけて、先手を取れる機会を得た。上手くいけば、明日中にこの問題は片付くことでしょう。その時は、また貴女を家に誘うわ。出来れば、その時までに貴女も決めておいて。この世界に残るか、帰るかを」
「……わかりました」
期限が決められた事に苦々しさを覚えつつも俺は頷き。柊さんに二つの要求を伝えて、アカイアネさんの屋敷を後にした。
明日中に、どうやって答えを出そうかと悩みながら。その通りに事態が進むのだろうと、当たり前のように受け入れながら。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




