11
「どうぞ」
ここに俺を案内してくれたメイドさんが、温かい飲み物を提供してくれた。
同じように手渡されたアカイアネさんと柊さんがそれに手を付けたのを確認してから、俺も一口頂くことにする。
程良い甘さ。ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーに近い味だ。話の前に一息つきましょうという提案に従って良かったと思えるような、ちょっとした懐かしさ。
「……それで、話というのはあの無精髭の事かしら?」
二分ほどかけて俺がそれを飲み乾したところで、アカイアネさんが口を開いた。
こちらの反応でそう感じ取ったのか、或いは無精髭の態度に不審があったのかは判らないが、相変わらず鋭い読みだ。
「ええ、大半の通訳に嘘はありませんでしたけど――」
「あぁ、待って。その前に一つやっておかないといけない事があったわ」
俺の言葉を遮って、アカイアネさんは眼を閉じて周囲に自身の魔力を波紋のように広げた。
魔力感知だ。それも、かなり念入りな部類である。
でも、どうしてそんな事を突然しだしたのか……まあ、心当たりはあったが。
「貴方が入ってきた時、妙な違和感を覚えたのよね。神経質な客人がいる手前、放置することにしたのだけど、大事な話をするのなら外部に漏れるのは避けたいし…………むぅ、やっぱり気のせいだったのかしら? けど、私の行動に怪訝な顔一つ見せないという事は、貴方には心当たりがあるという事でもあるわよね? それなら、もういなくなったが正解か。だとしたら脱帽だわ。多分、この街の誰も、その相手に気付けない。悪さをするような人でない事を祈るばかりだけど」
そこで、彼女は可笑しそうにくすりとわらった。
言葉と裏腹に、積極的に何かが起きる事を期待しているような心模様といったところか。
「まあ、それはともかく。懸念も晴れた事だし本題に戻りましょうか。……無精髭の男は最後に大きな嘘をついた。つまり、サヤカの世界では戦争は起きていないという事ね。その根拠はなにかしら?」
「私がいた時代よりも、彼女のいた時代の方がずっと前だからですよ。2020年以降の未来の事はわかりませんけど。少なくとも彼女のいた2009年頃、私達が暮らしていた日本という国は戦争状態にはなかった。……もちろん、それは私と彼女が本当に同じ世界の人間だったらという前提にはなりますけどね」
「貴方には彼女の言葉が判るのでしょう? 国の名前も同じ。なのに、違う世界かもしれないと疑うの? それはまるで、ダダルヴァ・プルド著の『枝別れした世界』の話みたいね」
「その本の事は知りませんが……それって、もしもの世界の話という事ですか?」
「そうよ、正解。もし過去に干渉する魔法を持った者がいるとして、その子が負けた戦争を勝利に書き換えた場合、敗北した本来あるべき現在はどうなってしまうのか。完全に消えてしまうのか、それともそれはそのまま続き、それとは別に勝利した未来が新たに派生するのか。貴女の危惧はそれでしょう?」
「ええ、そうですね」
柊さんの住んでいた地球ではリーマン・ショックは起きなかったのかもしれないし。民主党なんかに政権が交代する事もなかったのかもしれない。そしてそうなった先にある未来は、当然俺のいた世界とは重なるわけもないのである。また、両者の世界が同一である事を確認する術もない。
カオス理論なんてよく分からないものを並べるのもあれだけど、小さな事件一つ起きたか起きていないかで、すでにそれは別世界といってもいいのだから。
「……そう。だから貴方は迷っているのね? 自分の世界を取り戻せる可能性が見つかったというのに、そこに踏み込む事を畏れている。保証がないから」
「彼女の世界があと二年でも先にあったのなら、そんな事を心配する必要もなかったんですけどね」
本当に。それが2009年でなければ、俺にとっては他人事でしかなかったのだ。
母が生きている頃から――あの人がまだ殺されていない時期から、やり直せるかもしれないなんて可能性でなければ。
次回は三~四日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




