04
報告の為に案内されたのは、受付の奥の、さらにその奥にある部屋だった。
上等な皮のソファーに、これまた上等な毛皮を使ったカーペット。ガラスに似た石(或いは魔法によって生成された器)で拵えられたテーブルに、巨大な絵画。天井には大きなシャンデリアと、これ見よがしに高級感を主張している。正直、ベタベタすぎて趣味の悪さすら覚えたが、多分ここは上客用の場所なんだろう。防音の魔法も施されているようだし、漏洩したら不味い依頼なんかの為にも使われているのかもしれない。
そんな室内には四人ほど先客いて、一人は青い衣装を身に纏った三十半ばくらいの貴族。一人は黒縁の眼鏡をかけた青年。残りの二人は見知った教授となっていた。
眼鏡をかけた青年は多分ここの職員だ。受付の人と類似した服を着ているし、こちらがルーゼの担当者で、要はドールマンさんが報告をする相手なんだろう。
彼の報告を、この職員がルーゼにいる依頼主に報告して今回の仕事は終わり……なのだが、どうにも貴族の存在が気になった。
というか、手間を省くためとはいえ、競合していたルーゼ側とレフレリ側を一緒くたにするというのはどうなんだろう? さすがに無神経というか、むしろ余計な摩擦が生じて報告がスムーズにいかない恐れがあると思うのだが。
「相変わらずつまらない部屋ね、ここは。欠伸が出そうだわ」
そんな俺の心配を余所に、悪気すらなくケチをつけながら、アカイアネさんは我が物顔で誰も利用していない右側のソファーに腰かけた。
傍若無人とも取れるその態度に、しかし職員だけでなく貴族の方も慣れているのか、波風が立つという事はなく、
「貴女は相変わらずのようだな。それこそ強者の特権なのかもしれないが、少しはゼラフの気苦労も考えてやれ。仮にもこの巨大な組織の代表が、一人の女性に振り回されて右往左往する様は見ていて哀れだ」
と、貴族の彼は愉快そうに笑った。
「それは軟弱な方が悪い。仮にも冒険者たちの代表であるのなら、私の事もをちゃんと管理して欲しいものね」
「だが、絞めつけようとしたら反発するのだろう? それも盛大に」
「当然でしょう。だって、私は自由を愛する冒険者だもの。その自由を脅かす敵は必ず排除するわ」
「その結果、この都市に大きな不利益が生じる事になったとしても、だったか。……懐かしいな」
「そんな事言ったかしら?」
「初めて会った時の事だ。私はまだ十にも満たない子供だったが、よく覚えているぞ。なにせ目の前で私兵が三人ほど半殺しにされてしまったからな」
「…………あぁ、そういえばそんな事もあったわね。どうして揉めたのかは忘れたけれど、独りぼっちになって泣きじゃくっていた子供の事は覚えているわ。ドゥーク・ラフシャイナ、貴方はあまり貴族的な子供ではなかった」
「所詮は三代程度の血だからな。未熟もいいところだ。それは致しかたあるまい」
「でも、今はレフレリの顔役の一人。ずいぶんと貴族らしくなったわ」
「褒め言葉なら嬉しいがね。……さて、世話話はこれくらいにして本題に入るべきなんだろうが、重要な結論だけ先に言っておこう」
やや弛緩していた場の空気を引き絞めるように、ラフシャイナと呼ばれた貴族の表情に鋭さが過ぎった。
その落差に俺なんかは嫌でも緊張を覚えたが、アカイアネさんは平然としたものだ。或いは、その先にある言葉が読めていて、だからこそ気を張る必要がない事を判っていたのかもしれない。
「その娘の扱いに関しては、全て貴女に任せる。好きにしてくれて構わない。要望があれば可能な限り手も貸そう」
と、ラフシャイナさんは淡々とした口調で言った。
「あら? ずいぶんと物わかりがいいのね」
「我々は勝てない争いはしない主義だ。貴族らしくな。ただ、色々と話は聞かせてもらいたい。それくらいの要求は構わないだろう?」
「会話をするための用意は出来ているの?」
「無論だ。今朝には話もついた」
「念話の類かしら?」
「あぁ、魔物とも意志疎通ができると噂の男だ」
「全ての?」
「いや、一部だけだそうだが……何か気がかりでも?」
「いいえ、今ので下手な嘘吐きではない事が判ったというだけよ。いいわ。私とレニの立会いの元でなら、彼女に質問をする事を許可してあげる」
悠然とした調子で、アカイアネさんは言った。
どちらが依頼主か判らないやりとりだが、此処ではそれが当たり前なんだろう。
「そうか、それはよかった。では、報告を始めてくれ。……あぁ、もちろん、全員座った状態で構わない」
こちらを流し見て、ラフシャイナさんは苦笑を浮かべてみせる。
なんとなく機会を逸してドアの傍で棒立ちになっていたが、どうやら向こうはそれが結構気になっていたようだ。
お言葉に甘えてアカイアネさんが腰かけている方のソファを利用させてもらう事にして、俺は程無くして始まったドールマンさんの報告に耳を傾ける事にした。
§
「……それで、都市の最上層からヘリを使って脱出して、最終的には旅車に乗って魔域の包囲網から抜けたってわけだ」
出発から都市を出るまでを時系列順に語りきり、ドールマンさんは目の前のテーブルに用意されていた水を一口飲んだ。
「にわかには信じられない話だな。紫の冒険者二人の証言を疑うわけではないが。……それで、その後は平和な帰路となったのか?」
話が終わるまで相槌くらいしか打たなかったラフシャイナさんが、ここで初めて質問をする。
するとドールマンさんは不快そうに鼻を鳴らし、
「その物言い、教授からもう聞いてるんだろう? レフレリが見えてくるまで、生きた心地がしない帰り道だったよ。なにせ、背中を向けた世界が真っ白な絵の具でもぶちまけられたみたい塗りつぶされちまったんだからな。それがどこまで続くかもわからなかった」
と、昨日の事を思い出してか、苦々しい表情を浮かべた。
「白紙の膿、だったか。あの廃都市に現れたという、もう一つの絶対者。君はそれを前に何を感じた? よろければ聞かせてもらいたい」
「健全な絶望じゃないか? あれは、人の手に負えない部類の最上級ってやつだったよ。想像してみろ? 全体の面積でいえばレフレリと同じかそれ以上はあった廃都市が、一分も経たないうちに完全に消されたんだぞ? まさに白紙だ。そこに人の歴史があったという痕跡の全てがなかったことにされてしまった。今でも怖気が走るくらいだ」
吐き捨てるように、ドールマンさんはそう答えた。それだけ、その光景は彼にとってショックなものだったらしい。
まあ、たしかに、旅車の荷台の中、ぶくぶくと泡が立つような音を聞いて振り返った先にあった、あの全てを埋め尽くした超常的現象――白い霧が瞬く間に廃都市を呑み込み、呑み込むと同時に液体化して見えない水槽をいっぱいにするみたいに正方体を形取り、泡の音をより激しく響かせながら呑み込んだものを溶かしていく光景は、あまりのスケールの大きさに現実感を無くすほどのものだったけれど、正直、俺はそこまでの衝撃を覚える事はなかった。
むしろ冷めた感情が胸の内の大半を占めていて、同時に僅かながらの物哀しさにも襲われていた。
どうしてそんな奇妙な感情に到ったのかは自分でもよく判らないが、多分アカイアネさんも俺に近い感情でそれを受け止めていて――
「怖気が走るというのは言いすぎよ? だって、あれはとても哀れ存在なのだから」
「哀れ?」
「端末とはいえ人間一人すら処理できなくなっているだなんて、絶対者の名折れ以外のなんだというのかしら?」
寂しげな微笑と共に、アカイアネさんは短く息を吐いた。
「……そういえば、貴女は先にそれと対峙したのだったか。そのあたりの事はまだ聞いていなかったな」
踏み込む事をやや躊躇するような固めな声で、ラフシャイナさんが呟く。
「話すほどの事ではないわ。本体より先行してやってきたそれを適当にあしらって、逃げてきただけだし」
アカイアネさんの表情は、露骨なほどにつまらなそうだ。
おそらく、そういう反応が返ってくる事が分かっていての躊躇だったんだろう。
「倒す事は、叶わなかったのか?」
「さすがにそれが出来てしまったら、私は人間と名乗れなくなってしまうわ」
「今でも半信半疑な存在だと思うがね。その不変性を知る者からすれば」
苦笑気味に、ラフシャイナさんは言う。
「見た目が変わらない人なんてそう珍しくもないでしょう?」
「人の寿命はせいぜい三百七歳までだ。まして、貴女の魔法は生命に関するものではない。姿を弄るものでもな」
ちなみに、この世界の人間の平均寿命は二百三十歳らしいので、三百七歳という具体的な数字はレフレリでの最高齢者を引き合いに出しているんだろう。
あと、どうでもいい話なのかもしれないが、最近その寿命に関する情報を得た所為で俺はレニの年齢が少しわからなくなっていたりもした。
見た目二十前半が、四十歳とか五十歳でも成立するのがこの世界だからだ。
そういえば、以前ミーアもレニの事を年上だと強調していた気がするし、下手をすると六十代という線もあるのかもしれない。
そのあたりは、はっきりさせるておくべきなのか、ついでに他の人達の年齢にも言及するべきか……と、本当にどうでもいい事が頭の中で浮かぶ中、二人のやりとりは続く。
「私のことを探りたいのかしら?」
「それで三人死にかけた。貴女が忘れた原因だ」
からかうように、ラフシャイナさんが言った。
「もしかして、それを思い出させる為にその話題を振って来たの?」
「少しでも長く、貴女と話していたいと思ってね。健気なものだろう?」
茶化すような物言いだが、その眼差しには真剣さが窺える。
最初の印象からアカイアネさんに対して寛大だとは思っていたが、どうやらそういう感情が理由のようだ。
「……貴方、奥さんがいるでしょう?」
面倒くさそうに、彼女はため息をつく。
「愛が無くても結婚は出来る。そして私に必要なのは子供だけだ。後継という意味を持つな」
「貴族らしいわね」
「それは大きな認識不足だ。ただの貴族なら取り繕っている。だが私は、自分に嘘をつくのは嫌いでね」
真っ直ぐにアカイアネさんを見つめながら、ラフシャイナさんは語る。
それが、よほど気にいらなかったのか、
「女口説くのは仕事が終わってからにしてほしいもんだがな」
苛立ちを露わに、ドールマンさんが吐き捨てた。
結果、軽く睨みあう事になる二人。……お互い、その気持ちを隠す気はないようだ。
おかげで職員さんが困っている。俺もちょっと困っていた。会話がまったくわからない柊さんも場の空気が悪くなった事を察してか、表情を強張らせている。
……で、原因の大本であるアカイアネさんはといえば、
「サァヤカ、サヤ、カ、サヤカ。ヒーラギ、サヤカ……よし、だいぶ近づいてきたかしら?」
と、二人にはまったく関心なく、柊さんの名前の発音練習を始める始末。
というか、この人本当に色恋沙汰には一切興味がないみたいだ。まあ、脈なしである事を伝える上では、これ以上ない対応とも言えたが、きっとそんな意図すらないんだろう。
そういう意味では、この二人にも同情するが……いや、そんな必要はないか。少なくとも、ドールマンさんに対しては、絶対に要らない感情だ。
気のない相手になんて執着せずに、自分を好きだって示してくれている相手を選べばいいのに、どうしてそれが出来ないんだろう? 部外者の俺から見てもアネモーは外見も中身も可愛いと思うし、今までの関係の延長線上でしかないんだから、上手くもいくだろうに……。
「では、報告は終了としよう。そちらも、もう聞く事はないだろう? これで仕事は終わりだ」
そんな事を考えているうちに、ラフシャイナさんが話を締めにかかっていた
「え、ええ、そうですね。ありがとうございました」
視線を向けられた職員が、彼と俺たちに向かって取り繕ったような笑顔を返す。
「はぁー、やっと終わったか。これでようやく戦利品の検証ができる」
今の今までやけに静かだったノーチェス教授が、うんざりした様子で席を立った。
昨日旅車の中で嫌というほどに今の報告に関する話をしていた二人の教授にとっては、これは本当にただの確認作業だったんだろう。まあ、ラヴァド教授の方は一見すると大人な対応をして、すまし顔を崩す事はなかったが、二人して貧乏ゆすりをしていた時点で同類である。
「今度は私の知的好奇心を満たしてくれる用件で頼むぞ? こういう無駄な時間は好きじゃないんだ」
ズバズバと好き勝手な事を言い放ってから、ノーチェス教授が一目散に出て行く。
その後に続いたのはアカイアネさんだ。
「私達も帰るわ。あぁ、サヤカは私の家で預かるから、他の貴族たちの準備も出来たら訪ねてきなさい。貴方とはその時に遊んであげるわ」
俺と柊さんの手を掴み席を立った彼女は、涼しげな――ある種、小悪魔的とも取れる微笑を返して、弾むような足取りで部屋を後にした。
そうして彼女と共に外に出たところで、
「そうだ、今日の夜は宿にいて。少し話したい事があるの」
「今だと不味いですか?」
それとも、誰かに聞かれるのを避けなければならないような内容なのか。
「さっきも言ったでしょう? 私はこれから、サヤカと一緒に遊ぶから忙しいのよ」
どうやら杞憂だったようで、アカイアネさんは至極真面目なトーンでそう答えた。
よほど異世界の人間が気になるらしい。けれど、肝心の柊さんはそれをどう捉えるのか。とてもじゃないけど、そんな気分にはなれないと思うのだが……。
「悪い印象だけを残して帰すのもあれでしょう? それに、辛い時ほど関係ない事で人は気を紛らわすものよ。せっかく、お祭りも迫ってきている事だしね」
「……そうですね」
そういう考えなら、心配する必要はなさそうだ。
「それじゃあ、また祭りの日にでも会いましょう。貴方も楽しむといいわ。これだけ大きな祭りは、この国の中でもここくらいだろうしね。楽しまなければ損だもの」
最後に大人びた微笑をみせて、アカイアネさんはこちらに背を向けて歩き出した。
手を引かれる柊さんは、やっぱり状況が判っていないみたいだけど、昨日と今日の二日で少なくとも悪い人じゃない事は感じ取ったのか、さした抵抗もなく素直についていく。
そんな二人を見送ってから、俺も宿に戻るため歩き出した。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




