02
「ん、んん……」
頬に何かが当たる感触で目が覚めた。
ぼんやりとした視界が、やや低い天井を捉える。
頭が少し痛い。昨日、魔法を使いすぎた影響がまだ残っているんだろう。
「……あぁ、宿か」
寝惚けた脳味噌がこの場所を認識したところで、俺はゆっくりと上体を起こした。そして、頬に当たっていたものを把握して、ため息をつく。
隣では柊さんが眠っていたのだが、彼女の身体は何故か逆さま気味になっていて、ぴんと伸ばした右足が俺の顔面の方に向いていたのだ。
「……寝相酷いな、この子」
これも昨日の過酷さが原因なのか、それとも元々そうなのか……まあ、なんにしても爽快な寝返りが打てる程度に元気だというのはいい事だ。顔色も、昨日に比べてそんなに悪くないように見える。
俺は片手で口を覆いながら欠伸をこぼしつつ、ベッドから落ちそうだった彼女の足を掴んで位置を少しだけ調整し、布団を肩のあたりにまで掛けてから、ベッドを降りた。
もう一つのベッドに視線を向けると、右端で猫のように丸まって眠るミーアと、真ん中を陣取って枕を抱いて眠るアネモーの姿が確認できる。
ミーアの方も今にも落ちそうだが、彼女のそれはアネモーに抱きつかれるのを回避するためのものだと思うので、多分放っておいても大丈夫だろう。
あんまり寝顔を凝視するのもあれなので視線を切りつつ、とりあえず着替えを済まそうと荷物の元に向かう。
完全に意識を覚醒させるなら、その前にシャワーを浴びるべきなんだろうけど、それは昨日レフレリに戻って早々にしたし、今日は特に予定があるわけでも……いや、昨日済ませる筈だった報告を満場一致で先延ばしにしたので、冒険者組合に寄る必要はあったけど、まあそれだけだ。俺が主導でなにかをするわけでもなし、多少腑抜けていても問題はないはず。
……うん、今日はのんびりと過ごそう。
そう心に誓いつつ、ワイシャツのボタンを外していく。
最初は手間取ったこれも、今では目を瞑りながらでも出来るようになっていた。ちょっとした進歩という奴である。
そんな、ささやかな事実に満足を覚えつつ、ワイシャツを脱ぎ、何を着ようかなと自分の荷物を漁っていると、突然ドアが開かれた。
気が抜けきっていた事もあって、少し驚く。
入ってきたのはドールマンさんだった。
「すぐに出られるか? 報告さっさと済ませて遊びに行きたいからって、あの人から連絡があって――」
そこで言葉が止まる。
ついでに、視線も俺を中心に置いたところで固まってしまった。
なんだか新鮮な反応だ。瞳孔に動揺が窺える。当然だけど、狙っての事ではなかったんだろう。
こういうのを、たしかラッキースケベっていうんだったっけ? もっとも、こっちはされた側なわけだが……こういう時は、やっぱり悲鳴の一つでもあげるべきなのか、それとも激怒でもするべきなのか。なにが妥当な反応か判りにくいというのは、なかなかに困るものだ。
ドールマンさんもさっさと後ろを向いて部屋から出て行けばいいのに、言い訳でも考えているのか、こういうモデル体型が好みなのか、視線を微妙にこっちから逸らすだけで動かないし。その所為で、こっちの無反応が妙に浮いた感じになってしまっている。
やはり、恥じらいの一つくらいは見せておくべきだったのかもしれない。そうすれば、彼もすぐに退散できたかもしれないわけだし……いや、でも、下ならともかく上を見られたくらいで恥ずかしがるというのは、正直男の俺にはよく判らない感情だし、無理して演じても不自然になるだけか。……って、なんか、妙な事に頭を悩ませる羽目になったが、これ以上この停滞が続いても困る。
「そろそろアネモーでも起こそうと思いますけど、そこに居ていいんですか?」
「あ、わ、悪いっ!」
我に返ったような反応と共に、ドールマンさんは慌てて部屋を出て行った。
それを確認したところで俺はマイペースに着替えをすませ、お気に入りの懐中時計に手を伸ばす。
時刻は、六時二十分を指していた。
他の面々がまだ寝ているから、二時とかそれくらいの時間だと思っていたんだけれど、どうやら昼前だったようだ。だから、とっくに起きて諸々済ませているだろうという前提で、ドールマンさんも入って来たんだろう。まあ、仮にそうだとしても女性の部屋に入るのにノックもないというのは、愚かとさえ言われかねない迂闊さではあるが、それも俺たちと同じように昨日の件で疲れているからと考えれば、仕方がないかな、と思えなくもない。
「……それで、必要なのは異世界の彼女だけですよね?」
外にいるドールマンさんに向かって、少しだけ声のボリュームを上げて訪ねる。このやりとりで起きてこないようなら、二人はこのまま眠らせておけばいいだろう。
「あぁ、そうだ。言葉は悪いかもしれないが、今回の仕事において彼女は一番特別な収穫になるからな。依頼主も是非とも会って確認したいって事なんだろうさ」
「それはわかりますけど。そのあとは? どういう流れになりそうですか?」
「現状じゃ何とも言えないな。ただ、あの人は元の世界に帰す事を望んでる。なら、どうあっても悪いようにはならないだろう。なにせ、ここはレフレリだからな。ナアレ・アカイアネの意見を無碍にできる奴はいない」
それほどまでの影響力をもっているというのは、今知らされた事実ではあるのだが、驚くべきことに、そこに疑念を挟む余地は、これっぽっちといっていいほど存在していなかった。
「それなら、安心できそうですね。じゃあ、今から起こしますので、十分ほどしてからまた来てください。……あぁ、今度はちゃんとノックをしてくださいね? 誰かの下着姿が見れなくても」
「わ、判ってるよ! 悪かったって!」
それじゃあ十分後に、と早口で言って、ドールマンさんは自分の借りている部屋に戻っていく。
それを足音で把握しつつ、俺は柊さんを起こすことにした。
次回は二日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




