第五章/五色祭 01
遠くで花火の音が鳴っている。
その音に釣られて多くの人が空を見上げている最中、俺と母は夜店のクジで万華鏡を引き当てていた。
正直、俺には外れでしかないものだったけれど、母はそれを狙っていたのか、やたらと満足そうな笑顔を浮かべて、
「じゃあ、そろそろ私たちも花火を見ようか」
と言って、俺の手を引き歩き出した。
二人で生活するようになって初めての夏祭り。
せっかくだからと浴衣をレンタルした母は、普段より幾分若く見えた。
二十三になったばかりの人に、この表現は少しおかしいのかもしれないけど、それだけ普段の母はくたびれていたのだ。仕事に全然慣れていない時期だった。
まあ、そんな時期なんだったら、なおさら仕事に励む必要があるのかもしれないけど、店側の優しさか、或いは居ても居なくても変わりはないと判断されてか、今日の休みを貰ったのである。
「それにしても、人多いね。神社のあたりが一番の良く見えるらしいんだけど……」
その神社に行くには長い長い階段を上る必要があった。
下駄を穿いている母には辛い道程だろう。すでに歩き方がぎこちないものになっていたし、無理をしてまで行くような価値があるとも思えない。大体、花火なんてネットかなにかで見ればいいのだ。生で見ようが画面越しに見ようが、大差なんてないんだし。それよりも、夜店をのんびりと巡るほうがずっと楽しいに決まっている。
「リンゴ飴食べたい。あとたこ焼き。あそこで座って食べようよ」
自動販売機の脇にある空いていたベンチを指差して、俺は言った。
母は少しだけ残念そうな顔をしていたけれど、
「そうね、そうしよっか」
と、小さく微笑んで、たこ焼きとリンゴ飴を二つ買ってベンチに腰かけた。
「……」
二人して短く息を吐く。歩き疲れの影響だ。
そうして少しだけ脱力したところで、なんとなく周囲を見渡すことにした。
綺麗な半月の夜だった。風はなかったけれど、この時期にしては涼しい。
その涼しさを掻き消すように、向かい合って並ぶ夜店の間を多くの人々が行きかっている。
恋人、親子、友人、老夫婦……みんな和気藹々としていて幸せそうだ。
いつもは、そういうのを前にすると疎外感を感じるばかりだったけれど、今日は自分たちもその中に溶け込んでいる。そんな事を感じながら、リンゴ飴をかじる。
母は食べ物よりも万華鏡が気になるのか、袋に入ったままのリンゴ飴を脇に置いて、右手にもったそのチープな玩具を掲げて、片目を閉じて覗きこんでいた。
「……綺麗」
うっとりとした呟き。
俺の左手を握る力を少し強めつつ、母は万華鏡を回していく。
「こんな風に綺麗でいられたら、お客さんもいっぱいつくのかな……」
――向いてないよ、母さんには。
本音が頭の中に浮かび上がって今にも吐きだしそうにしていたけれど、幸せそうにそれを見ている母に言えるわけもなくて……。
「……私、頑張るよ。頑張ってお金持ちになるの。値段見ないで商品をカゴに入れられるくらいに。好きなものを気兼ねなく買えるくらいに。そして、いつか一軒家を買うわ。私と蓮の家。ずっと一緒に居られる場所」
肩にかけていた小さなバッグに万華鏡を仕舞って、母は俺の方を向いて言った。
「そうだ。来年は自前の浴衣で来る事にしましょう。その時は蓮も浴衣を着るのよ。嫌がっても着せちゃうんだから。それで再来年は……そうね、屋台でも制覇しましょうか。くじ引きとか、金魚すくいとか、みんなやっちゃうの。面白そうでしょう?」
「……うん。そうだね」
夢を見るようなその言葉に、俺は小さく頷いた。叶えばいいと思いながら。叶わなければいいと思いながら。どちらの未来が、二人にとって幸せなものなのかを、計りかねながら。
……遠い昔の話だ。
そのくせ昨日の事のように覚えている。
もう何年も経っているのに母の顔は鮮明で、この時の不安も色褪せる事はない。
これは幸せな夢なのか、哀しい夢なのか……いずれにしても、もうすぐ醒める。夢っていう奴は、それが夢だと気付い途端に消えてしまうというのが大半だからだ。
それを寂しく思いながら、俺は一番印象に残っている母の言葉を噛みしめた。
「蓮。貴方は私が必ず幸せにするからね。どんな事をしてでも、必ず幸せにするから。だから、今だけは我慢してね。お母さんを、好きなままでいてね。……お願いよ?」
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




