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09

 せめて、シートベルトの存在くらいは伝えておくべきだった。

 開けっ放しになっていたドアを咄嗟に閉めながら、俺は墜落の浮遊感と軽い後悔に晒されていた。

 ドアの取っ手部分を掴んでいるので、天井に叩きつけられる事はなさそうだが、かなりの速度で落ちている。

 その証拠に、浮いた足は天井の方に向いていたし、対処できなかったアネモーとコーエンさんは重力によってそこに押し付けられていた。

 まあ、一番そうなったら不味い柊さんは、ドールマンさんが脇に抱える事によってなんとか耐えられていたのでまだ致命傷にはなっていないが、それも魔物が追い付くまでの話だ。それまでに、なんとかしてヘリを立て直さなければならない。

 ラヴァド教授は無理だと言っていたが、この身体が操縦桿に触れて強化の魔法(とりあえず、今はそういうものとして扱う)を施す事が出来れば可能性はある。

 もちろん、強化に耐えきれずに空中分解するという未来の方が濃厚な感じではあるが、墜ちる事が確定した今、失敗のリスクなんてないも同然だ。

 右手を離して天井の上に着地し、俺は軽く力こめて操縦席の背もたれに向かって跳躍する。

 そこで、どうして操縦桿に触れる必要があると思ったのかという疑問が過ぎったが、そのあたりはこちらの預かり知らない記憶であったり経験であったりが判断しての事だろう。

 とにかく、操縦桿に触って、そこで魔法を使う事に意味があるのだという確信を元に、左腋に背もたれの部分を挟むようにして体を固定し、右手を伸ばした。

「――っ、な、なにか良い手でもあるのか!?」

 俺の手に気付いたラヴァド教授が、必死に操縦桿を握りながら叫ぶように言う。

 あると言いきれるほどの自信はないので、言葉を返すのは行動のあとだ。

 なんとか操縦桿に触れて、もっと高く飛べと、もっと速く飛べ、ついでに頑丈になれと曖昧な願いを込める。

 発動条件がいまいち判っていない不安は、信号石の時の比ではなかったが……そういった精神的な揺らぎなどは関係なしに、この魔法は機能するようだ。

 プロペラの回る音が変わった。そして、凄まじい速度でヘリが上昇していく。

 おかげで、天井に磔になっていた二人が凄い勢いで本来の足場に叩きつけられる事になったが、そこについては完全な失念である。無事に大地に降りられたら「ごめん」と謝ろうと思うが、今はそれよりも機体の状態が気がかりだった。

 すぐに空中分解とはいかなかったが、明らかに機内からヤバい音が聞こえてきている。これは金属が軋む音だ。

 はたして、どれだけ耐えてくれるか。

 ……というか、この状況だと上昇は不味い。ゆっくりと下降しながら、魔物との直線距離だけを離していかないと、空中分解した時に終わってしまう。

「もう上を使わなくても逃げ切れそうだな。高度を落としていくぞ?」

 同じことを考えたのか、ラヴァド教授が引いていた操縦桿をゆっくりと前に倒しはじめた。

 だが、高度が下がらない。むしろどんどん上がっていく。

 移動速度も同様だ。加速度的に増していき、それはやがてフロントガラスに罅を入れるほどの領域にまで達してしまった。

 魔物は完全に引き離せたが、これでは空中分解するよりも先に成層圏に突入しそうな勢いである。

「……高すぎる。これじゃあ魔域に突入してしまう。何とか落とせないのか?」

 怯えた表情で天井を見据えながら、コーエンさんが言った。

 操縦桿からはとっくに手を離していてこの状況なので、魔法の効果は多分消えない。

 そんな状態で機能を低下させる方法、方法……たとえば動力を抜くのはどうだろうか? 一時的にエンジンを切る事で、速度や高度を調節する。

 おおよそ正気とは思えない賭けになりそうだが、幸いヘリの動力は機内にあったはずだ。実行する事自体はそこまで難しくない。

 その提案をしてみると、間髪入れずに「あぁ、それで行こうと」とドールマンさんが頷いてくれた。

 そして一番近くにいたミーアが、すかさず動力を引っこ抜く。

「上昇が止まったな。加速も終わった」

 と、この異常を一番間近で体感しているラヴァド教授が呟いた。

 機内に響く軋みは相変わらずだが、とりあえず魔域に突入する事態は回避できたようだ。

 あとは、勢いが消えそうなタイミングでまた動力を嵌め、加速してを繰り返せば、なんとかなりそうな気がする。

 ……というか、本当になんとかなった。むしろ、その希望的観測以上の結果だった。

 動力を引っこ抜いた事で魔法が機能を失ったのか、もう一度動力を付けたあとは、普通に飛ぶ事が出来たのだ。

 その状態が十分くらい続いたところでだろうか、機内に安堵の吐息が漏れた。

「ザラー、状況はどうなってる?」

「順調に抜け道を進めている。多少左にずれてはいるが、許容内だ。この調子なら、魔域は回避できそうだな。魔物も今のところ、この高さにはいない」

 ドールマンさんの問いに、コーエンさんは力ない声で答えた。

「そうか、それはよかった。……ヘリだったっけ? こいつもよく頑張ってくれたな。見た目以上には頑丈だったわけだ。まあ、それ以上にレニの魔法に救われたって感じではあるが、一体どんな――」

 ガギャァン! とプロペラのあたりで金属が引きちぎれるような音がした。

 直後、ヘリの軌道が斜め下に一気に傾く。

 どうやら、ついに限界を迎えたようだ。ドールマンさんの言葉のタイミングが絶妙過ぎて、少し脱力すら覚えたが……まあ、元々飛んだ瞬間からどう足掻いても墜ちるものだという認識はあったし(着陸なんて難しい芸当素人には絶対出来ないと思っていたので)、ここまで連れて来てくれたのなら上々だ。

 時間も十分稼げた。今なら具現化が使える。

 高度も程々まで下がっているし、これならなんとでもなるだろう。

「何人か私に掴まってください。右腕以外の場所にお願いします。それ以外の人は掴まった人に掴まって。今から外に出ます」

 二人の教授がこちらの服を掴んだのを確認してから、後部座席側の中央付近に移動して、右足と足場を繋ぐように、短い足枷を具現化する。これで宙に浮く心配はなくなった。

「しかし、この状況は凄いな。まさしく両手に花だ。悪い事ばっかりでもないな」

 片方に柊さんを抱いて、もう片方で俺の腰に手を回したドールマンさんが愉しそうに笑う。

「変なところ、触らないでくださいね?」

「心外だな。それは教授かガフあたりにする注意だろう?」

 それはそうなのかもしれないが、ザーナンテさんはそんな気分じゃないだろうし、ノーチェス教授も別に女に興味津々というわけでもないだろう。

 ともあれ、全員が連結したのを確認したところで、俺は右手にやや大き目なハンマーを具現化して、それを力一杯に真上に突きあげた。

 天井が吹き飛び、空が露わになる。

 その脱出口に向かって跳んで、今度は右手に巨大な傘を具現化した。

 ……いや、本当はグライダーとかを用意したかったのだが、落下速度を緩和するものとしてすぐに頭の中で用意出来そうなものがこれしかなかったのだ。

 なんともメルヘンチックに、パラソルはきりもみ回転をしながら緩やかに地面に向かって落ちていく。

 ちょっと目が回りそうだけど、空飛ぶ棺桶から無事に出られた解放感もあって、正直そこまで悪い気分でもなかった。

「おぉ、絶景だなぁ」

 と、ノーチェス教授が呟く。

 いつのまにか、雲の下にまで来ていたようだ。

 地表が見えるところまで無事に辿りつけた事実に、喜びと安堵を覚えたいところだったが……泣きそうな顔でじっと遙か後方に視線を向け続けているミミトミアさんを見ていると、素直に喜ぶ事は出来なかった。

 とはいえ、代わりに悲しみが湧きあがってくるというわけでもない。

 か細い望みなのは間違いないんだろうけど、アカイアネさんの死はまだ確定したわけではないからだ。彼女の傍にはネムレシアがいた。絶対者さえなんとか出来ていれば、あの少女の力で逃げることは出来る筈。

 そうあって欲しいと切に願う。彼女とはまだ色々と話したい事があるのだ。訊きたい事もあった。

「……嘘、まだ追ってくるの? 執念深すぎでしょ」

 ちょっと泣きそうなアネモーの声。

 考え事をしている僅かな間に、後方から巨大な波が近付いてきていた。

 廃都市に居た魔物の群れである。

 速い。追いつかれそうだ。まあ、その前に地面には着地できそうなので、深刻な問題でもないけれど、

「左右から魔物が近付いてきている。後ろの奴に反応したのか、こっちに気付いたみたいだ」

 というコーエンさんの言葉のままに、まだまだ落ち着くことは許してもらえないらしい。

 視線を左右に向けると、空を飛ぶ魔物たちが一直線に近づいてきていた。彼等は間違いなくこちらが空中にいる間に到着するだろう。

 ……と、思っていたが、なんだが様子がおかしい。

 突然、彼等の速度が落ちたのだ。もしかすると地上の魔物たちとタイミングを合わせているのかもしれないが――

「驚いた。本当に凄いですね、彼女は」

 その考えを否定するように、真正面から俺の腰に抱きついていたミーアが感嘆の声を漏らした。

 彼女?

 視線を地上に戻して、目を凝らしてみる。

 すると、魔物たちの群れの中に、凄まじく場違いな存在が混入されていたのを確認する事が出来た。

 これ以上ないくらいの安堵が零れる。

 アカイアネさんだ。俺たちが置いてきた旅車を引いて、彼女は魔物たちの先頭を突っ走っていた。

 まったくもって、予想の斜め上過ぎる展開。さすがに、こういう形で再会するとは夢にも思わなかった。

「しかし、なるほど、そういう魔法ですか」

 地上の追いかけっこを眺めながら、ミーアが呟く。

 その言葉に惹かれて魔物の動きを注視すると、彼等はずいぶんと不自然な動きをしていた。真っ直ぐ進めばいいのに、蛇行を繰り返していたのだ。

 その所為で、どんどんアカイアネさんからは離れて行き、やがて彼女の独走となった。

「概念に干渉する類だとは思っていましたが、どうやら彼女のそれは道筋に纏わるもののようですね。おそらく、直線か曲線の二択しかないのでしょうが、干渉できるものが多い。規模も大したものですね。あの位置から、空の魔物たちにまで干渉できるわけですから」

 ……つまり、空の魔物たちはこちらまでの道筋を曲線に変えられた所為で、物理的な距離以上の距離を費やす必要が出来て、その結果こちらには速度が遅くなったように見え。地上の魔物たちはもっと直接的にまっすぐ進むことが禁じられたから、ああなったという事のようだ。

 なかなか理解するのが難しいというか、幅が広すぎてどこまでの事が可能なのか判り辛い魔法のようだけど、強力無比なのは間違いないだろう。

「みんなぁー、生きてるかしらー?」

 そんな魔法を披露しながら、アカイアネさんは山彦を愉しむかのような、のほほんとした声を投げかけてきた。

「「い、生きてる! 生きてるよぉぉお!」」

 耳が痛くなるくらいの大声を返したのは、ミミトミアさんとザーナンテさんだ。

 それは折れそうにみえた二人の精神に、再び芯が戻った瞬間だった。おかげで、こちらの肩の荷も少しだけ軽くなった気がする。

「なんとか、無事に帰れそうですね」

 静かな調子で言いながら、ミーアが少しだけ密着を強くしてきた。

 それは外への警戒を緩めた証だ。ただ、しがみつくことを優先したというだけの話。でも、そこに彼女のほっとした瞬間を見た気がして、

「……あぁ、そうだね」

 まだ完全に安全圏に入ったわけじゃないけれど、もう心配はないだろうという確信をもって、俺は少しだけ目を閉じて、張り詰めきっていた神経を休ませる事にした。


次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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