07
空を飛ぶ小型の魔物を踏み台に空中を移動しながら、俺は四枚羽との距離を埋めようとしていた。
それを察知してか、そいつは慌て気味に上昇を始めたが、僅かに遅い。
赤い液体を浴びて墜落する小型の背中になんとか乗り移り、即座に跳躍して高さを確保する。
これで、ぎりぎり射程内に入った。
だが相手の反応を考えれば多分これは当たらない。横薙の斬撃は、案の定急下降した四枚羽の頭上を掠めるだけだった。
とはいえ、相手の高度を下げる事には成功したので、結果は上々だ。
俺は跳躍を終えて落下し始めた身体の浮遊感を味わいつつ、右手に十メートルほどの長さの、登山とかで使われるピッケルのようなカタチの武器を具現化し、上空にいた一体の背中に引っ掛ける。
刃が半ばまで刺さる手応えと、微かな頭痛。
そのタイミングで、アネモーの矢が放たれた。
広範囲を巻き込む鋭い一撃だ。多少こちらに意識が割いていた事もあってか、四枚羽は大きな回避を余儀なくされていて、さらに羽の一つに傷を負ってくれた。
決定打ではないが、畳み掛けるにはいい流れ。
アネモーもそう感じたのか、間髪入れずに二射目が放たれる。
相手の中心ではなく、やや右寄りを狙った――つまり、左に避けやすい攻撃だ。
そしてその回避先に届く距離に、絶好の踏み台があった。
俺は振り子運動を始めたピッケルからタイミングよく手を離して、そこに向かって飛び降りる。
曲芸師さながらの行動だが、力加減は上手くいった。この分なら問題なく次の行動に移れそうだ。
そう思った矢先、四枚羽の足の裏から、ゴボゴボ、という音と共に真っ赤な液体が吐きだされた。
鼻から撒かれるものよりもずっと大量のそれらが、踏み台として使うはずだった魔物に降りそそがれる。
溶けるまでに間に合うか――なんて考える間もなかった。
量以上に濃度も凄かったのか、殆ど蒸発といっていいレベルで消えてしまったのだ。
おかげで、この身体は墜落コースに入ってしまった。四枚羽の近くを飛んでいる魔物も、今ので最後になっていた。
真下にあるのは見渡す限りの雲。その切れ間の先にあるのも、また別の雲だ。
思っていたよりも遙かに高い場所に、自分たちはいる。そんな事実を肌で感じながら、しかし絶望を覚える事はなかった。
アネモーの三射目が、決定的に魔物の動きを制限してくれたから。そして、こちらもまだ完全に足を踏み外したわけではなかったからだ。
四枚羽は両対応が難しいと判断してか、最後までレニ・ソルクラウを優先的に警戒してアネモーへの対処を二の次にしたみたいだけど、見積りが甘い。
俺が今いる位置と最上階までの直線距離は大体百二十メートル程度、足元からその長さの棒かなにかでも具現化すればギリギリ接点を作れる間合いの中にあった。
それを足場に跳躍し、四枚羽の頭上を取る。
姿勢制御も問題なし。あとは右手に武器を具現化して、それを振り抜くだけ――
「――っ」
また頭痛が走った。
今度はかなりしんどい。具現化の連続で神経に負担がかかっているのか。それとも、こんな時にレニの記憶が再現されようとしているのか。
どちらにしても、決定的なガタが来る前に俺は右手を振り抜いた。
剣とも槍とも斧ともいえない、ただ鋭いだけの黒い線のような得物をもって、四枚羽の首を刎ね落とす。
これで最大の脅威は排除した。あとはこいつを最後の踏み台にして、最上階に戻るだけ。そこまでが一応のプランだった。
だが想定外というべきか、こちらの見積りも甘かったというべきか、四枚羽から噴きだした血は、なんとその身体すらも容易く溶解する代物だったのだ。
これまたあっという間にドロドロになって、骨すら残らず液化する四枚羽。
それなら足場にした黒い棒に引っ掛けるように長いフックでも作ってしまえば、なんとか最上階に掴まっていられるだろう判断し、頭の中でイメージしたそれを具現化しようとするが、そこで危惧していたレニの記憶が視界を染め上げて――
§
――突然の頭痛に、私は眉を顰めた。
それでも気にせずに具現化の練習を続けていくと、今度は魔法が使えなくなってしまった。
魔力量はまだ足りているというのに、どうしてそのような事態に陥ってしまったのか……。
最初は判らなかったが、どうやらそれはもう一つの魔法の方――正確に言えばその魔法を行使するために必要な『核』の方に原因があるようだった。
最低限それが使えるだけの魔力量がそこに取られてしまっているとでもいうのか、とにかく私の魔力でありながら、私の管理の外にある魔力が存在しているのだ。
しかも、それはかなりの量で、どれだけ試みてもその魔力で具現化の魔法を行使する事は出来なかった。
なんとも不快な話だが、教会ですら正しく判別できなかった魔力特性だ。これくらいの不具合があってもおかしくはない。
もちろん、自由に使える魔力量が想定していたよりも低かったという事実や、独立して機能しているような核の存在には苛立ちを抑えきれないが……。
「……まあ、実戦に到る前に気付けたのは幸いか」
本格的に魔法の練習を始めて二日目の成果としても上々だろう。
枯渇のサインは頭痛。それが激しくなりだすと、しばらく具現化の魔法は使えない。
「消耗と回復の改善が課題だな。もっと効率よく武器を生み出し、もっと迅速に防具を切り替える。……くだらない連中と時間を共にする前に、最低限それくらいは身に着けておかなければな」
でなければ、万が一にも隙があるなどと思われてしまうかもしれない。そんな無様は許されない。
痛みが引いて、少しでも魔力が回復したらすぐに練習再開だ。
私は自室のベッドに身体を預け、ぼんやりと天井を眺めながら、最適な魔法の使い方について色々と思考を巡らせる事にして――
§
――遅い! その情報、致命的に遅い!
今まさに実戦の場で発覚した問題に狼狽えながら、俺はこの脳味噌が抱えている虫食いだらけの情報に悪態をついた。
というかヤバい。本格的にヤバい。
今の記憶が全部真実だという事を告げるみたいに、義手がさらさらと砂のように崩れてつけていた手袋が宙を舞っていたし、ヘリを守っていた黒い匣も制御に必要な魔力を失った事によって崩壊を始めていた。
改めて周囲を見渡してみるけど、当然ながら空を飛んでいる魔物ももういない。
こうなった以上、魔力が回復するまで待って、回復したところで都市の外壁に武器を刺して落下を止めるという選択肢くらいしか残っていなさそうだが……たしか、スカイダイビングで地面に届くまでの時間が三分くらいだった筈で、ここが一般的なスカイダイビングで飛び降りる高さよりある程度高かったとしても、せいぜい五分程度。その五分で魔法を使える状態に戻せるとは思えないし、そもそもこの身体が耐えうる高さがどの程度なのかもわかっていない。さらに言うなら、地表は魔物で埋め尽くされているのだ。どう足掻いても落ちた時点でアウト。こうしてうだうだ考えている間にも、この身体は重力に引っ張られているし……これは、本当に死んだかもしれない。
半ば諦めを覚えながら、それでも足掻くだけは足掻いてみるかと魔力の回復に意識を向ける。
そこに、
「蹴り飛ばして! 血をつけて! 早く!」
という、ミーアの鋭い声が届いた。
「は? お、おう! ――わかった!」
ドールマンさんが一瞬の戸惑いと、理解を示す力強い頷きを音で示す。
視線を向けると、ミーアが攻撃を巧みに回避しながら外壁の傍まで誘導していた不死種に、ドールマンさんが思い切り前蹴りを入れている光景が目に入ってきた。
渾身の一撃だったんだろう。不死種は派手に吹き飛び最上階から落とされ――ちょうど、俺の落下先のあたりにやってくる。
これ以上ないくらいに最高のフォローだ。この救いに縋らない手はない。
そうして用意してもらった最後の足場――ドールマンさんの血が付着し、そこに込められていた魔法によって多少そこらの魔物と同じ肉体になっていた部分――を思い切り蹴って、俺は最上階に向かって跳びこんだ。
ある程度の余裕をもって、地面に足をつける。
だが、安堵するのはまだ先だ。
「ヘリを飛ばしてください!」
俺の言葉に頷くように、プロペラが回りだす。
緩慢な速度。早くても三十秒くらいはかかりそうだった。
一番強固なものにしていたからか、ヘリを包む匣(もう上の方は完全に崩壊しるので、塀といった方が適切かもしれないが)がかろうじて機能している事と、ザーナンテさんが魔物をある程度引き受けてくれているおかげで、まだヘリは健在だが、それでも三十秒後も同じ状態でいられるほどの余裕はない
「信号石は?」
「ユミル!」
「わ、わかってるわよ!」
コーエンさんの言葉に促されるように、ミミトミアさんがそれをこちらに向かって放り投げる。
狙いは正確だったので、受け取りに手間取ることはなかった。
「皆、ヘリに急いで!」
そう声を掛けながら、俺もヘリに向かって駆けだす。
駆けだしながら、右手に握ったそれに意識を向けた。
思い出す必要があるのはグルドワグラとの戦いだ。あの時、信号石は多分それが本来もっている性能以上の効果を発揮した。
単純に考えれば強化されたという事なんだろうが、多分そういう類の魔法ではないんだろう。そもそも強化という魔法はそこまでレアなものでもないからだ。
副産物として強化という恩恵がある魔法。極端な向上のために、自分に使うには非常にリスクのある魔法。そして、おそらくレニ・ソルクラウだけでは不足していて、あの聲がなにかしらの目的の為に必要としている魔法。
……まあ、今欲しいのは強化出来るという要素だけなので、ここで無駄な考察は必要ない。大事なのは同じ事が出来るかどうか。
あの時はどうしていた? まだ具現化の魔法すら知らなかった頃だ。魔法を意識した覚えはない。ただ、祈るように信号石に期待して、それを放り投げた。
とりあえずは同じように、信号石がしっかりと効果を発揮してくれる事を強く願ってみる。……これで成立したのかどうかは全く分からないが、これはあくまで試しだ。具現化が使えないというのがどうしようもなくネックではあるけど、使えないなら使えないで、この身体を使ってヘリが飛ぶまで魔物を近付かせないようにするだけの事。
だから過度な期待はしないように、だけどしっかりと期待を込めて、信号石を地面に叩きつける。
瞬間、凄まじい音と光が周囲を埋め尽くした。
続いて魔物たちの呻き声が届く。
どうやら、成功したみたいだ。
ゆっくりと目を開けると、魔物たちの多くがぐったりと地面に倒れ込んでいた。かなり効いている様子。これなら、飛ぶまでの間は大人しくしていてくれるだろう。
その猶予を活かしてこの場にいる全員が安全にヘリに乗り込んだのを確認してから、俺も後部座席に乗り込む。
ほどなくして、ヘリが浮上した。
操作性うんぬんの話があったとおり、急速な上昇で機内はかなり揺れたが、地を這う魔物の射程外にさえ逃げられればなんだっていい……と言いたいところだったが、まだ彼女の姿が見えていない。
「アカイアネさんの気配は?」
「わからない。あまりに魔物が多すぎて、下の状況は不明だ」
俺の質問に、コーエンさんが苦い顔で答えた。
状況の悪さを考えれば、いかに彼女が突出した人物であったとしても楽観はできないだろう。
「教授、高度を維持したままこの場所に留まる事は出来そうですか?」
「ある程度大雑把でいいなら、何となりそうだと言いたいところだが――」
ノーチェス教授の声を掻き消すように、魔物たちが咆哮をあげた。
怒り心頭といった具合である。ヘリの挙動も怪しい。
「……一分程度、上々の効果でしたね。信号石はあと何個ありますか?」
静かな口調でミーアが訪ねた。
「二個だ。同じのが二個」
と、コーエンさんが答える。
「では、最大であと二分。いえ、魔物に耐性がつく可能性を考えれば一分半程度ですね。この状況を維持できるのは」
その言葉の裏にあるのは、アカイアネさんを見捨てるという選択だ。待てるのはそこまでで、それ以上は許されないという判断。
正直、受け入れるには苦いものだが、実際それが正解なんだろう。彼女一人の為に此処にいる全員を危険に晒すわけにはいかない。
二個目の信号石を使用しながら、俺はそれをどう伝えるべきか考えるが……上手い言葉なんて、出てくるわけもなく。
「やはり耐性がついていますね、次は三十秒程度でしょうか。……潮時ですね」
そんな努力は無駄だといわんばかりに、冷たい声でミーアが呟いた。
「潮時? お前、ナアレさんを見捨てろって言いたいわけ?」
「それはダメだぞ! 許さない!」
ミミトミアさんだけでなく、ザーナンテさんも怒りを露わにミーアに凄む。
それは至極真っ当な感情だ。
でも、ミーアにとってはそれこそ許しがたいものなのか、殺意に近い空気すら滲ませていて――不味いと思った。その先を口にさせてはいけないと直感的に感じたのだ。
なにより、今この場で責任を預かっているのは俺だ。それは俺が口にするべき事で、彼女が負うものじゃない。だから、
「教授、効果が尽きるまでにアカイアネさんが来なかった場合は、そのまま抜け道に向かって飛んでください。……これ以上、生きているかどうかわからない人の為に、危険は冒せない」
真っ直ぐに二人を見据えながら、俺は言った。
直後、ミミトミアさんの握りしめられた拳が振り抜かれていたが、避ける気にはなれずに鈍い痛みと共に唇が切れて、
「ふざけんなよ! この腕なしの罪人が!」
憎悪に満ちた怒声が、機内に響き渡った。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。




