05
動力を発見するのに、特に苦労はなかった。
迷う事なく最短で目的地に到着し、探すという行為すら殆どなく、アカイアネさんが見つけてしまったからだ。
「それにしても、これはなかなか面白いわね。誰の魔力でも機能するように作られているわ。色を全部抜いて、同じにしようとする魔法が働いている」
左手にもった動力(拳ほどの大きさの菱形の紫色の石)を左右に傾け、様々な角度から観察しながらアカイアネさんは呟く。
「本当に出力だけを求めているのね。それで動くように設計されている。……レニ、貴女には今これに宿した私の魔力が感じ取れるかしら?」
「……ええ、一応は。ですが、判りにくいですね。凄く」
「でしょうね。色を失った魔力というものは、気配を殺しているようなものだから、魔物の感知にも引っ掛かりにくい。これならたしかに、ある程度の安全を手にした上で、空を移動できるかもしれないわ。いい情報ね」
あまり興味はないのかどこか退屈そうに言って、彼女はそれを懐に仕舞った。
「なにはともあれ、本題は終了。あとは適当に寄り道をして、魔法陣や異世界に関する情報を集めながら戻るだけだけど……どうやら、悪い報せも届いてしまったみたいね」
代わりに折り畳み式のハンマーと同じく折り畳み式の剣をコートの内側から取り出して、展開させる。
かなり特殊な二刀流だ。それが彼女の戦闘スタイルなんだろうか。
いずれにしても、なにか不味い存在が近付いてきているみたいなので、俺も右手に剣を顕現させて、感知能力に意識を傾ける。
すると、かろうじて敵意のようなものを捉える事が出来た。
上の階だ。天井越しに攻撃を仕掛けてくるつもりのようである。距離は五十メートル程度。
十分、届く間合いだ。
なら、わざわざ相手に先手を譲ってやる事もない。
具現化した剣に、魔力を継ぎ足してそのリーチを最大に伸ばしながら、俺は大上段に右腕を振り抜いた。
「ダメよ。今のは横薙ぎに払えば三体は殺せたわ。貴女の魔法はとても強いのだから、もっと強みを押し付けなさい。さあ、もう一度よ。次は出来るでしょう? 散布された自身の魔力が敵の居場所をより正確に教えてくれている筈」
……彼女の言葉の通りだった。
剣の切っ先から漏れた魔力が、その近辺にあるものをソナーのように伝えてくれている。
魔力散布という行為は知識としては知っていたけれど、こうして実感したのは初めてだった。というか、そんな事よりも突然講義のようなものが始まった事に、こちらとしては戸惑いを隠せないわけだけど……まあ、聞いて損はなさそうだし、水を差す理由もない。
剣を横薙に振り抜いて、更に二体ほどの敵を仕留める。
「もっと魔法の使い方を考えて。遠距離の敵を仕留める時は、斬る瞬間だけに魔力を注ぎなさい。それが出来ていないから攻撃の角度なんかを気にする必要が出てくるし、なにより消耗が激し過ぎる。すぐに顕して、すぐに消す。特に外では敵の数が初めから判っているわけではないのだから、長期戦を前提にする必要があるわ。――ほら、奥からまた来た。今度は大物よ。こそこそ隠れるような雑魚ではない。本番ね、私は背後の敵をやるわ」
そう言って、アカイアネさんはこちらに背中を向けた。
直後、なにかの衝突音が響く。その時生じた魔力によって、魔物の存在を感知することが出来た。かなり近い、十メートル程度だ。
「下手くそな擬態は可愛いけれど、近づき方は不細工だわ」
軽やかに地面を駆ける音が鳴り、続けて魔物の断末魔が届く。
肉を裂く音と骨を砕く音が交互に行きかい、彼女は敵を蹂躪していく。
その様子は、出来れば見ておきたかったけれど……どうやら、余所見をしていい相手ではなさそうだった。
肌を刺す敵意。空間を揺らめかすほどの魔力。
一応鳥の形をした魔物だ。足が二本あり、翼はない代わりにサメの口のような牙だらけの無数の手を、翼に見えるように並べている。
ただし、頭部は異形そのもので、顔の半分以上が蠢くミミズの大群みたいな舌に占拠されていて、余った箇所(人で言うオデコの位置)には、ハチの巣のような穴が開いていた。鼻のようでもあるが、耳のようにも見える。少なくとも、眼球ではなさそうだ
なんにしても、否応なく生理的嫌悪を抱かせる、立派な化物である。
「ランツァプレね。グルドワグラ種の一種よ。そいつは水じゃなくて物体を砂状に砕いたものを飛ばしてくるわ。射程距離は短いけれど、威力が高い」
アカイアネさんの方にも、同じ魔力をもった化物の気配がある。
それも複数だ。……まあ、俺の方も後続にまだ何体か居そうではあるが。
「大した相手ではないけれど、これだけ数がいると少々面倒かもしれないわね。……そうだ、信号石でも使ってみる? 冒険者の必需品。私は普段持ち歩かないのだけど」
では、何故今それを持っているのか?
そんな疑問は後回しでいい。今は脅威の排除に神経を注ぐべきだ。
「合図をください。そちらに合わせて仕掛けます」
「その必要はないわ。相手の動きを見てから動けばいい。その方が安全だもの」
ふふ、と笑みが零れると共に、背後で光が生じる。
行使者の位置と、魔物を遠ざける魔除けを宿した強烈な光と音――の筈なのだが、どうにも効果が乏しい。
以前、グルドワグラに使った時はもっと――
「一級品の信号石だったのだけど、やっぱり大した効果はなしね。聴覚に優れている相手には、音による威嚇は利きにくい。まあ、耳がいいという事は、音の選別にも長けているという事だから、それも当然ではあるのだけど。貴女はそれを知っていたかしら?」
不可解な――いや、はっきりと不穏だといえる内容を口にしながら、アカイアネさんは迫ってきていた一体のどこかを叩き潰したようだ。
一際大きな破砕音と、大量の血液が床に流れる音が鼓膜に伝わる。
と同時に、俺が振り抜いていた剣も化物の首を刎ねていた。
たしかにグルドワグラよりは早い動きで接近してきていたが、リーチが違うのだ。届く前に殺せばいい。四メートルはある巨体も、攻撃だけをする分には格好の的でしかなかった。
……実感のわかない成長だ。初めて戦った時は死にかけた相手と、おそらく同等以上の魔物を前にこうも圧倒出来ているっていうのに、そんなものがどうでもいいくらいに、早く彼女の言葉の真意を知りたい。
その感情が先走った所為か、前のめりに剣を振り抜いて距離を取る事を疎かにした結果、最後の一体の接近を許してしまった。
こいつは、移動の最中にそこらの瓦礫を食っていた。つまり散弾が飛んでくる。避けるのは難しそうだ。なにより後ろの彼女に流れ弾が当たる恐れもある。
撃たれる前に仕留められるか?
いや、すでに相手の銃口はこちらに向けられている。おそらく発射寸前だ。こちらが腕を振る動作よりは速いだろう。
それならリスクを冒す必要はない。
目の前に巨大な盾を顕現させる。頭の中で準備さえ出来ていれば、魔法は一瞬で起動するのだから、これより早い行動はない。
「――ギィェエ、エエエ、アアア、ガェガエガァア!」
直後、歓喜のような咆哮と共に散弾が放たれた。
軽いキャッチボールをした時くらいの衝撃が、目の前に顕した巨大な盾を支える右手に伝わる。
足元の地面が穴だらけになり、下の階の廊下まで散弾は貫いていた。が、どうやら盾を傷つける事は出来なかったようだ。
それを確認しながら、俺は盾を消すと同時に剣を横一線に振り抜く。
化物は咄嗟に後ろに跳び退いていたようだが、回避が間に合う事はなく、中空で上半身と下半身が泣き別れした。
大量の血飛沫が噴き、床に血だまりが出来上がる。
その数秒の過程で敵が確実に絶命したのを確認したところで、俺は振り返った。
向こうの戦いは、もう終わっていた。見たところ俺よりも二体多かったというのに、早い仕事……いや、まだ一体残っている。
他のに比べて腹がやけに膨れている個体。
群れの頭だったのか、一体だけ遠巻きに見つめていたようだ。表情なんてものはないが、鳴き声が少し震えていて、怯えているようでもあり悲しんでいるようでもあった。
「お腹の中にもう一体いるわね。という事は、お母さんなのか。初めて見たわ。本当に、人間みたいな方法で繁殖したりもするのね。……少し複雑だわ。子供が産めない身としては」
ため息交じりに、アカイアネさんが呟く。
苛立ちはないが、どこか白けたような空気感。
「……ねぇ、レニ、貴女はどうなのかしら? 産めないからこそ殺さないでおこうと思う? それとも、産めないからこそ殺したいって思う?」
「それは……」
俺に聞かれても判るはずがない。
大体、どうしてそんな事を急に――
「あぁ、貴方は気付いていないのね。その身体も、子供が産めないのよ。もちろん複製による影響ではないわ。可哀想に。私のように選んだわけでもないでしょうに、去勢されてしまったのね。誰かの都合で、抵抗すら出来ないくらい幼い頃に」
こちらを見る彼女の表情は憐憫を宿したもので、俺とレニを確実に切り離して見ているもので……その瞬間、確信した。
この人は俺の事情をある程度知っている。きっと、あのおぞましい聲の関係者だ。
だが、だとするなら、いくつか気になっていた点も解消される。
ここに来てからの彼女の行動は、あまりに都合よく結果に結びつき過ぎていた。
図書館ですぐに研究区画の事が判るのもそうだし、ヘリという退避手段が見つかるのも、こうして動力が見つかるのもそうだ。紆余曲折が無いに等しかった。初めて来る場所でここまでとんとん拍子に事が進むなんて、普通に考えればありえない。
けど、これが初めからお膳立てされた筋書きだったなら話は別だ。どこに何があって、どういう事がこれから起きるかが把握されていたのなら、スムーズに事が運ぶのも当然と言えば当然で……
「……貴女の目的は何ですか?」
「そんな事よりも、彼女の聲をちゃんと聞いた方が良いわ」
そう言って、アカイアネさんは得物を仕舞う。
母親らしき魔物はもう、姿を消していた。
それを確認すると同時に、
『――あの子、まだ初潮が来ないんですって。今年でもう十四でしょう?』
『どうやらソルクラウ家は次の子供を生むつもりのようね。昨日、お父様がそうなりそうだと仰っていたわ。だから、もう関わらなくてもいいって。私それを聞いて、本当安心して』
『賢明な判断ね。いくら才能があっても継承が出来ないんじゃ、繋がりを持つ理由もないわけだし』
『それにしても、決断が早いとは思わない? まるで最初からその予定だったみたい。家でも嫌われていたという事なのかしら?』
『優れているとはいっても、ソルクラウ家が望んだ才能ではなかったという事なんじゃない? なんにしても怖い世界よね。貴族社会って。一体誰が流したのかしら? ふふ』
複数の女の陰口が響き、世界が切り替わった。
レニ・ソルクラウの記憶。……ここは、軍学校だ。エリートだけが入学できる、いわゆる士官候補生のための施設。
もっとも、本当に優秀な人間はそもそもそんな手続きを必要とすらせずに即座に役職を与えられるものなので、あくまで一般的な目線から見れば優秀だというだけの、中途半端な連中の溜まり場でしかないわけだが、私はそこの寮に押し込められていた。
貴族であるにもかかわらず、家ではなく寮住まい。それだけでもすでに異常で、最初から煙は立っていたのだ。
だから、今更こんな不快に晒されたくらいで、傷ついたりはしない。
ただ、それでも赤の他人に好き勝手事実を突き付けられるというのは、酷く気分が悪かった。嫌でも思い出してしまうからだ。あの日の事を。
『――仕方がないのよ。そうしないと貴女には生きる権利が与えられないの。だから、私たちを恨まないで頂戴ね』
憐れむようでいて、私を嘲笑っていたあの女。
今、腹の中に子供を宿しているあの女。
顔を思い出すだけで、ハラワタを引き摺りだして殺してやりたくなる。
あの女だけじゃない、この教室で生理が重いだの辛いだのを、私に聞こえるように並べて始めた奴等も、無能極まりない教師共も、いやらしい目でしか女を見ていない男共も、皆殺しにしてやりたい。
どうせ、もう上手くやるなんて無理なんだから、だったら全部壊してしまえばいいのだ。踏みにじられるくらいなら、踏みにじってしまえばいい。
レニ・ソルクラウには、十二分にその力が備わっているのだから。
「…………莫迦らしい」
誰にも聞こえない声で、私は呟く。
その感情を、現状を、くだらない理性を呪うように。
そうして毎日を繰り返すのだ。いつか限界を迎えてしまう事を願いながら、いつかそんなものが解けてくれる事を祈りながら……。
「――っ、うぅ」
腹部の痛みと共に、世界が現実に戻った。
レニ・ソルクラウの意識が霧散し、ドス黒い感情もゆっくりとだが溶けていく。
「聞いていた以上に、彼女の心はその身体に残っているようね。生きていると言っても過言ではないくらいに」
顔をあげると、手が届く距離にアカイアネさんの姿があった。
労わるような眼差し。
「……そう、お腹か腰が痛いのね? それはきっと、その身体が望んでいた痛み。想像妊娠に近いものなのかもしれないわ。それほどまでに、彼女は女である事に――いえ、女として否定されてきた事に苦しんでいた。ねぇ、以前にも、生理かもしれないと思った事はなかったかしら?」
あった。この仕事に旅立つ前だ。
「それが多分、本来なら訪れるはずの周期を示しているのでしょうね。一応、覚えておくといいわ。貴方はレニ・ソルクラウを理解しなければならない。でも、彼女に呑み込まれてもいけない。それではただの複製品になってしまうから」
「……貴女の、目的はなんだ?」
込み上げてきた恐怖や怒りを押し殺すように拳を握りしめながら、俺はもう一度訪ねる。
すると彼女は困ったように微笑んで、
「レニ・ソルクラウが有しているもう一つの魔法を、貴方に理解させる事よ。厳密にいえば、それを任せられていた、人間を知らない子の補佐の筈だったのだけど。その子が思いのほか莫迦だったから、立場が入れ替わってしまって、殆ど全部をやる事になったのだけどね」
「……それは、ずいぶんと回りくどい話ですね。色々と」
「そうね、私もそう思うわ。好みでもない。でも、そういう依頼なの。おそらくだけど、正確ではないのよ。誰も正確にレニ・ソルクラウの魔法を理解していないの。当人すらもね。だからこそ、下手にそういうものだと押し付けて可能性を狭めたくなかった。より懸命に模索させる事で生まれる幅を期待したのでしょうね。教えるのは、貴方が可能性を出し尽くした後でもいいわけだし」
そこで、彼女は自嘲気味な微笑を浮かべて、
「まあ、あの方の事は私にもよく判らないから、見当違いも十分あり得るのだけど」
と、独白のように零した。
「あの方というのは?」
「もちろん、世界で一番怖いあの聲よ。貴方も何度か聞いた事があるのでしょう? 黒陽リフィルディール。かつて、この世界の半分を担っていた存在。――あぁ、黒陽がどうして今はないのかとか、そのあたりは私も知らないから、訊かないでね。それほど接点があるわけでもないのよ。私が関係していたのは主に従者の方だったし。その関係にしたって、一度恩を売った事があるとか、それくらいのものだしね」
それを踏まえてなにか質問はないか、と彼女は訊いてきた。
今まで不明瞭すぎてモヤモヤしていた部分の多くが、いきなり解消されてしまって、正直少し混乱しているけど、これで全ての疑問が解けたわけでもない。
でも、何を聞けばいいものか……少し考えて、俺はまず身近な疑問から片付ける事にした。
「ここでの事は、どこまでが予定通りなんですか?」
「絶対者の存在以外は概ねそうね。もっとも、その一つの予定外が一番の問題でもある。だから、安心してはいけないわ。道筋はなんとか見つけられたけれど、それはまだとても細い線。手順を間違えれば、普通に全滅もあり得る。喜ばしい事にね」
「喜ばしい、ですか?」
「弛緩した人生は苦痛よ。これくらい怖い事があった方が愉しいわ。生きている気がするもの」
「そういう境地には、当分辿りつけそうにはないですけど…………貴女は、この世界の人間ですか?」
ふと、そんな事が気になった。
「ええ、私はこの世界の人間よ。普通ではないけれどね。大陸の外から来たし、老いて死ぬ事も無くなっているし。まあ、その所為で子供が産めない身体になったわけでもあるのだけど」
さらりと、アカイアネさんはまた自分の事を曝け出す。重い内容だろうに、こちらが戸惑いを覚えるほどに躊躇なく。
こういう時、どういう言葉を返すのが適切なのか……
「変に気を使わなくても大丈夫よ。訊かれたくない事ならそもそも話題にはしないわ。それに、さっきも言ったけれど、それは自分で望んだことでもある。恋愛ってよくわからないし、子供なんて殊更欲しいとも思わなかったし、そうなると生理ななんて邪魔なだけだったから、私にとってはむしろ都合が良かったのよ。……まあ、長い時間を過ごした所為か、多少はそういうものがあったら、どういう私になっていたのかしら? という想像をしたりはするようになったけれど、それはお婆ちゃんじゃなくたって誰もがするものでしょう?」
「……たしかに、そうですね」
あの時ああすればよかったというのは、俺だって何度となく夢想した事のある不毛だ。それはこの世界に来てからも変わらない。
しかし、お婆ちゃん、か。最低でもそう呼ばれるくらいの年月を生きてきたという事なんだろうけど、具体的には一体何歳なのか。……いや、さすがに、女性に年齢を聞く気にはなれないので口には出さないけれど。
「ちなみに、六百歳くらいだと思うわ。多分ね」
顔には出てしまっていたのか、アカイアネさんはこれまたさらりと答えた。
どうでも良さそうな表情だ。まあ、老いないというのが本当だとするなら、それこそもう年齢に意味なんてないだろうから、当然の反応なのかもしれないが――
「でも、そうか、思えば私すでに六百歳なのよね。もはや、お婆ちゃんじゃないわ。その前にヨボヨボをつけなければならないのかしら? それは少し……ええ、嫌ね。ヨボヨボは嫌だわ。響きが良くないもの」
……うん、なにやら勝手に落ち込んでいた。
やっぱり、この人の事はよくわからない。苦手なタイプだ。けど、どんな立場の人であれ、嫌いにはなれそうになかった。良くも悪くも素直な人物なんだと思えたからである。
だからこそ、彼女の話は信じていいと思う事も出来た。そうすることで楽になりたかっただけな気もするけど、まあ、騙されたならその時はその時だ。自分のお目出度さを恥じればいいだけ。
「もう一つ、訊いてもいいですか?」
「……ええ、どうぞ」
「貴女の魔法は何ですか?」
凹んだ様子のまま頷いた彼女に、俺はストレートを投げてみた。
一瞬だけ、彼女の口元が緩む。が、それはすぐに引き絞められた。
「そういうのは自分で考えなくてはダメよ。今は味方だけど、最後までそうとは限らないわけだしね。なにより、その情報の公開は私を不利にしてしまうわ。私、周りが足を引っ張るのは嫌いじゃないけれど、自分で自分をわざと落とすのは好きではないの。……あぁ、でもそうね、私も貴女の魔法をつまらない方法で知ってしまっているわけだから、一つだけ」
彼女は自分の胸に手を当てて、
「私は初めてこの都市に来たわ。そして、誰かに何かを教えてもらったわけでもない」
それは、こちらが立てた推測を崩すものだった。
いや、でも、それが事実だとしたら、むしろ彼女の魔法を限定する事が出来るかもしれない。もっとも、その場合はかなり常識はずれな魔法になりそうだが……たとえば未来視なんかはどうだろうか? 負けた事がないという台詞を真に受けるのなら、十分あり得えるだろう。
他にはなにがあるだろうか? コイントスで当然のように勝ったところから深読みして、確率を操れるとか? 或いは――
「私の事を考えるのは後にして。それよりも、レニの魔法に意識を傾けて欲しいわ。そうでなければ、色々と話した甲斐が無くなってしまうから」
「あ、あぁ、そうですね……」
確かにその通りだ。
今味方なのは揺るぎない事実なわけだし、それならレニの事を詰める方が良い。
「さて、考え事は戻りながらでも出来るでしょうし、内緒話はこれくらいでいいわね。……あぁ、でも最後に一つだけ、私からも訊いていいかしら?」
「なんですか?」
「貴方の名前はなに?」
真っ直ぐに俺を見据えながら、彼女は言った。
「……なんで、そんな事を?」
「私が興味をもっているのはレニ・ソルクラウなんて英雄ではなくて、貴方だから」
本当に、真っ直ぐな視線だ。
まるで口説かれているようですらある。きっと、その衒いのなさが、ナアレ・アカイアネという人の凄さなんだろう。
俺は、少しだけ迷いながらも、久しぶりに、本当に久しぶりに自分の名前を口にした。
「……倉瀬蓮、です」
「クゥ、ラゥセ、レェ、ウェン? ……やっぱり、貴方の世界の名前は呼び難いわね」
どこか嬉しそうに微笑んで、アカイアネさんは歩き出す。
「レェン、レゥン、ネン……?」
「蓮ですよ。蓮」
彼女の隣に並びながら、俺は呆れ交じりに繰り返した。もう呼ばれる事なんてないと思っていた、その名前を。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、まあ読んでやってください。




