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03

「アネモー、水をくれ」

 ドールマンさんの言葉に振り返ったフラエリアさんが、俺の抱えていた少女を見て目を丸くした。

「わたしたち以外に、人がいたの?」

「あぁ、それもどうやら異世界のな」

「……魔力のない人間、か」フラエリアさんの隣にいたコーエンさんが、微かに眉を顰めながら言う。「見た目は僕達と大差なさそうが、魔力なしで活動出来ているとなると、内部はずいぶんと違っていそうだな」

 それが、二人の冒険者がこの少女を異世界の人間だと認識する根拠だった。

「こら、女の子をじろじろと見ない。失礼でしょ。……教授もですよ?」

 咎めるようなフラエリアさんの視線に、好奇心の赴くままにというか、スキップしてこちらに近づいてきていたノーチェス教授の足が止まる。

 非常に困ったような表情。

 彼は口元に手をあてて、なにかを思案するように唸り、

「触るのも、ダメなのか?」

 と、物凄く真剣なトーンで変態発言をかました。

 結果、フラエリアさんの表情に、にこやかな笑顔が飾られる。

「引っ叩きますよ。グゥーエが」

 これ以上ないくらい、冷たい声色だった。

「俺かよ?」

「だって、わたしそんな力強くないし、こういうのは痛くないと意味ないでしょ?」

 つまらなそうに言って、フラエリアさんは小走りに水を取りに向かった。

 そんな彼女の気持ちを引き継ぐように、淡々とした口調でミーアが追い打ちをかける。

「治癒師がここに居ますので、首が折れるくらいなら問題ありません。やるなら思い切りどうぞ」

 まったくもって冗談に聞こえないあたり、この手の悪ふざけ(もちろん教授は大真面目だと思う)が嫌いなんだろう。

「……どうする? 一発喰らっとくか?」

「いや、今は遠慮しておこう。まだここの事を色々と知りたいしな。……あぁ、異世界人の事を知るいい機会だったんだがなぁ」

 ドールマンさんの問いにとても悲しそうなにそう答え、残念そうに呟きつつ、教授は半分欠けた本の元にとぼとぼと帰って行った。

 その哀愁漂う後ろ姿に何とも言えない気持ちを抱きつつも、俺はひとまず少女を地面に降ろしてから、

「ところでミーア、状況は?」

 と、話を切り替える事にした。

「あまり良くはないですね。思った以上に魔域の浸食が早いようです、それに呼応して下層に魔物が殺到しています。抜け道が発生する時間はある程度絞り込めましたが、それらの障害を突破する事が出来るかどうか。私を含め、足手纏いも多いですからね」

「……ずばずば言うなぁ」

 真っ直ぐに少女に向けられた視線に冷たいものを感じたのか、苦笑を浮かべながらドールマンさんが首筋を掻く。

「事実ですし、考慮しないわけにもいきませんから」

「まあ、確かにそうなんだが……」

「う、うぅ」

 小さな呻き声が、少女の喉からこぼれた。

 指先も微かに動く。そろそろ意識を取り戻しそうな気配。

 そこに、小指サイズの水石とコップをもったフラエリアさんが戻ってくる。

「あ、起きそう?」

「あぁ、そうみたいだな。――って、なんだよ、急に人の服引っ張って」

「や、グゥーエも少し離れてた方がいいかなって」

「え? なんで?」

「だって、よくわからないけど、この子ってこの世界に攫われてきたんだよね? 少なくとも、合意の上でここにいるわけじゃないだろうし。そんな状況で知らない男の人が傍にいたら怖いじゃん。ましてグゥーエって、ただでさえ他人との距離感おかしいわけだし」

「そんな事はないと思うが――」

「とにかく、ここは同性の方が良いと思うし、少し距離とって見守っててよ。大丈夫そうなら、話せばいいんだからさ」

「そうですね。その方が良いかもしれません」

 と、俺はフラエリアさんの側につくことにした。

 見捨てるという選択を取らないのなら、一緒に行動をする事になるのだ。その際、不安や猜疑に駆られて突発的な事をされるとかなり困る。

 第一印象というのは、その度合いを大きく左右させる要因だ。だから、多少神経質だと思えるくらいが丁度いい。

「まあ、別に強く逆らう理由もないからいいんだが……もしかして俺って、人相悪いのかな?」

 言われた通り少女から距離を取りながら、ドールマンさんがぼやいた。

「知らないよ。僕に聞くなよ」

 心底面倒くさそうに、コーエンさんが吐き捨てる。

「じゃあ、誰に聞けばいいんだよ?」

「それこそ知らないよ、なんだが……ナアレ・アカイアネにでも聞けばいいんじゃないか? そっちが戻ってきたら戻るって言ってたし、そろそろ帰ってくるだろうし」

「聞いてみるかなぁ……?」

 なんてやりとりを二人がしている間に、少女が目を覚ました。

 よろよろと上体を起こして、ぼんやりとした表情で一番近くにいた俺を見る。

 それから緩慢な動作で首を左右に動かして、周囲を見渡してから、少女は口を開いた。

「あ、あの、真奈美は、わ、私の友達は……」

 言葉の途中で、その彼女がすでに死んでしまった事を強く実感したのか、唾を呑み込もうとして、でも唾液がなかったためか、苦しげに咳き込んだ。

「あ、喋る前に水飲まないと。……はい」

 彼女と同じ目線になるように片膝をついてから、フラエリアさんが水の注がれたコップを手渡す。

「……」

 ビクビクした様子で反応を窺いながら、少女は水を少量口に含んだ。

 それで本当にただの水だと判ったからか、続けて一気に飲み干す。

「まだまだあるから、大丈夫だよ」

 全然足りなかったんだろう、空になったコップを飢えた目で見つめていた少女に、フラエリアさんは二杯目を注いだ。

 そこで、この世界の魔法に初めて直面したのか、少女は目を丸くして、水石の方に視線を集中させ、

「なんで……」

 と、消え入りそうな声を零して、痛々しく表情を歪め、嗚咽をこぼした。

 流す涙さえ失った中で、少女は友人の事を想って泣いたのだ。それだけ、特別な存在だったのかもしれない。

「……ごめんなさい、あ、ありがと」

 三分ほど経ったところで、最後に鼻を啜って、泣くのを終えた少女が言った。

「落ち着いた? もう一杯飲む?」

 水石を軽くつきだして、フラエリアさんが言う。

「あ、ええと、もう、大丈夫――」

 言葉の途中で、水石がコップに注がれた。

 俯いた仕草が、頷いたように見えたからだろう。感情の動きとか視線とかで、ここまでなんとかやりとりが成立していたけれど、やっぱり言葉自体はまったく通じていないのである。

「あ、もしかして、違ったかな?」

「……」

 断りを入れたのは咄嗟の遠慮もあったんだろう。少女は三杯目もなんなく飲み乾してから、コップをフラエリアさんの前に差し出して、頭を下げた。

「ええと、もう大丈夫って事でいいのかな? っていうか、そっか、水石渡しちゃえばいいんだよね。はい。好きな時に飲んでね」

「いや、多分それは無理だと思うけど」

 と、俺は躊躇いがちに口を挟んだ。

 この手の石を使うには、魔力がなければならない。水の生成は中に込められた魔法が勝手にやってくれるが、その蛇口をひねるのにはこちらの魔力が必要になるからだ。

 フラエリアさんはそれがすぐに判ったみたいだけど、少女の方はそうもいかないだろう。水石を持つこと自体は何の問題もないけど、それを使いたい時は誰かの手を借りなければならない事をまずは理解してもらう必要があるし、ちゃんとそういう要求が出来る空気を作る事も大事だった。

 ……まあ、なにはともあれ、コミュニケーションの基本は挨拶と自己紹介だと、俺は自分の胸に右手を当てて名前を告げ、それから少女の方に手を向けた。

「レニ。……レニ・ソルクラウ。……貴女は?」

「柊……柊小夜香」

 自分の胸に手を当てて、彼女はそう答える。

「ひ、ヒィエ、ラァギ? サァヤ、クァ? ヒィエラギでいいのかな? なんか違う気がするんだけど」

 どうも、フラエリアさんの耳にはそう聞こえたようだ。

 この世界の人間にとって、日本語というものはそれだけ聞き慣れない発音をしているんだろう。……もっとも、それは大した問題じゃなさそうだった。

「アネモー。アネモー・フラエリア」

 言葉に大きな隔たりがあったって、その柔らかな笑顔と温かい声には、信頼に足るだけの歩み寄りがあったからだ。

 ……本当、ここにフラエリアさんがいて良かった。これなら多少の齟齬が生まれたとしても、そう簡単に悪い流れにはならないだろう。

 こんな境遇に追いやられてしまった柊さんには申し訳ないけど、俺は自分が日本語を理解できている事実をここで披露する気はなかった。

 ここまで異世界という情報が出ているのだ。俺がそちら側と繋がりがある可能性を抱かせる要因は、そのまま俺が本物のレニ・ソルクラウではないという秘密まで暴くリスクを孕んでいる。だから、絶対にそれは出来なくて――

「――あら、人が増えている」

 フラエリアさんに続いて、ドールマンさん、コーエンさん、そして最後に教授が自己紹介をしたところで、背後からのんびりとした声が届いた。アカイアネさん達が帰って来たのだ。

「魔力のない子、さては異世界人ね。素敵な出会いだわ。まずは抱きしめて、友好でも示してみましょうか?」

 物怖じなんて概念は、どうやら彼女の中には存在しないようである。

「止めてくださいよ。きっと怯えてしまうから」

 呆れ交じりに、でも強い口調で俺は言った。そもそも、そういう気分でもないだろう。

「そんな事より、そちらは何か見つかりましたか?」

「ええ、凄く大きなものを見つけたわ。それと、この街がしようとしていた事も判った。どうやらこの廃都市、他と違って終わりが確定してからそれが訪れるまでにずいぶんと長い猶予があったみたいでね」

 そこで、くすり、とアカイアネさんは小さく微笑んで、

「ここまで言えばもう判ると思うけれど、ここの人たちはその猶予を活用して侵略をするつもりだったみたいね。異世界に。……そこが、此処よりもずっと自分たちに都合のいい世界だと信じて」

 最後の言葉に宿っていた感情は、間違えようがないほどの憐憫だった。

 まるで、その先にある結末が判っているかのような……。

「……それで、それはどうなったんですか?」

 ちょっとした不安を覚えながらも、俺は訪ねた。

 すると彼女はエレベーターのある方角に身体を向けて、

「さあ? そこまでは知らないわ。もう少し調べたら解るかもしれないわね。その時間があればいいのだけど。まあ、とりあえず上に行きましょう。ここではもう、ゆっくり出来そうにないし、ね」

 と、呆れるように軽く肩を竦めてみせた。



次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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