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02

 研究区画は、これまで通ってきた区画とはまったく異なる様相をしていた。さながら、ファンタジーから近未来もののSFにジャンルが変わったみたいな感じ。

 まあ、元々この廃都市自体そこまでファンタジー色を強く感じる要素があったわけじゃないけど、それでも魔法を宿した多くの物の残滓がそこにはあった。

 けれど、ここは違う。自動ドアに蛍光灯、エスカレーターなんかがある一方で、魔法を宿した石が殆ど見当たらないのだ。魔法の痕跡が極端に少ない。

「それにしても、凄い光景だな。ここ自体、俺にとっては異世界みたいだ。それだけ、そういった物を取り入れたった事なんだろうが……どうにも居心地が悪いな。好きになれそうにない場所だよ」

「そうですね」

 ドールマンさんに同意しながら、俺は右手に持っていた紙に視線を移す。

 今いる場所は試験エリア。研究区画の入口にあたるところで、俺たちが調査するのはその三つほど上の階層にある機密研究エリアだった。

「しかし、レフレリほどじゃないけど、昇降機の配置は結構面倒な感じだな。一階から一直線に最上階まで行けたらいいってのに。どうしてこういう構造にするのか? まあ、おかげでこうして必要のない場所も見学できてるわけだが――」

 軽やかにフロアを駆け抜けながら感想を述べていたドールマンさんが、背中の大剣に手をかけた。

 直後、右手の建物をぶち破って三体の魔物が襲いかかってくる。が、気配は感じ取れていたので、別段驚くような事はないし、足を止める理由にもならない。

 左手の中指の先に鋭利な刃物を追加で具現させて、鋭く振り抜く。それだけで、二体の魔物は胴体を両断され絶命した。ドールマンさんを真っ先に狙っていた残りの一体も、ほとんど同じタイミングで頭部を串刺しにされて床に転がる。

「この辺りは思ってたより大した事ないな。やばいのはもうちょい上か」

 そんなやりとりをしながら進行自体はスムーズに、俺たちは機能が停止しているエレベーターの前に到着し、先刻と同じ要領で扉とその天井をこじ開けて、上に階層を目指していく。

 そうして目的のフロアに到着したところで、不意に左腕に痛みが走った。

 義手との接合部だ。攻撃をした際に痛めていた? いや、そんな筈はない。なら、これはいわゆる疼きというものなんだろう。雨の日なんかに古傷が痛むというあれだ。

 少し神経に障りはするが、我慢できないわけでもないし、あまり気にしない事にして周囲に視線を巡らせる。

「この辺りは馴染みあるものも多いみたいだな。ちょっとほっとするが……やっぱり、変なのも多いな。それに天井もずいぶんと低くなったもんだ」

「たしかに、そうですね」

 大体二メートル半。先程の実験エリアの五分の一くらいの高さだった。おかげで、かなり窮屈な印象を覚える。

 こういった変化は、機密性とか、そういう観点から来ているものなんだろうか? ……まあ、あまり気にするような事でもないか。

 それよりも、と視線を先に向けてみる。

 厳重にロックされているのが一目でわかるタッチパネル式の重厚なドアに、分厚いガラス窓。そういったものを完備した部屋の中には多分に漏れずよく判らない装置が並んでいて、中には拷問器具に見えるようなものもあった。

 不穏だ。それに、奥に進むにつれて確実に暗くなってきているのも気になった。

 なんというか、昇っている筈なのに、まるで深海を目指して潜っているような息苦しさ。

「俺も夜目は利く方だが、本格的に見えなくなってきたな。どうやらこの辺りは外から光がまったく入ってきてないみたいだ。外壁が壊れていない証拠なんだろうが……どうする? 光石を使っておくか? 一応、小さいのは持参してるが」

「お願いします」

「わかった」

 ズボンのポケットからビー玉サイズの光石を取り出して掌の上にのせたそれを、ドールマンさんは指先に小さな魔力を込めて、こんこんと叩いた。

 すると光石が淡い輝きを放ち、周囲を照らす。小型の懐中電灯くらいの機能だが、レニにとっては十分だ。おかげで、最奥まで見えるようになった。

 ただ、代わりに周囲の魔物が蠢く気配も伝わってきていたが。

「魔除けはあくまで気休めだからな。弱すぎると逆効果な場合もあるし……じりじり近づいてきてるな。結構な数だ。まあ、まだ大物はいなさそうだし処理した方が後々楽だし、問題もなさそうだが」

 と、そこで、こちらの物騒なやりとりを聞いていたかのように、突然魔物の気配が離れだした。

 逃げ出したと捉えてもいいような露骨な動き。

「……なんだ? 魔力を誇示したわけでもないのに、妙だな。嫌な感じだ」

 まったく同意見だった。

 左腕もより強い痛みを訴えてきている。これはもしかして、なにか危機を知らせているという事なんだろうか?

 そんな可能性に思い当たったところで、声が届いた。

「ん? どうかしたか?」

「静かに」目を閉じて、耳を澄ます。「…………やっぱり、間違いない」

 掠れた呻き声だ。魔物のものじゃない。これは人の声だった。

 さらに聴覚に意識を傾けると、浅く、途切れ途切れの呼吸音も聞こえてくる。

 相当弱っているように感じられた。そうでなくても不可解な動きをしている魔物たちがいるわけだし、一刻も早く見つけないと不味そうだ。

 それを伝えると、ドールマンさんは微かに眉を顰めたが、

「それらしい魔力は感じられないが……まあ、こんな場所だしな。わかった。確認しよう」

 と、こちらの話を信じてくれた。

 その信頼に感謝しつつ、俺は右手に剣を具現化して天井を切り開き、跳躍して階を移動する。

 建物の構造の所為か音の伝わり方が妙だが、声の主がこの階にいるのは間違いない。もう少し近づければ、正確な位置も判るだろう。

「……いた」

 T字の通路につきあたりで足を止めて、視線を左に向ける。

 三つ奥の部屋だ。そこにいる。魔物はもう近くにいない。

 それを幸運だと思えないところがあれだが、とにかく部屋の前に赴く。

 そこも自動ドアだった。ノブにあたるものがない。機能も当然のように停止しているので、強引にこじ開けるしかなさそうだ。

 扉の前に誰も居ない事を確認して、俺は剣を突き刺した。

 それを取っ手代わりにして、力一杯に扉をスライドさせて中に入る。

 真っ先に視界に飛び込んできたのは、うつぶせに倒れた制服姿の少女だった。部屋の中央には、なんだろう、CTスキャンみたいなものが設置されていて、その脇に倒れている。

 駆け寄り肩に触れたところで、息がない事がわかった。

 冷たく強張った身体。死後硬直というやつだろう。これまで二度ほどそういった人間に触れてきたから、その異様さにも多少慣れていて、あまり驚かずには済んだけど、胸の奥が冷えていく感じは変わらず重たくて、否応なく母の死体が脳裏にちらついた。

 吐き気がするほど冷たくて、すぐには誰かわからなかった、指だけが母である事を告げていた、あの死体が。

 ……嫌なフラッシュバックだ。

 軽く頭をふってそれを追い払ったところで、突然、後ろから照らしてくれていた光石の機能が停止する。

「なんだ?」

 このドールマンさんの反応からして、彼が意図したものじゃない。

 故障か、中に入っていた魔力が底を尽きてしまったのか……でも、このタイミングで? それよりも、何かしらの攻撃を受けた可能性の方がずっと高そうだ。

 だからこそ、俺もそうだけど、ドールマンさんも完全な臨戦態勢に入って――


「――み、つ、け、た」


 全身が粟立つほどに冷たい音が、ぎこちない言葉となって、頭上から降ってきた。

 と、同時に、視界が完全に途絶える。

 似たような経験をつい最近味わった気がするが、リッセの魔法とは根本的に違うものだというのは即座に理解出来た。彼女に視覚を潰された時ですら、ここまで昏いと感じる事はなったからだ。

 先程から感じていた息苦しさの正体。

 それが、目の前にいる。

「レニっ!」

「――っ!」

 ドールマンさんの叫びに引っ張られるように、俺は後方に大きく飛び退いた。

 壁に背中を激しくぶつけるが、そんなものを気にしている余裕はない。

 全身に魔力を込めて、身構える。

 相手に反応はない。こちらには興味がないような静かな気配。 ……いずれにしても、自分からは動けない。

 そうして、十秒、二十秒と息苦しい膠着が続いたところで、徐々に視界が戻ってくるのを感じた。

 つまり、なにかをされたわけではなかったのだ。ただ、それが現れただけで、世界が真っ暗闇に落とされた。

 その事実に、改めて震えが走る。


「――成功、した、ようね」


 最初のぎこちないさとはずいぶんと印象の違う、滑舌のいい言葉が響いた。

 そして、ゆらりと空気が泳ぐ音が届く。倒れていたものが、立ち上がった動作音だ。

 そこでようやく、視覚が目の前にいた存在を捉えてくれた。

 死体だった少女が、真っ直ぐにこちらを見て佇んでいる。

 青い肌はそのままに、茶髪だった髪を漆黒に変えて、それよりもなお昏い瞳が、白目の部分を奇妙なほどに明るく見せていた。

 ……右手が痛いくらいに、剣を握りしめてしまっている。ちょっとした弾みで、斬りかかってしまいそうなほどの恐怖と焦燥。

 だが、この相手に敵意は感じられない。なら堪えろ、堪えろ。下手に刺激してはいけない。これは、自分たちにどうにかできる存在ではないのだから。

 そう強く自分に言い聞かせながら、歯を食いしばっていると、彼女は小さく鼻を動かして、

「リヒトファーシュの、匂いがする」

 と、呟いた。

「そう、だから、貴女が、選ばれたのね」

 選ばれた?

 意味深な言葉に眉を顰めるが、問いかける事が出来るような図太い神経が、今は見当たらなかった。……もしそれが出来ていたら、なにか答えが返って来たりしたんだろうか。 

「私は、まだ続く。最期まで、続ける。最期まで」

 よく判らない言葉を呟き、彼女はそこで大きく目を見開いた。

 呆然という言葉が相応しいような表情。完全に俺の事なんて見えていないような、虚ろな眼差しだった。

「……あぁ、そう。これが、この人間の、記憶、未練、願い」

 口の中で消え入りそうなくらい小さな声でそう独白し、彼女はこちらに背を向けた。

 そして、覚束ない足取りで、ひたひたと裸足で床を歩く音を立てて、中央の装置の裏にまわり、片膝をつく。

 それほど背が高いわけじゃないから、その動作によって彼女の姿は完全に見えなくなった。

 ただ、音だけでも状況は把握できる。

 そこにも誰かがいたのだ。

「……まな、み?」

 その誰かが、掠れた声をもらした。

 俺たちが、この部屋に辿りつくきっかけとなった声。

「貴女は、此処にいらない」

 どこか寂しそうに、死体だった彼女は呟き、ゆっくりと立ち上がった。

 それに合わせるように、彼女の目の前に巨大な闇の渦みたいなものが出現する。

 一種の転移門だというのは、なんとなく理解できた。

 もう、ここに用はないという事なんだろう。彼女は渦の中に身を預け、彼女を呑み込んだ渦は周囲に暗闇をばら撒き、景色をあっという間に溶かしていく。

 再び訪れた視界不良。

 十秒ほど続いたそれが元に戻った時、光石もまた思い出したように灯りを蘇らせた。

 そうして、全てが正常に落ちついたところで、

「……さすがに肝が冷えたな。失言は災いを呼ぶだったか? しかし、まさか、ここで出くわすとはな。本当に絶対的なんだってのがよくわかったよ。あれは駄目だな。到底、関わっていいもんじゃない」

 長々とため息をこぼしてから、ドールマンさんが引き攣った笑みと共にそう呟いた。

 その言葉で、ようやく俺もあれが何だったのかを理解する。

 あれが、夜の女王だったのだ。

「しかし、あの死体を探してたって事なのか? 死体に宿ってなにをするつもりなんだ? 解らない事だからけだが……この遭遇、教授は羨ましがりそうだな」

「それは、どうなんですかね?」

 いくらなんでも、あんなものに直面して喜べるほど破綻はしていないと思うが。……まあ、なんにしても、今は生存者の状態を把握するのが先だろう。

 武器を消し、なにをされたわけでもないのにやけに重たい足を動かして、俺は夜の女王が先程まで居た場所に向かい、そこに倒れている人物を確認した。

 同じ制服を着ている、肩口で切りそろえ揃えられた黒髪の少女。

 夜の女王の存在感に押し潰されたのか、或いはもう限界だったのか、気を失っている。その傍には学生鞄と、飴かなにかの包が落ちていた。包にはコーヒーって文字がカタカナで書かれている。

「外傷はないみたいだが、衰弱が酷いな。此処に閉じ込められて、飲まず食わずだったって感じか」

「……みたいですね」

 隣にやってきたドールマンさんに相槌を打ちながら、俺は片膝をついて少女を抱き起こした。

 生きている事を示す温もり。もしあと数日ここに早く到着していたら、もう一人の彼女も…………考えても仕方がない思考を振り払うように短く息を吐いて、そのまま少女を抱えて立ち上がる。

「あの、調査の途中ですけど――」

「判ってるさ。ここにある資料だけさっと回収して、いったん戻ろう。それで、ナアレも文句は言わないだろうしな」

「ありがとうございます。……あ、その鞄もお願いしてもいいですか? 多分、彼女の持ち物だと思うから」

「あぁ、わかった」

 学生鞄に手を伸ばしたドールマンさんが、包の存在に気付き、先にそれを手に取った。中からこぼれたものだと思ったからだろう。

「それ、なんて書いてあるのかわかりますか?」

「ん? さあな、教授ならわかるのかもしれないが……っていうか、そもそも文字なのか、これは? 俺には絵に見えるんだが」

 まじまじと包を見ながら、ドールマンさんは首を傾げる。

 おかげで一つはっきりした。

 この少女は、俺と同じ日本人だ。




次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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