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第三章/異世界の少女 01

「大変動か。なるほど、確かにのっぴきならない状況のようだな。だが、すぐに街を離れればいいという話でもないだろう? まだまだ猶予はあるはずだ」

 緊迫した空気の中で、ノーチェス教授が口を開いた。

 場違いといっていいほどに、のんきな口調。

「いやいや、さすがにないでしょ? 早くここを出ないと」

 微かに苛立ちを滲ませながら、フラエリアさんが言う。

 それは至極当然の判断に思えたけれど、何故か同意する声はあがらなかった。

 その不安からか、彼女は現状一番事態を把握できているであろうコーエンさんに視線を向ける。

「……今、道が塞がれた」

 ずいぶんと、苦々しい表情だった。

「魔域を通らない限り、レフレリには戻れないって事か?」

 と、ドールマンさんが訪ねる。

「……あぁ」

 ため息交じりに、コーエンさんは答えた。

 そこで完全に詰んでいると感じたのか、フラエリアさんが「そんな……」と消え入りそうな声を漏らして、ドールマンさんの服の袖を強く握りしめる。

 その手は少し震えていて、その表情は痛々しいくらいに強張っていた。

 外の怖さを知った身としては、けして大袈裟とは言えない反応だ。現に、隣にいるミーアも深刻な表情を浮かべているし、俺だって旅の最中に出くわした数々の危険を思い出して、それ以上の危険というもの前にさすがに気が重くなっていた。

 そんな面子の中で、

「いや、だから、別に悲観するような事でもないと言っているだろうに。なにをそんなに怯えているんだ?  あくまで今は、という話だろう?」

 ただただ呆れるように、ノーチェス教授は言った。

 その相変わらずの平静さが、突然膨れ上がった不安という風船に針を刺す。

 向こう見ずで、どうにも危機意識に乏しい人物ではあるが、仮にも教授の言葉なのだ。根拠がないなんてことはないだろうし、少なくとも悲観するにはまだ早い。

「どういうことだ?」

 具体的な説明を、ドールマンさんが求める。

「呑み込まれた領域はまだ完全な魔域ではないという事だ。状態が安定するまでには多少の時間がかかる。つまり、中域に切り替わる瞬間もまだある。それこそ沼から顔を出す気泡のような瞬間がな。そこを狙って跳びこめば、生存の可能性は残されている筈だ。もちろん、調査の時間もな」

「学者先生はブレないな。……あぁ、わかった。その可能性に賭けるとしよう。出来る限りは付き合ってやるさ。大事な仕事だしな」

 そう言ってドールマンさんは愉しげに笑い、フラエリアさんが握りしめた手を解くように左腕を上げて、その手で彼女の頭をポンポンとたたいた。

「ってことで、その第一歩として、まずは協力関係を築いておきたい。半分は向こうが持っているわけだし、それを共有出来れば最低限は達成されるからな。教授も文句はないだろう?」

「あぁ、もちろんだ。気になって仕方がないし、ラヴァドの奴を失うのも惜しい。趣味が合う奴は少ないからな」

「決まりだな。レニ、付き合ってくれるか? 俺一人だと少し厄介な事にもなりそうなんでな。まあ、多分大丈夫だとは思うが」

「……確かに、本題で揉める事はなさそうですしね」

 俺でもはっきりと感じ取れる。

 まるで心音みたいに、リズムよく伝わってくるアカイアネさんの魔力。疑う余地もなく、自分は此処にいる、だから此処に来いと、それは告げていた。


       §


「……どうかしら? 美味しいと思うのだけど」

 期待を込めた眼差しで、アカイアネさんがこちらを見ている。

 貴族の屋敷だった廃墟のダイニングのような場所で、テーブルを挟み向かい合って腰かける俺の前には上品なカップ(多分持参品だと思われる)が置かれていて、そこには薄緑色の液体が注がれていた。

「ええ、そうですね、とても美味しいと思います」

 やけに強く勧められた事もあり、正直不気味ですらあったので、俺の返答は自分でもはっきり判るくらいぎこちないものだったけれど、感想の方に偽りはなく、それはカルピスの原液に近い味だった。かなり濃いのであんまり多くは飲みたくないけど、コップ一杯分なら問題ないといったところだろうか。

「そう、よかった。私の味覚がちゃんと通じて。こればかりは、少し不安だったのよね」

 胸の前で両手を合わせて、アカイアネさんは弾むような声で笑う。

「俺に振る舞ってくれた時は、そういうのなかったと思うがな。そういうの、気にする性質だったか?」

 と、隣に腰かけていたドールマンさんが口を挟んだ。

「彼女は、貴方とは違うからね」

「そうそう、お前はキモいし臭いしウザいしな」

 アカイアネさんの左側に腰かけていたミミトミアさんが、嫌悪感丸出しに吐き捨てた。

「相変わらず口が悪いな、お前は」

「は? 糞野郎にお前呼ばわりされる筋合いとかないんだけど? ぶち殺すわよ?」

 呆れた様子のドールマンさんに、過剰なまでに噛みつく。

 この二人、以前になにかあったんだろうか? ……まあ、多分アカイアネさん絡みだとは思うんだけど、そんな事が少しだけ気になった。

「こういうところもちゃんと教育した方がいんじゃないか? 仕事に支障が出るぞ?」

 視線を剥き出しの敵意から逸らしつつ、ドールマンさんが言う。

 すると、アカイアネさんは不可解そうに眉を顰めて、

「それくらいで、私を選ばない人なんているかしら?」

「こいつが個人で受けた時の話だよ。いつかは独り立ちさせるんだろう?」

「その予定は特にないわね。この子たち弱いし、お莫迦し、いちいち手間だしで退屈しないから。冒険者として死ぬまでは一緒にいるつもりよ。……あら? 二人共どうして凹んでいるのかしら?」

「そりゃあ、あんたが使う言葉を間違えてるからだろう? ……いや、この場合は的を射すぎているから、かもしれないが」

 そう言って、ドールマンさんは小馬鹿にするように笑った。

 暴言のお返しといったところだろう。まあ、アカイアネさんの右隣に腰かけているザーナンテさんには、とばっちりもいいところだけど……うん、なんだろう、皮肉に気付いていないようなので、別に問題はないのかもしれない。

「こいつホントにムカつく! 性格悪いも追加だ! この野郎!」

 最初に噛みついた側が先にキレて、ミミトミアさんはテーブルの上に片足を乗っけた。

 瞬間、ぐるっと一回転して、彼女は椅子に頭から落ちる。

「ふぎゃ!」

「今大事な話の最中なんだから、暴れてはダメよ。貴方も、うちの子を苛めてはダメ。さっきも言ったでしょう。色々と弱いのだから、泣いてしまうわ」

「それを気遣っての優しいお返しだろう? 荒くれ者だったら殺傷沙汰だ。レフレリならあんたの顔がちらついて出来ないのかもしれないが、余所の都市じゃそうもいかないんだしな。レフレリだけで活動するつもりはないんだろう?」

「確かに、それはそうね。レフレリの仕事は、なんだか最近同じものばかりで飽きてきたし、遠征に行くのも面白いかもしれないわね。トルフィネとかに」

「その時は、とびきりの依頼を紹介してやるよ。あんたでもヤバいって思うくらいのな」

「それって、たとえば無法の王の件とかなのかしら?」

 その一言が響いた瞬間、ドールマンさんの表情が微かに強張った。

 それを慈しむように、アカイアネさんは微笑む。

「凄いのでしょう? ルーゼ本国も警戒しているとか。是非とも会ってみたいものだわ」

「あまりお薦めしないがな。まあ、余談はこれくらいにして、そろそろ本題に入りたいんだが……こうして出迎えてくれた以上、答えはもう出してもらえているって認識でいいのか?」

 露骨な話題転換だが、確かに冗長に感じた時間だ。無法の王というものには俺も興味があったが、それだって今知る必要がある事でもない。

「そうね、協力をしましょう。別段憎み合っているわけでもなし、都市に忠誠を捧げているわけでもなし、生存率はあげておきたいし。こちらの教授も快く引き受けてくれたしね」

 そう言って、アカイアネさんは自身が手にしていたカップの中身を空にした。

「その教授は、どこにいるんだ?」

「二階で不貞腐れているわ」

「不貞腐れてるって……」

 それ、全然快く引き受けていないって事なんじゃないだろうか。……まあ、嫌々だろうが頷いてるだけマシではあるんだろうけど。

「ところで、その場合、オレは誰の指示に聞けばいいんだ?」

 アカイアネさんの右隣、椅子の上でしゃがみ込んでぼんやりとしていたザーナンテさんが、困ったような表情で言った。

「……あたしは、お前の言う事なんて絶対に聞かないけどな」

 よろよろと体を起こしたミミトミアさんが、涙目で頑なさを示す。

 指揮系統の話だ。こちらとしてはドールマンさんが安心できるのだが、当人はどう判断するのか。

「俺はどっちでもいいが、そう言うと嫌な顔する奴がうちにもいるしな。一応、今は同格同士なわけだし、無条件でその役から降りるってのも面白くない。……そうだな、こいつで決めるのはどうだ?」

 ドールマンさんが懐から一枚の硬貨を取り出す。

「表か裏か」

「もちろん表よ」

「なら、俺は裏だな」

 言葉と同時に、硬貨が親指で真上に弾かれる。

 俺は何となくその回転に意識を集中させて、結果を追いかけることにした。

 硬貨がテーブルに落ちて二、三回跳ねてくるくると回り、やがて静止する。キャッチしなかったのは、小細工はないという事を強く示すためだろう(多分、勝った場合のミミトミアさん対策)。

「……最近よく負けるな。ついてない」

 視界に入った表を見て、ドールマンさんは苦笑を浮かべた。

「挑む相手が悪いのよ。運命を味方にしている者と、こういう勝負をしてはいけないわ」

 優しい口調でいいながら、アカイアネさんが席を立つ。

「ガフ、学者先生を連れて来て。そろそろザラーの把握作業も終わる頃だろうしね。楽しそうな抜け道を見つけてくれていたらいいのだけど」

「わかった。すぐに呼んでくる」

 はきはきと答えて、ザーナンテさんは奥のドアを開け姿を消し、程なくして階段を駆け上がる音をこちらに届かせた。

「さて、そういうわけで私達は挨拶をしに行くけれど、貴方たちには先に研究区画に出向いてもらうわ。脱出までの猶予で、どれくらい調べられるかはわからないけれど、本一冊というのは味気ないし、場合によっては突破口になるなにかが見つかる可能性もあるしね。……異論はあるかしら?」

「先にコーエンさんから、その猶予がどれくらいかを聞いてからの方が良いんじゃないですか?」

「その必要はないわ。ある程度は私も感じ取れているもの。少なくとも、五時間以上は先よ。まあ、正確な時間となると、さすがに特化型のザラーしか探りようがないだろうけれど」

 俺の言葉にそう返して、アカイアネさんはポケットから折りたたまれた紙と、野球ボールくらいの大きさの石を取り出し、それを差しだしてきた。

「倉石と研究区画の簡易な案内図よ。私達が図書館で見つけたもう一つの収穫品ね。私が黒で丸をつけた部分を調べてきて。もう半分はこちらが担当するわ」

「わかりました」

 二つを受けとり、俺たちも席を立つ。

 そうして屋敷の外に出たところで、

「やっぱ、あんたがいてくれた良かったよ。思ったより早く話も纏まったしな」

 と、ドールマンさんが口を開いた。

「そうなんですか?」

「俺だけだったら多分、ユミルの奴を止めなかっただろうからな、あの人。あれでも一応お客様を気遣ったってところなんだろうさ。……けど、負けたのはよろしくなかった。あんたに任せていたら、勝てたかな?」

 それは、どうだろう?

 運命なんて眉唾な言葉は置いておくとしても、そういうただの運ゲーで上手くいったような記憶はなかった。

「よし、次の賭けがあったら、その時はあんたに任せるとするか。期待してるぞ、レニ」

「……いや、そういうの求められても困るんですけどね。ただ運に任せるのって、基本的に好きじゃないですし」

 そんなもの、差し迫った時にだけする祈りみたいなものだ。それか本当にただの遊びでだけ許されるもので……でも、もし気軽にそういうものに夢を見る事が出来たなら、純真に理想だけを選べたなら…………なんて、莫迦らしいにも程がある。

 俺は短く息を吐いて、不意に滲み出た未練を追いだしつつ、

「それより、早く行きましょう。アカイアネさんは半分とか言っていたけど、こっちの方が幾分回らないといけない箇所が多そうですしね」

 と、言葉を並べながら、先陣を切って歩き出した。

 これまた露骨に話題を切ったもんだな、と自分自身の下手くそさに呆れながら。




次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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