第一章/危険な遠足 01
今日はずいぶんと早く、仕事が終わってしまった。
新人講習かなにかで、外部から何人かの高名な治癒師が招かれて、ミーアの役割が一時的にだが奪われてしまったためだ。
まあ、報酬に大きな変化があるわけでもないし、この仕事に熱意があるわけでもないので、それはそれでありがたい事ではあるのだけど……空いた時間の潰し方が、よくわからない。
この街に来た当初は色々と把握しなければならない事とか、やらなければならない事が多かったからこんな事に悩む必要もなかったんだけど、今は殊更に急がなければならない案件もなければ、知らないと不味い情報もないのだ。
必要な事が見当たらない。それがなんだか不安で、落ち着かない気分で、昼食を作るにしても微妙な時間で……
(……レニさまは、どうしているかな?)
普段ならまだ外にいる時間帯だけど、家にいてくれたのなら、この問題は解決される。
彼女がするなにかの手伝いをすればいいわけだし、何もないなら何もないで、盤を使った遊戯に興じる事だって出来るからだ。
というか、また二人きりでなにか意味のない事がしたい。
新聞の記事をタネに益体のない話をするのもいいし、散歩に行くとかでもいいし、ただぼんやりと一緒にいるのでもいい。
なにもなくても傍にいていいんだって、そう思える瞬間が欲しい。
(……飢えているのかな、私)
昔は、こんな事なかった筈だけど、やっぱりこの街に来て自分も色々と変わったということなのかもしれない。
それが良い事なのか、悪い事なのかは、まだ判らないけれど。
(……ん、誰かいる?)
そんな事をうだうだと考えながら家に到着したところで、部屋の中にレニと、もう一人の気配を捉えた。数は一人。剣呑さは感じられない。どうやら客が来ているようだ。
まあ、レニは上辺だけの自分と違って社交的な面があるし、別段珍しい事でもないだろう。だから、特に相手が誰なのかを気にすることもなく、ミーアはドアを開けて――
「――」
そこで、息が止まった。
唖然として、頭が真っ白になってしまった。
「頼む、付き合ってくれ」
レニの両肩を掴み、グゥーエ・ドールマンが真剣な眼差しを向けている。
今にもキスが行われそうな近距離。でも、レニに抵抗の素振りはない。
「俺にはもう、お前しかいないんだ。お前しかいないんだよ」
グゥーエの声には熱がこもっている。
そして二人とも帰宅したミーアにはまったく気づいていないようで、つまりそれだけ二人の世界に入っているということで、
(これって、もしかして告白……!?)
凄いところに出くわした。本当に、凄いところに出くわしてしまった。
人生初の体験。しかも、小説や絵本の中にしかないと思っていたような出来事である。……だが、それが連れてきた浮ついた気持ちは、即座に鎮火してしまった。
ある可能性が、頭の中を駆け巡ったからだ。
(……もし、二人が恋人になったら、私は、どうなるんだろう?)
今までと同じでいられるのだろうか? それとも自分という存在は邪魔になってしまうのだろうか?
それを想像しただけで、身体が震えそうになっていた。
嫌だ。ダメ。怖い。この先を見たくない。一刻も早く結果から遠ざかりたい。
愚かな現実逃避だと判っていても、その気持ちがミーアの踵を、まだ閉めきっていなかったドアにぶつけさせた。
そうして、まったくコントロールできていなかった身体から発生した音に無様に硬直してしまったところで、それに気付いた二人の視線がこちらに流れてくる。
その視線に何が宿っているのかを、とてもじゃないけれど直視できなくて、ミーアは俯いた。
「あ、あの、お、お構いなく。私はすぐに、その、出ていきますので……」
「いや、出ていく必要とかまったくないけど」
やけに褪めたレニの声が返ってくる。
これは、やっぱり場違いなタイミングで帰ってきてしまった自分への非難ということなんだろうか。
どうしてもそう捉えてしまい、ミーアはますます委縮するが、
「……とりあえず、グゥーエさん、彼女に説明をお願いしてもいいですか? あと、近いから、そろそろ離れてくれると嬉しいんですけど」
「お、おう、すまん。つい説得に熱くなってしまってな。いや、本当に、もうあんたらくらいしか候補がいなくてね、これで断られたらどうしようかって状況だったんだよ」
という二人のやりとりを前に、ようやくそれが盛大な早とちりである事に気付いた。
気付いて、また別の気まずさと冷や汗が滲みだす。
「え、ええと、あの、もしかして仕事のお話でしたか?」
「それ以外の、何に見えたのかな、ミーアには?」
勇気を出して持ち上げた視線の先にあったレニは、どこか可笑しそうに、しかしどこか苛立ったように、大変綺麗で冷たい微笑をたたえ、びっくりするくらい感情のない声で、そう訪ねてきたのだった。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。