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06

 懐中時計を開くと、時刻は二十六時に差し掛かろうとしていた。

 耳を澄ませば、左手の屋敷の二階からドールマンさんたちの寝息が聞こえてくる。今起きているのは俺とミーア、そしてノーチェス教授の三人だけだった。

 まあ、見張り役の俺たちが起きているのは当然ではあるんだけど、教授もずっと本に浸って、まったくもって寝る気配がない。大した集中力だ。本当に、彼にとって知るという事は特別な行為なんだろう。

 人生を賭けられるだけのもの。生きがい。今の俺にはないもの。

 まあ、殊更欲しいわけでもないんだけど、真剣に取り組める趣味くらいはあってもいいのかなと、こういう人を見ていると思ってしまう。俺も、本を読むのは好きだけど、やっぱりそこには必要だからっていう義務感も多いから、教授のそれとは決定的に違う気もするし……。

「――周囲に設置していた光石の光が、少し落ちてきましたね」

 教授を見ながら、ぼんやり流していた思考を掻き消すように、隣で体育座りしていたミーアが静かな口調で言った。

 俺とドールマンさんが図書館に行っている間に円を描くように設置されていたそれらは、周囲をうっすらと明るくするだけではなく、一応魔除けとしての効果も持っているらしい。以前、ドールマンさんから貰った信号石と同じ機能だ。

 そのおかげか周囲は穏やかなもので、上にいる魔物たちがここまでやってくる気配もない。

「早く明滅してくれると、ありがたいんだけどね」

 そう言って、俺は腕を真上に伸ばして肩をほぐした。

 予定では起こした面子が教授の傍にいる間に切れかけの光石を換えて、こっちが四時間ほど仮眠をとったところで研究区画に足を運ぶ事になっているのだが、交代まではまだ一時間以上もあった。

 周囲が穏やかなのはいいんだけど、その所為で警戒心は薄れているし、睡魔もしきりに目蓋を閉じさせようとしてきている。

「レニさま、眠そうですね」

「そういうミーアは、平気?」

「それはもちろん……と言いたいところですけど、実は結構眠いです」

 少しだけ恥ずかしそうに、ミーアは答えた。

「じゃあ、少し話でもしようか?」

「そうですね。あんまり夢中になるのは不味いですが、眠気が覚める程度にするのは必要な事ですし」

「あ、でもその前に、なにか飲みたいかも」地面に降ろしていたお尻を持ち上げてから、俺は軽い口調で提案する。「ミーアもどう?」

「では、いただきます」

 一人で飲むのも味気ないと思っていたので、望み通りだ。

 俺は荷物置き場に向かい、自分たちの荷物から水石と火石、それから木製のコップを二つ取り出し、ミーアの元に戻りコップを片方手渡して、そこに水石に宿されていた味付けされた水を注ぎ、その中に菱形の細長い火石の先端を入れる。

 火石から零れた熱は、十秒ほどで湯気を立たせてくれた。

 それを自分にも繰り返して、俺は再び地面に胡坐をかき、一口それを飲む。

 その味は紅茶に生姜を混ぜたような感じで、少し癖があるけど、眠気覚ましにはちょうどいいし、身体も温まるので、日本の初冬くらいのここの気候にはぴったりだった。

「……美味しい」

 噛みしめるようなミーアの声。

「出発前に街で飲んだ時は、そうでもなかったのに。なんだか不思議。やっぱり、冒険の最中だからなんでしょうか?」

 そう呟き、彼女はもう一口それを飲んだ。

 そして短く息を吐いて、オレンジ色のその液体を見つめながら、ゆったりとした口調で続ける。

「私、自分が冒険者紛いの事をするなんて、帝国に居た時は考えた事もありませんでした。外に興味を持ったこともなかった。今になって思えば、私は帝国のごく一部の場所だけで完結していたんですね。どうしようもなく、つまらない人間だった。まあ、それは今もそんなに変わってはないんですけど……でも、ここに来て本当に良かったなって」

 微かに細められた眼に、淡い微笑み。

 小さな幸せを見つけたみたいなその表情は、何一つ過大なものなんてないのに、驚くほどに鮮烈で……ちょっと、息をするのを忘れるくらいだった。

 そんな俺の異変に気付いたのか、ミーアは微かに眉を顰めて、

「どうかしましたか?」

「あ、いや、なんでもないよ。ただ、私もちょっと、昔の事を思いだしていたってだけだから」

 適当な言葉でお茶を濁しながら、視線を逸らす。

 それが、途端に彼女の表情を曇らせてしまった。

「昔の事、ですか……?」

 声に含まれる、微かな後悔。

 もしかして、ミーアは知っているんだろうか? レニ・ソルクラウの過去を。

 俺と彼女が出会った時、初対面だったのは確かだと思うけど、彼女は自分がレニを殺す役割を担っていた事をのちに告白してくれていた。つまり、その関係で出会う前から、ある程度レニの事を調べていた可能性は高い。

 だから、知っていても不思議ではないんだけど……いや、それでも本当の意味で、レニの背景を知っているという事はないだろう。

 俺がこの身体になって最初の頃に夢で知った、その出自。

 レニ・ソルクラウが皇帝と妾の間に望まれない形で生まれた、本来存在してはいけない娘であるこという事は、極々一部の人間しか知らない大スキャンダルだからだ。


 ――そのような力さえなければ、我々が面倒を負う必要もなかっただろうに


 ソルクラウ家の当主と思われる男が、幼いレニに向けて言った言葉を思い出す。

 愛情なんて欠片もない眼差しだった。嫌悪と畏怖に彩られた、まったく血のつながりのない形式上だけの家族。完全な腫物としての扱い。

 あの時、彼女は一体どんなことを思っていたんだろうか? 今なら俯瞰ではなく、彼女の心にまで触れる事になるんだろうか?

 急速に胸の奥が冷めていく不快に晒されながら、俺は小さく苦笑いを浮かべて言った。

「思えば、昔から私はつまらない打算ばかり立てて、人の顔色ばかり窺っていたなって。退屈で窮屈で、居場所が無くて……だから、私もミーアと同じで、昔よりは今の自分の方が好きなのかなって、ちょっと思ったんだ」

 場の空気を悪くしないためと、話を逸らすために適当に良い話に持っていった感はあるけど、これはまったくの嘘というわけでもなかった。だから、少し恥ずかしい。

 ……でも、なんだろう、ミーアが嬉しそうに頬を緩めてくれていたので、プラスマイナスでいえばプラスなのかな。

 そんな風に思ったところで、

「――そうか! そういうことか!」

 と、やたらと大きな声が、心地の良かった静けさを台無しにしてくれた。ノーチェス教授である。

 完全な不意打ちということもあって、俺だけじゃなくミーアも吃驚していたし、屋敷で寝ていたドールマンさんたちも何事かと目を覚ましてしまったようだった。

「ん? あぁ、すまん。とても興味深いことが分かってな。ついつい声を上げてしまっていた。今は何時だ?」

 こちらの非難の眼差しに気付いた教授が、特に悪びれた様子もなく訊いてくる。

「……二十六時ですよ。そろそろ寝た方が良いんじゃないですか?」

 ため息交じりに俺がそう言うと、教授は驚愕するような表情と共に、口早に言葉を返してきた。

「なにを言っている? ようやく頭の方が回りだしてきたんだぞ、そんな事が出来るわけないだろう? それより聞いてくれ! この都市について色々と判った事があるんだ!」

 自分の太腿をばしばしと叩きながら、やたらとテンションが高い。

 それだけ、大きな発見があったという事なんだろう。

 だったら、ちゃんと聞かないわけにはいかないし、全員が情報を共有するに越した事もない。

 教授もそうするべきだと考えたのか、すぐに話を切りだす事はなく、ドールマンさんたちが降りてくるのを待ったところで、重々しく口を開いた。

「いいか、この都市はいくつもの異世界と繋がっているんだ」

「……異世界? それは海向こうの事ですか?」

 口元に左手を置きながら、ミーアが訪ねる。

「確かに海の先は我々にとって異世界だが、そうじゃない。そうじゃないが……あー、何と言葉にすればいいんだろうな、人域や魔域といったものとはまた別の、特別な境界線の向こうとでもいうのか、とにかく神の住まいよりも遠い場所だ。それこそ言語すら噛み合わないほどにな」

「曖昧な物言いだな。本にあった情報でもないのか。……なら、根拠はここの骨董品か?」

 と、寝癖頭をかきながら、ドールマンさんが言う。

「そうだ、ここにある宝たちの統一感のなさが、欠けている情報を埋め合わせてくれたといってもいいだろう」本を大事そうに撫でながら、ノーチェス教授は答えた。「この都市――ミトケアという名前らしいが、ここはルーゼ・ダルメリアと違って一つの都市だけで完結している世界だ。そして一つの都市だけで発達する文化というものには必ず限度がある。置かれている環境というものがあるからな。基本的にそこに適応する方向にしか伸びない」

「いや、月ごとに環境が激変する場所だったりした場合は、必ずしもそうとは言えないと思うが?」

 自身の眼鏡のレンズをハンカチで拭きながら、コーエンさんが眠たげな声で言う。

「そうだな、その場合は多様な困難に向き合う必要があるだろう。だが、家や塔の材質などを見ればわかる。ここの環境は安定していた」

「けど、それだけなら別に、海向こうの物でも成り立つんじゃないの? さすがに、異世界っていうのは飛躍しすぎな気がしますけど」

 困惑気味な表情で頬を掻きながら、フラエリアさんが指摘した。

 それに同調するように、コーエンさんも言葉を続ける。

「かつて世界は一つだったという昔話を、そもそもどの程度信用していいものかも怪しいしな。言葉が通じる大陸はあると思うが、全てがそうである保証はないわけだし、文字だけっていうのは、根拠として弱いと思う」

「たしかに、文字だけであればそうだ。だが、それ以上に決定的なものがある」

 そう言って、ノーチェス教授は近場に転がっていたガラクタの一つを手に取り、それをコーエンさんに向かって放り投げた。

「これらの物に使われている素材だ。魔力が一切通っておらず、複雑な構造をしていて、特殊な金属がつかわれており、量産品としての可能性がある。そのうえ、大した重要性もない。そういうものが多すぎるんだ。こんなものが成り立つのは、魔物がいない、魔物以外の資源に溢れている環境という事になる。もしかすると魔力がない世界なのかもしれない。それは、果たして我々の世界と言えるか?」

 ……教授の推測はおそらく正しい。

 でも、そう思えるのは俺自身が此処とは違う世界から来た人間だからで、ドールマンさんたちにとってはやっぱり、その話は荒唐無稽の域を出るものではないんだろう。

 そもそも、まだ研究区画にすら辿りついてもいないのだから、推測の部分も多すぎるわけで、それが自然な反応であり、むしろ異世界なんて可能性に辿りつく教授が異端と言うことなんだろうけど。

 その異端者は、異端ゆえに他人の同意にはまったく期待していないのか、

「これは想像していた以上の発見だ。今回の仕事は間違いなく長くなる。契約期間の延長がしたい。報酬は破格を約束しよう。どうだ? 付き合ってくれないか?」

 と、自分の結論を前提に、そう提案してきた。

「報酬払うのはあんたじゃなくて、ルーゼだろう? まあ、あんたが駄々をこねれば、通りそうではあるけど」

 若干呆れ交じりに、ドールマンさんが笑みを浮かべる。

 ――と、そこに、突然地震がやってきた。

 震度は多分三くらいで、そこまで大きくはないけど、これが余震だったちょっと怖い。

「ザラー」

 同じ事を思ったのかどうかは定かではないけど、鋭い声をドールマンさんは放った。

 すかさずコーエンさんが目を閉じて、魔力による広域レーダーを展開する。

 俺もとりあえず周囲の感知をしてみたが、これといって大きな変化は感じられなかった。

 ただの地震なのか、それともレニの感知範囲の外でなにかが起きているのか……どうやら、正解は後者だったようだ。

「教授、すまないが、その契約は出来そうにない」

 微かに震える声で、コーエンさんが言った。

 よほど異常な事態なものに触れてしまったのか、声だけじゃなくて身体まで震えている。

「……一体、なにが起きたというんだ?」

 尋常ではない様子に、さすがのノーチェス教授も警戒を滲ませる。

 その真っ当さに、少しだけ安堵を見せるように短く息を吐いて、コーエンさんは強張ったままの声で告げた。

「大変動だ。……魔域が、世界を変貌させながらこちらに向かって来ている。まるで、この都市を完全に呑み込もうとするみたいに」




次回の投稿は一月四日となります。よろしければ、また読んでやってください。


それでは皆様、良いお年を。

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