02
予期せぬ再会には驚きがあったけれど、とりあえず当初の目的を果たすべく、受付の人に封筒を渡してお使いを完了させる。
それから、おそらく用はないんだろうけれど話したい事があるのか、外に出る事を中断していたミミトミアとザーナンテさんに向き合う事にした。
「それで、どうして貴女たちが此処にいるのですか?」
こちらが口を開くより先に、ミーアが凄く嫌そうなトーンで訪ねる。
それにやや気圧されつつ、
「別に、あんたには関係ないだろ?」
と、ミミトミアは攻撃的な言葉を返した。
「そうですね。では、私達はこれで失礼します。行きましょう、レニさま」
有無を言わさぬテンポでミーアが歩きだすが、それは「まあまあ」と間に入ったアネモーによって中断させられる。
「せっかく顔合わせたわけだし、今二階空いてるし、わたしもグゥーエとザラー来るまで暇だし、ちょっと話そうよ。飲み物も驕るし、ね?」
「……貴女が、そう言うのなら」
「ありがと。じゃあ、わたしは水屋さんにちょっと寄ってくるね」
言って、アネモーさんは軽やかな足取りで、組合を出て行った。
多分、ここから百メートル程度の距離にある『溺れるほどに美味』というやたらとハードルを上げている名前の水屋に向かったんだろう。あそこは一種類しか飲み物を取り扱っていないので、リクエストを聞かない事にも納得がいく。
まあ、それはともかく、ミーアも了承した事だしと、二階へ向かう。
依頼が貼りつけられたボードみたいなものが奥にある以外に、特に何もない空間。アネモーさんの言った通り人の数は少ない。
「ってか、ここの組合って大丈夫なわけ? 人少なすぎる気がするんだけど」
気だるげな調子でミミトミアがぼやいた。
隣のザーナンテさんもなんだか落ち着かない感じだ。
「そんな事知りませんし、どうでもいいです。組合の実情は冒険者にでも聞いてください」
突き放すように、ミーアが言う。
その言葉に、何故かミミトミアは怪訝そうな表情をして、
「待って、あんたらって冒険者じゃないの?」
「違います。なんですか? 違うと困ることでもあるのですか?」
「いや、別にそう言うのはないけど。……先輩とか後輩とか、そういうのはあるでしょ? 一応、ほら、あたしたちは余所者なわけだしさ。ここじゃ新参でしょ」
「驚いた。その態度で気にしていたつもりだったのですね」
ミーアの毒舌が止まらない。
これはきっとあれだ、二日前にお互いが別れていた時の情報を共有した所為だ。最初敵として現れたという事実が、結構なマイナスとして機能しているっぽい。
個人的にはもう解消された悪印象だったので、特に気にする事なく話したのだが、それが不味かったみたいだ。
「でも、本当にどうして此処に?」
とりあえず険悪な状況を避けるべく、壁際に設置されていた椅子の一つを彼女の前に差し出してから、自身も椅子に腰かけて訪ねる。
「あ、ええと、それは、あれよ、あれ」
どうにも言いにくい事情があるようだけど、あれではさすがに判らない。
とはいえ、ここで急かしても却って逆効果だろう。
そのあたりは同じ認識だったのか、ミーアも特に口を挟むことなく、ただ静かに俺の隣にあった椅子に腰かけた。
「……その、なんだ、今回の件で色々と思う事があって、修行ってわけじゃないけどさ、ナアレさん抜きで、ちょっと頑張ろうかなっていうか」
「そちらも、そうなのですか?」
ミミトミアに向けていたもの以上に冷たい視線で、ミーアが訪ねた。
「俺は、あれだ。…………正直、よくわかってない。色々と」
実に弱々しい回答だ。
どうして此処に来ているのかだって、疑問に思っているような不確かさ。きっと、自分で決めて此処に来たわけではないんだろう。
「だからここで、色々と見つめ直すってさ」
投げやりにミミトミアがそう捕捉する。
つまり、彼女が主導で決めたことらしい。さすがに、一人で新天地に赴くのは怖かったのか……これはちょっと意地悪な見方かもしれないけれど、同時に、その程度にはザーナンテさんの事を頼る気があるという事で、仲間として再びやっていく意志のようなものが感じられた。
上手くいくかどうかは、ザーナンテさん次第といったところか。
生き方を変えるのはそんなに簡単な事ではないだろうから、どうなるかは判らないけれど、いい関係になってくれればいいなと素直に思う。
そのくらいにはミミトミアの事も好きになっていた自分に気付き、ちょっとした可笑しさを覚えたところで、階段を上ってくる二つの足音を捉えた。
どうやらアネモーさんが戻って来るよりも先に、彼女の待ち人がやってきたようだ。
「――お、珍しいところで会うな。もしかしてなにか依頼か? ザラー、今って何件引き受けてたっけ?」
「二件だ。ずいぶんと余裕がある」
「じゃあ、大抵の依頼は引き受けれそうだな」
そう言ってドールマンさんは爽やかな笑みを、コーエンさんも穏やかな眼差しを向けてくる。
真っ直ぐな厚意を前に、こちらも自然と笑みが滲むが、その空気を嫌うようにミミトミアが強い声を上げた。
「グゥーエ・ドールマン!」
「元気な挨拶だな。ここでの生活には慣れたか?」
「そんなすぐ慣れるわけないだろう! っていうか、お前が紹介したあの場所なんだ? 夜中に悲鳴とか凄く聞こえるんだけど!」
なにやら苦情があったらしい。
「まあ、下地区の傍だからな。でも、安いし広いし、色々と便利だっただろう? それとも、もう少し高いところにするか?」
「む、それは、まだ無理。観光しに来たわけじゃないしな。稼ぐつもりだから、そんなにお金ももってきてないし」
「大した心意気だな。まあ、折れない程度に頑張れよ」
そう言って、ドールマンさんはからかうようにミミトミアの肩をたたいた。
それを挑発と捉えたのか、彼女はその手を乱暴に払いのけて、
「……折れるどころか砕け散ったような奴が偉そうなこと言うな」
と、吐き捨てた。
親切を受けようがやっぱりドールマンさんの事は嫌いな様子だけど、それにしても砕け散った?
言葉の意味が把握できずに眉を顰めていると、それに気付いたドールマンさんが苦笑を浮かべて言った。
「要は好きだった女に盛大にフラれたって話さ。清々しいくらいにな」
「……」
隣のミーアの表情が、少しだけ揺らぐ。
多分、俺も同じような表情になっていたと思う。
ドールマンさんの声は、言葉以上にさっぱりしていて、自分の気持ちを終わらせるためにアカイアネさんに告白した事を物語っていたからだ。そしてそれは、アネモーさんにとっては大きな意味を持つ事で、多分ドールマンさん自身、それを受け入れる準備を始めたようにも感じられた。
ミミトミアもそうだけど、ドールマンさんたちも今回の件で、新たな一歩を踏み出したというか、前向きな変化を受け入れたという事なんだろう。
もちろん、それは俺にもきっと言える事で……いや、俺の場合は新しい問題というべきか、けして望ましい変化ではなかったけれど……。
「――戻ってきたようですね」
ぽつりと、ミーアがそう呟くと同時に、組合の扉が開く音をこの耳は捉えた。
足音は二人分。一人はアネモーさんで間違いないようだけど、もう一人の足音はやけに小さい。
二つの足音は真っ直ぐにこちらに向かって来て、
「……グゥーエ、大事な事は忘れたらいけないと思う」
姿を見せるなり、アネモーさんは何故か非常に暗い表情でそんな事を言って、ちらりと隣にいる小柄で可憐な朱毛の少女に視線を向けた。
言わずもがなのリッセである。なんだか酷く上機嫌に見えた。……こめかみに、青筋さえ立てていなければだが。
「あぁ、そういえば、あいつは役に立った?」
不意にこちらに視線を向けて、そのリッセが訪ねてくる。
あいつとはレドナさんの事だろうか。
「うん、とても。出来ればレフレリに居る間にお礼を言いたかったんだけど」
「別にいいさ。最後らへんは特に機能しなかったとも聞いてるしね。あいつにしては珍しい話だけど。やっぱり、余所の都市だと勝手が違うって事かしら?」
くすくすと可笑しそうに笑ってから、リッセは短く息を吐き、
「ところで、あんた誰?」
と、今度は視線をミミトミアに流した。
「そういうあんたこそ、誰だよ?」
警戒心を剥き出しに、ミミトミアが凄む。
そこに恐怖の色が滲んでいるのは、本能的に勝てない相手だと感じての事か。
「威勢のいい奴ね。嫌いじゃないけど……でも、ここで揉めたら死ぬ相手の事は早く覚えた方がいいわよ。余所者さん。特に下地にいる他の奴等は、あたしほど優しくはないからね」
その言葉の直後、ゴッ、という鈍く硬い音と共に、ドールマンさんから呻き声が漏れた。
突然の事に驚いてそちらに向くと、そこには彼の脛を思い切り爪先で蹴飛ばしていたリッセの姿があって……どうやら、お得意の魔法で気付かないうちに足が届く距離まで接近していたらしい。
「いつまで他人事なツラしてる? お前、あたしに言う事あるだろう?」
ドスの利いた声と共に、リッセがもう一方の脛を蹴飛ばす。
これは直撃箇所に魔力を集中させたことで、最低限のダメージに抑えたみたいだけど、それでも涙目になる程度の痛みは被ってしまったようだ。
「ま、待て、なんのことかさっぱりなんだが――いや、待て! 思い出した! 思い出したから!」
おもむろにナイフを取り出したリッセを前に、かなり焦りながらドールマンさんはそう言って、ちらりと彼女の後ろにいるアネモーさんを見た。
うん、これは絶対に思い出していない。
それを誰よりも早く理解したらしいアネモーさんが、あたふたとしながらジェスチャーを始める。
左手にグラスみたいなものをもち、右手にもったなにかを注ぐようにしてから、その右手を指差すというジェスチャーだ。
それで、そういえば、俺が廃都市関係の依頼を受けた日に、リッセにお使いを頼まれた的な事を話していたのを思い出す。そう、たしか、お酒だった筈だ。
「あー、ええと、その、なんだ……人間忙しいと大事な事も忘れるというか。いや、買ったんだ! ちゃんと買った! ただ、それを持ち帰るのを忘れたというか……」
「ねぇ、知ってる? 世の中には臓物酒っていう奇酒があるのよね。名前の通り、臓物につけた酒の事なんだけどさ。一度は飲んでみたいものよね、そういうのもさ」
実に蠱惑的な笑みを浮かべて、リッセは手にしていたナイフをくるりと回し、柄の部分をドールマンさんに向けてそれを差しだし、
「腹かっ裂け。そのあとはこっちでしてやるよ」
と、どこまでも底冷えするような声で言い放った。
うん、やっぱり、リッセは怖い。……いや、まあ、それでもさすがにこれは言葉だけで、本気で実行する気はないと思うけれど、アネモーさんは自分たちに非があるという自覚からか口を挟みずらそうにしているし、それにドールマンさんにはレフレリでも助けてもらった。ここで借りを返しておくのも悪くはないだろう。
「もう、それくらいでいいんじゃない?」
と、俺は苦笑気味に言った。
「なんだ、そっちの肩をもつのか? あたしにも借りがある筈なんだがな」
微かに目を細めて、リッセが切り返してくる。
こちらの心情をこれ以上なく的確に読んでいるあたり、ちょっと嫌な感じではあったけれど、引き下がるほどでもない。
「確かに、報酬以上の働きはしてもらったと思ってるよ。でも、こっちは無償だったからね」
「ただより高いものはない、か。いいわ。あんたの事情には納得してあげる。でも、あたしの気持ちはどう片付けてくれるわけ?」
「それは、次転移門が開いた時に取って来てもらえばいいんじゃない? 一本か二本分、色を付けてもらって。違約金としてはそれが妥当なところだと思うけど?」
「……そうね。こいつが真っ先にそう言えば、穏便に済んだ話だったんだけどね」
蔑みを露わに、リッセが再びドールマンさんに視線を戻した。
「うぅ、すまん」
反省の色を感じさせる沈んだ声と共に、ドールマンさんが俯いた。
それに、リッセは盛大なため息をついて、
「青のヴィレシャの四十年物。必ず買ってこい。それで許してあげるわ。……あぁ、それとレニ、あんたの顔を立ててやったかわりに、開封時は付き合ってもらうわよ。ちょうど、二人きりで飲み明かしたいって思ってたしね」
どこか小悪魔的な微笑をこちらに向けてきた。
「まあ、それくらいなら――」
「そのような必要は一切ありません。貴女は一人で飲んだくれていればいい」
俺の言葉を遮って、やけに強い口調でミーアが言った。
そこまで過剰な反応をする理由が見当たらず、ちょっと面喰ってしまう。
そんな俺と対照的に理由が判っているのか、リッセはいっそ穏やか過ぎるほど穏やかな表情で、静かな言葉を返した。
「心配しなくても、つまらない真似はしないわよ。あたしにとってはどうでもいい事だしね。……でも、それでも心配だっていうなら、しっかりと捕まえときな。――ほら」
瞬間、ミーアの身体がこちらに迫ってきた。
なにかにいきなり引っ張られたような感じ。もちろん、やったのはリッセ。神経を研ぎ澄ましていない時の彼女の魔法は、本当に把握不可能なのだ。
ともあれ、今までの俺なら特に動じる事もなくミーアを受け止めて、それで終わりだっただろう。
けれど、彼女に触れた途端、自分でも判るくらいに身体が強張ってしまった。
「レニさま?」
その反応に気付いたらしいミーアが不思議そうに、こちらを覗きこんでくる。
無防備な瞳。息が掛かるほどに近い距離。
「な、なんでもない!」
努めて平静を装いながら身体を離す。
血流が明らかに活発になったのを示すように、顔が熱くなっているのがよく判った。
それを悟られるのが嫌で、俯いて表情とか隠しつつ、なんとか言い訳の言葉を口にする。
「ただ、ちょっと、まだ本調子じゃないみたい。熱があるの、かも……」
上擦った声。我ながら説得力がない。まったくもって自分を上手くコントロールできていない。
……本当に大問題だ。こんな変化…………こんな自覚、望んではいなかった。そういうものとは一生無縁だと思っていたし、嫌悪すら抱いていたのだから。
今でも間違いだと思いたい。……だけど、もう誤魔化しは利きそうにない。それを、友人に対するちょっとした独占欲という言葉で片付けるのは不可能だった。
十八年近く生きてきて、俺は初めて恋をしたのだ。
途方に暮れそうな、厄介な恋を。
今回をもって『神を殺すまで 残骸が囁くもの』は完結となります。
なかなかに長い話になってしまいましたが、最後まで付き合ってくださり、本当にありがとうございました。
次回は、9月24日に投稿予定です。
おそらくは短編をいくつか経て、長編という形になると思います。
レニ達の物語、この異世界の物語にまだ興味を持っていただけるのであれば、嬉しい限りです。
よろしければ、また読んでやってください。