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09

 仮眠を全員が取り、ささやかな食事を済ませたところで、旅車は夜を駆けだした。

 といっても、夜だからといって特別なにかが変わるという事はなかった。元々夜目は利くので、吹雪や砂嵐なんかよりもよっぽど視界は良好だったし、その時間帯に魔物が活発になるというわけでもなかったからだ。

 だから次の日の旅は、そこまで大きな衝撃を受ける事もなく消化された。

 そして、三日も過ぎれば色々と適応してくるもので。俺達は重力が崩壊した世界を避け、凄まじい暴風が吹き荒れる場所を掻い潜り、マグマが波打つ海を遠目に見ながら、灰色の霧が地面から噴き魔物たちが腐っていく光景に鼻をつまみつつ、レフレリへと近づいていき……


「……そういえば、今日で何日目だったっけ?」

 朝食のスープを一息に飲み乾したところで、胡坐をかいていたドールマンさんが眠たそうな声で訪ねた。

「七日目だ。一応予定通りには進んでる。折り返し地点だな」

 すでに身なりを整えていたコーエンさんが答える。

 今、俺たちがいるのは、日本庭園の如き石畳が見渡す限りに広がる、感嘆すら零れそうなくらいに静謐で神秘的な場所だった。雲一つない空の上から零れる白陽の光が、なんとも淡い色合いを石たちに齎している。

 その淡さに少しだけ眠気を誘発されて、欠伸を噛み殺したところで、

「でもさ、ここからレフレリに向かって直進すれば、二日で到着できるんだよね?」

 と、芯まで焼けた肉を両太腿に乗せた皿の上で切り分けながら、荷台の最後尾に腰かけていたフラエリアさんが口を挟んだ。

 そこには、七日間の疲れが如実に表れている。こういう冒険に慣れていようが、疲労の蓄積というものは誤魔化せないということなんだろう。

「魔域を通れば、だ」

 やや硬い声で、ドールマンさんが答えた。

「それはもちろん知ってるけどさ。……たとえば、ソルクラウさんと二人きりとかでも、やっぱり無理な感じなの?」

「強い弱いの問題じゃないからな。あそこはまず空気がヤバいんだよ。そこから滲み出る魔力が毒過ぎるんだ。無尽蔵の魔力でもない限りは、削りきられて終わりだな」

「ドールマンさんは、魔域に入った事があるのですか?」

 初日以降は色々とペース配分が分かってきたのか、それなりに安定した顔色を維持しているミーアが、躊躇いがちに口を開いた。

「まあ、一度だけな」

 そう答えて、ドールマンさんは左手に持っていた分厚い骨付き肉を、豪快に噛み千切る。

「そうなの? わたし、初耳なんだけど」

 荷台の最後尾に腰かけているフラエリアさんは、不満そうな表情と共に、少し浮いていた足をぶらぶらと前後に揺らした。

「お前がまだ町娘やってた頃の話だよ。ちょっとした好奇心って奴に駆られたというか……ほら、魔域がヤバいっていうのは誰もが知ってる事だけど、具体的にどうヤバいのかとか、中域と何が違うのかとかって、正確に理解してる奴は少ないだろう? 体験してる奴はもっと少ない。だから、腕試しも兼ねて確かめてやろうかと思ってさ」

「無謀な事を」

 呆れたように、コーエンさんが呟く。

 それを微苦笑で受け止めつつ、

「本当にな。けど、おかげで凄いものを見る事も出来た」

 と、ドールマンさんは言った。

「凄いもの?」

「空に在る絶望」

 その言葉に、コーエンさんが目を見開く。

「まさか、龍種を見たっていうのか? あの絶対者の一つを?」

「あぁ、今でもはっきり覚えてる。初日の吹雪の中で降りてきた気配よりもずっとデカかった。多分、トルフィネの半分くらいはあったんじゃないか。だから、離れていてもよく見えたんだ。そいつはぐぅぐぅと居眠りしててな。その音に滲んだ魔力だけで、死ぬんじゃないかと思うほどだった。あれは良い教訓だったよ。まあ、お前らには必要ないものだろうけどな。――あぁ、わるい、おかわり貰えるか?」

 スープが入っていたコップをフラエリアさんにつきだして、ドールマンさんは話を切った。

 愉しげな口調に反して、実際それは彼にとってかなり苦い体験だったのかもしれない。

 ……しかし、それにしてもドラゴン、か。まあファンタジーの定番といえば定番の存在だけど、この世界にもいることには少し驚いた。

 もちろん、俺が想像するような姿をしているのかどうかは不明だし、同じ発音をする全く別の生物である可能性も多分にあるわけだけど、絶対者という言葉の響き的に、強力無比な存在であることは間違いなさそうだ。

 なんにしても、関わり合いにならない事を心の底から願いつつ、俺もミディアムレアの肉をかじり、朝食を消化していく。

「……さて、腹も程良く満たされた事だし、そろそろ移動の準備を始めるか」

 最後のコーエンさんが完食したところで、ドールマンさんが立ち上がった。

 俺とミーアも石畳の上から立ち上がり、お尻を軽く叩いて埃を払う。そして手にしていた皿を袋の中に仕舞い荷台に戻したところで、

「――な!?」

 驚愕に息をつまらせるような、ドールマンさんの声を聞いた。

 明らかに普通の反応じゃない。その理由に、俺も少し遅れて気付いた。

 荷台の中が暗いのは遮光性の布を被っているから当然だとしても、そこから窺える外の景色までもがやけに暗くなっている。

 夜目が利き過ぎる所為で、最初は上空に雲でもさしたのかと思ったが、外に出た事ではっきりした。

 僅か数秒足らずで、朝が夜になっていたのだ。

 石畳だった筈の足場も、ただただ黒い水たまりのようなもので埋め尽くされていた。

 まあ、といっても、その程度の異常である。ここまでの道程で味わったものと、それほどの違いはない。……多少気が緩んでいた所為もあるんだろう、愚かにも俺は少しの間そう思っていた。

 だが、違う。そうであるのなら、一番外の世界に慣れていそうなドールマンさんがここまで動揺を見せるわけもないのだ。

「……これは、リッセの奴にでも化かされたか?」

 無理に吐きだしたような軽口には、微かな震えがあった。

 ちなみに、リッセの魔法ならこの光景を生み出す事は容易なんだろうけど、彼女の力はあくまで視覚に影響を与えるものでしかないし、下準備が出来ているトルフィネという場所以外ではそこまで凶悪に機能させられるものでもない、と以前ミーアが言っていたのを思い出す。

 まあ、それでも十分に危険な魔法ではあるとも評価していたが。それはさておき、そんなリッセの魔力は一切感じられなかった。自身の魔力で周囲の感知を阻害する事は出来ても、長時間魔力を隠しきるなんて芸当は、トルフィネであっても出来ない筈だ。

 それ故に、彼女が近くにいる可能性は皆無だといえるだろう。当然といえば当然の話ではあるが。

「……間違いない。これは夜の女王だ」

 空を睨みながら、コーエンさんが強張った声で呟いた。

 俺もつられるように視線を上げて、夜に灯る二十八の巨大な星を確認する。

 この世界の夜に浮かぶ星は二つが基本だ。それ以外の光景を見たことはない。つまり、この光景こそが夜の女王とやらを明確に指している特徴ということなんだろう。

「夜の女王とは、一体なんなのですか?」

 アルドヴァニア帝国には存在しないのか、少し険しい声色でミーアが訪ねた。

「絶対者の一つだ。正式な名称は完全不明領域」

「それが、どうして夜の女王なのですか?」

「生還者が揃って見てるんだよ。この領域を彷徨う異様な女を」と、ドールマンさんが答えた。「……あぁ、そういう意味では、まだ希望のある異常事態ともいえるわけだが……本当に、何も感じられないな。目の前にいるあんたらの魔力すら嗅ぎ取れなくなってる」

 言われて、俺もようやく気づいた。

 たしかに魔力感知がまったく機能していない。いわゆる気配というものも、これっぽっちも感じ取れない有様になっていた。

「ザラー、正確な方位は判るか?」

「今のところは。だけど、感知が使えないとなると、移動と共に間違いなくズレていくだろうな。距離の把握もそうだ」

「まあ、目測や歩数でやってるわけじゃないもんな。ってことは、じきに迷子になることが決まったってわけか。この年での迷子は、ちょっと恥ずかしいもんだな」

「……あの、動かないって選択肢はないの? なにか、移動するのがもう決まってるみたいな流れになってるけど」

 不安そうな表情で、フラエリアさんが口を開いた。

 たしかに、突然襲ってきたこの状況だ。嵐のように過ぎ去る可能性だってあるだろう。

 だが、ドールマンさんは短くため息をついてから言った。

「生きて帰って来た奴等も、最初は動かなかったんだよ。外を旅してるんだ、今自分がいる位置と目的地が判らなくなる事以上の致命傷はないわけだからな。保留は妥当な手だろう。けど、それじゃあ何も解決しなかった。そして、情報通りならここには魔物も出ない。つまり水も食料も減る一方だって事だ。今、俺たちがもっている食糧の備蓄分はせいぜい三日程度。水は一週間くらいか。まあ、食糧の方は我慢できるとしても、水は五日も絶てば命にかかわる。……一応聞くが、レニ、ミーア、あんたらは水の魔法を使えるか?」

「「……いえ」」

 と、俺たちは揃って答えた。

「なら、長く見積もっても二十日が此処にいられる限度だろうな」

「それだけの時間を使っても抜け出せないほどに、この領域は広いということですか?」

 周囲を改めて見渡しながら、俺は訪ねる。

 すると、ドールマンさんは難しい表情を浮かべ、

「それは、どうだろうな。そこまで単純な問題ならまだいいが……何人かいる生存者の中に、補給なしで長期間活動できるような魔法をもった奴がいてな。そいつは女に遭遇するまでの一年と二十七日、自身の魔力を糧にして、永遠にも思えた夜を真っ直ぐに移動し続けたらしい。時計も持って、日付も確認していたみたいだから、経過日数に誤差もない。だが、この領域から出る事は叶わなかった。方向感覚を狂わされて同じところをグルグルしていていたのか、距離って概念がそもそもないのか、そのあたりは判らないが、感知が死んでるって事は、それらを把握する事も不可能だって事だ」

「……つまり、はっきりしているのはその女に出会えなければ、ここからはけして抜け出せないと言うことですね」

「それも確実とはいえないが、少なくとも最低条件がそれなんだろうな」

 感知も規模も不明となっているこの世界で、たった一人の女をまず見つけなければいけない、か。それは果たして、砂漠で砂金を見つける事よりも簡単でいてくれる問題なのか。今の所、幸運以外の解決策がまったく見えないというのが、なんとも恐ろしい話でもだった。そこが、今までの困難と決定的に異なる点だ。

 魔物にしても、砂漠や吹雪にしても、過酷ではあったけれど自分たちがするべき行動は判りきっていた。だが、今回の件は自分たちが何をしていいのかすら、判らないのである。

「……すまないな。もしかしたら最悪の誘いをしてしまったのかもしれない」

 どこか寂しそうにも見える笑顔で、ドールマンさんは俺たちにそう言って、

「けどまあ、嘆いても仕方がないんでな。これまで色々あったが生きてきた悪運って奴を信じるとして、さて、どっちに移動するべきか……」

 果ての見えない真っ平らな地平線を、歯を軋ませながら睨みつけていた。



次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。

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