プロローグ/六番目の星
こちらは『神を殺すまで』『神を殺すまで 貴族飼いの朱』の続編となっております。
神という存在は絶対的なものだ。
あらゆる生物を管理し、あらゆる法則を支配し、あらゆる自由を行使する。
それは世界の頂点に位置する権威といってもいい。
だからこそ、誰も神には逆らえない。
(そうだ、逆らえるはずがない、逆らってはいけない。そうでなければ、ならないはずなのに……)
目の前に、野性味あふれる風貌の男が悠然と佇んでいる。
人間の姿をしているが、人間ではない。
此処は魔域の中枢だ。常軌を逸した魔力の渦が、魂すらも融解させる死の世界。
人域と呼ばれる、極々少量の毒素の中でしか生きられない脆弱な生物が、こんなところで活動できるわけがない。
故に、目の前にいるのは管理者だ。
魔域を管理する怪物。神が生み出した秩序。つまりは神の従僕である。従僕なのだ。神より劣っていなければおかしい存在。
だというのに、そんな奴が、あろうことか神であるこの身を半死にまで追いやったあげく、格差を示すかのように自分を見下ろしている……。
こんな光景が、許容されていいはずがない。おかしい。あり得ない。あってはいけない。なにかの間違いだ。性質の悪い夢。そう、夢だ。夢以外考えられない。調整が上手くいっていないから、こんな夢をみているのだ。だから、目覚めさえすれば抱く必要もないこの屈辱だってきっと――
「可哀想な代用品だな。まだ現実を受け止められないのか? それとも本当に生まれたてで、必要な情報すら届いていないのか? 或いは、扱いやすさを重視されて頭の中がおめでたいものだけで埋まってるのか……まあ、なんにしても、ここまで脆弱になっているとは思ってもいなかったがな」
肉食獣じみた見た目に反した、やけに理知的な声が憐みを示す。
「脆弱、だと? この私が、このクラーナが……!」
「貴様たちは失敗した継承に似ている。繰り返すほどに劣化して、やがて取り返しがつかなくなるんだ。それでも誰かで埋めなければ維持できないほどに、この世界は末期にある。……くく、実に愉快な話だとは思わないか? なあ、哀れな小神よ」
男の眼に、凄まじいほどの殺意が宿った。
初めて経験する怖気に、クラーナの喉は震える。
だが、それが音になる前に、彼の口元を男の大きな右手が塞ぎ、
「神を騙るのなら、これ以上の惨めは控える事だ。それはクラーナに対する冒涜にしかならない。あれは、本当に面倒な障害だったのだからな」
(い、嫌だ、死にたく――)
本能が叫びとなる前に、彼の身体は塵一つ残らないほどの強力な魔力によって消滅した。
そうして、戦いとも呼べない戦いが終わったところで、
「驚くほどに拍子抜け。今の神ってこの程度なの? これなら私でも倒せそう」
と、安全なところで観戦に徹していた幼い少女が嘲笑を浮かべながら、男の元に重力を感じさせない軽やかなステップで近付いてくる。
その上機嫌な有様を前に、男は苦笑を浮かべながら、
「では、次は任せるとしようか。私も楽が出来そうだな」
「――え?」
予期せぬ言葉に、少女の身体が前のめりに傾いた。
ステップをミスって躓いたのだ。動揺の度合いがよくわかるシーン。
「し、失敗してもいいなら、引き受けてもいいわ」
やや引き攣った声で、少女はそう答えた。
「なんだ? ただの軽口だったのか?」
「そうよ。可愛げのあるユーモア。それを苛めるなんて酷い男」
「たしかに、そうだな。増長でなかったのなら、問題もないわけだしな」
可笑しそうに笑いながら、男はトドメを差す前に右手を濡らしていた返り血を振り払って、
「それはそうと、報告があって来たんだろう? 大きな予定は今のところなかった筈だが……我らが黒陽が、また気紛れでも起こしたか?」
「起こしたの別の方。貴方のご同輩よ」
「ご同輩? ……そうか、彼女か」
懐かしい顔を思い出しながら、男はやや苦い声をもらし、
「それで、場所は?」
「裁かれた地。ちょうど、英雄もどきが向かう場所ね」
「それはまた不思議な巡り合わせだな。いや、この場合は引力が働いたと見るべきか…………まあいい。状況はわかった。だが、私はこれからする事があるのでな。対処はお前さんに任せるとしよう。上手くやるんだぞ? ネムレシア」
「心配なんて不要。所詮は人間相手。ほどよく追いつめて、ほどよく伸ばすだけの事でしょう? すぐに終わらせるわ」
言って、ネムレシアと呼ばれた少女は空間を渡り、この場から姿を消した。
それは超常を明確に物語る力だ。
普通に考えれば、人間やそこらの魔物相手に遅れを取る事など考える必要もないが……
「……大丈夫かね? あの娘は」
今のも軽口である事を願いつつ、男は夜の空を見上げて、再び昏い亀裂によって輝きを没していく一つの星を前に、どこか憂うように目を細めた。
次回は三日後に投稿予定です。よろしければ、また読んでやってください。