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灰病み世界の無くし物  作者: 名無しの某
6/9

6話 ある一幕

今日もまた、下界の民など知らぬように煌々と太陽は照りつける。しかしその恩寵たる暖かな日差しも冬の寒風の前では無意味なのか、上書きするように寒さが突き刺さるばかりである。


「よく寝てたわね」

「上等なベッドで寝たのは久しぶりです」

「そう。気に入ってくれたようで何よりよ」

「本当に使って大丈夫なんですか?」

「どうせ私が継ぐまで秒読みだったんだから、今もちょい先も変わんないわ」

「はぁ、なら良いのですが………」

「さっさと朝食、それから今日も始めましょ」

「何から何まですみません」

「いいの。いいもの食べなきゃいい結果は出せないわよ」


ライ麦パンに、半熟の茹で卵、ハム、コーヒー、それと少々の野菜。流石に朝は重くあってはいけないと、オーソドックスながらも堅実なメニューではある。


「これは?」

「ザワークラウト」

「きゃべつの………漬け物ですか?」

「そうね」

「え、酸っぱ………」

「そういう微妙なリアクションするのやめてくれない?」


異国の食文化の違いに、文字通り辟易しつつも、簡易糧秣より味もエネルギーも優れた朝食はありがたかった。


「美味しいですね」

「お口に合ったようで何より。和食がいいならそっちも用意させるけど」

「いえいえ、実に美味しいですよ」

「嬉しいわね。茹で卵は私の手作りよ」

「………あ、はい。美味しいです」


何もおかしなところはなかったな。


「あ、和食もあるじゃないですか」

「あぁそれね、日本の朝食もテキトーに作ってって言ったら出てきたやつよ」

「いいですね。癒しです」


スタンダードな豆腐とワカメの味噌汁。不慣れな外国人が切ったのか不揃いだが、味は劣るという事はない。


「箸がほしいですね」

「あるわよ」

「あるんですか」


日本人からすればなんて事のない、食事風景だが、ヨーロッパ人のハンナからすればそれは、異常とまではいかずとも、やはりオリエント独自の風習は奇妙に写ってしまうわけで。彼女のように箱の中に入っていたのならそれは尚更だろう。知りたいという思いと、知ろうとする使命は似て非なるものである。


「それ、難しいでしょ、食べんの」

「慣れです」

「慣れなきゃ食えないの?トーフ」

「フォークじゃ食いにくいでしょうなぁ」

「修験者みたいなことしてるわね」

「ヨーロピアンにはわからんでしょう」


くつくつと三上は笑う。一体何を目指しているのか謎ではあるのだが。これもまた異文化交流だと思えば良いか。


「お砂糖ってありますか?」

「もしかしてダメだった?」

「いやぁ何とも、あのコーヒーの苦味が好きになれないと言いますか………」

「意外と可愛いところあるのね」

「やだなぁ、嗜好の問題ですよ」


ダイニングルームは一般的な、10畳ほどの広さにテーブル、ちょっとしたアメニティグッズと家庭的であった。ただ、それを格納している施設はおよそ一般住宅と呼べないようなそれである。


窓から新橋駅を臨めるビルヂングの一室。


「まだ緊張してる?」

「こういうのは慣れないんですよ」

「一応ここが拠点だからね?」

「わかっていますが………」


というのも、ここはテナントでも溜まり場でも一般企業のオフィスでもないのである。忙しく動く従業員は7割ヨーロッパ系、残りの3割は外国語に堪能な日本人。日本に出来た小外国のようで、ヨーロッパの言語はからきしの三上には緊張の糸が途切れる暇がない。


「何なら私が教えてあげましょうか?」

「ここ日本ですし、またの機会に」

「あらそう、仕事を追われたら私の護衛として正式雇用してもいいんだけど?」

「それ労働手当出ます?」

「こんな美女と常に一緒なんて、寧ろこっちが金取ってもいいくらいなんだけど?」

「……………」

「冗談なんだけど」

「いやわかりませんよ」


実際詳細のほどを聞きたくなったのだが、日本を発つ仕事は勘弁願いたい。たとえお若い欧州美女の側という役得があったとしてもである。


「それより本当に大丈夫なんですよね?いきなり警官に囲まれませんよね?」

「昨日からそればっかりね。少しは私を信じなさいな」

「無理かと」

「そうよね〜」

「でも自分らの行く末次第では信じられますよ」

「その頃には私ら2人共物言わぬ——」

「やめてください。いや、マジで」


朝っぱらから縁起の悪い。


「とにかく大丈夫よ。こっちにも色々材料はあるんだから。向こうも藪蛇が怖いから手は出さないわ」

「ですかねぇ………」


野宿よりは倍マシながら、疑わざるを得ない。しかし彼女の詭弁すれすれの理屈に閉口せざるを得ない現状は変わらないのである。


国有企業のアライアンス、それを統治する組織は、海外資本のアジア進出のためアジアで台頭する日本に設置されている。いくら形骸化が目に見えるとはいえ、後々提携しなければならない国の国有企業ともなれば、日本もいくらか及び腰になる。というかあの不安定な状況の国だ、どんな因縁をつけられるかわかったものじゃない。


「やっぱ獨逸ドイツの方でしたか」

「ま………半分正解ってとこね」

「半分?」

「後ろ盾っていうのはデカいほどいいのよ。今ヨーロッパ資本でそれが出来るのはドイツしかない」

「ソビエトは明確に敵対していますしね」

「イギリスはアジア進出の拠点をインドと香港に置いてる。日本はそこまで重要視しないでしょう」

「フランスは?」

「ぶっちゃけもう列強じゃなくない?」


とにかく、今アジア市場はヨーロッパに限ればドイツの、海外に広げてもアメリカの寡占状態にある。そのアメリカとの仲も近年悪くなる一方という事らしい。


「中国への介入はアジア進出の一歩だと?」

「じゃない?小娘の言う事を鵜呑みにするんならね」

「………だから日本にこんな立派な事務所が」

「簡易的な実験場なんだけどね」


中国のドイツ企業に様々な、本当に様々なものを運ぶには本国からでは遠過ぎる。かといって、陸続きとなるとソ連に因縁をつけられる。アジアの列強にどうにか話をつけられる日本はうってつけであった。当然、その内に秘めたるものは伏せて。


「だから拠点にぴったりなのね」

「企業人はまず動かない。これで日本政府が動かない限り安全ね」

「流石ドイツ………」

「火薬メーカーも入ってるから弾薬も安心ね」


ビルヂングの中身は国有企業が複数集まるアライアンス事業の実験場であり、生活環境が整っている住居でもある。構成の主となっているのは化学、機械、繊維等の工業である。しかし規模は小さいもので、ハンナの『後継者』という力で保持出来る程度に留まっている。


「軍人っぽく言うと兵站基地ね」

「何でそんなに楽しそうなんですか」

「心躍らないかしら?秘密基地とか探検とか、私は大好物よ」

「避けられる危険は避けたいのですが」

「そんなものなくってよ」

「ですよね」


聞かなくてもわかっていたが、違う答えに淡い期待を抱くもの。それが打ち破られるのも、またどこかで思っていた。軽い矛盾である。


「そういえば今更なんだけど、小銃は持ってて大丈夫なの?」

「問題ありません。警官ですから」

「日本の警官は拳銃なんじゃないの?」

「最近は共産主義運動や無政府主義運動が増えています。京都府警が三十年式小銃を試験導入したようで」

「ここ東京なんだけど」

「何で首都の警察は後回しなんですかね」

「試験だからに決まってるでしょ」


相手が威力の高い猟銃を向けてくれば、反撃には当然それと同等かそれ以上のものが欲しいというのは当然のこと。銃撃戦が基本となるこの近代で、よく斬れる鉄塊など重りか飾りにしかならないものだ。


「いい天気ですね」

「普通ならピクニック日和なんだけど」

「何です?それ………」

「こういう晴天の日にね、外でお昼ご飯を食べるの」

「虫とか寄って来そうですね」

「わかってないわねぇ」


ナンセンス、とばかりにハンナは首を振る。


「景色を楽しむだけならプライスレスよ」

「観光で金取りますけどね」

「んもう、そういう事言ってるんじゃないの」


気怠げというか、ものぐさというか。どうやら三上にこの手の楽しみは響かないようだ。仕事場がデートの舞台であり、仕事が恋人の彼にとってはそれに魅力は感じられないらしい。


「ま、仕事人間のが信用出来るでしょうね。こういう時は」

「趣味人よりは、いくらか」

「わかってるわよ」


それを義侠心と呼べないだろう。しかし、彼は確かにあの時彼女を助けた。そこにある種の策謀も保身もあったろうが、しかし、後付けと言われようとも彼なりの助けなければという念は損なわれていなかった。


「今日はどこから当たりましょうか」

「自分にひとつ心当たりが」

「そう?だったらそこから行きましょうか」


斯様な朝も、そこそこ悪くない。

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