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灰病み世界の無くし物  作者: 名無しの某
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5話 嘘か誠

摩天楼立ち並ぶ都市のど真ん中で、小銃を肩に担いで、彼は既に仕事にかかっていた。大通りの隙間に出来た裏路地の方に目をつけ、アジア有数の大都市東京の、繁栄の裏側へと足を踏み入れた。


別に死体が転がっているだとか、地面が血で染まっているとか、暴力性が表に出ているわけではないのだが、ここがやくざ者の溜まり場にさえならなくなったのは、不衛生さと点ひとつだけが限界突破しているせいなのだろう。

ゴミの山、蠅とその死骸の山、排泄物の山。地獄の三連星はおよそ留まるところを知らず、ゴミ処理場が衛生的に見えて仕方がないところまで来ている。

繁栄を謳歌する裏側ではあるが、ここは特に酷い。


「うぼぼぼ………」


備えていなかったら胃液の大洪水が口から出るところだった。通りが丸々ゴミ捨て場となっているここで、汚物以外に何が転がっているのかと、三上自身問いたいところだったが、答えとしては証拠となる汚物と言えるだろう。人が寄り付かない場所に見られたくない物を隠す。実に基本的、しかし効果的なそのやり方を考えれば、より人に嫌われる地へ。


とは言っても、そんな場所に乗り込めば精神然り色々と擦り切れるのは火を見るより明らかなのだが。


足取りが重い。まさか臭いを吸い込むだけで頭痛と吐き気と倦怠感が襲うとは思わなんだ。鼻が曲がる程度では済まないらしい。


激臭を身体が拒むように咳き込み、それによって足りなくなった空気を吸い込むという負のスパイラル。毒に身を侵されるというのがこういう事かと、文字通り身をもって知ったのだ。とにかく長い時間ここにいたら、瘴気でおかしくなる。


そうまでして行った根拠は、実は薄弱な噂である。


しかしその出所が、警察署だとしたら?


調べないわけにもいかないのである。


(瓦斯防毒面ガスマスクが欲しくなる………)


ガスマスクの仕組みなどわからないが、とにかく毒には防毒。そう思えば、何かで顔を覆いたいというのは本能にも似ていた。


層楼に日差しを遮られ、湿ったままの地面ではぬかるんでいる泥を踏んだのか踏みたくないものを踏んだのか、それは確かめたくもないが。


「これか………」


愛用のライカ式カメラのシャッターを切る。ここまで生き地獄を進んだ甲斐あったのか、神の憐憫かは定かではないが、とにかく真実は三上の味方をした。


くすんだ金色のそれは地面に半没している。あまり触りたくないのだが、指でほじくり返すと、三上の予想が的中する形で姿を現した。もっとも、外れてくれた方が徒労という代償の代わりに先々得るものはあったのだが。


そこには、大量の十四年式実包が廃棄されていた。金粒が埋められているようにも見えるそれは、火薬の残滓まで綺麗に拭き取られ、雷管には発射されていないと偽装する為に撃針が打ち込まれた痕が埋められていた。

それは、工場によって不法に廃棄された空薬莢に見えなくもなかった。


こんな風に、やくざ者より手の込んでいる隠蔽をする組織を三上はよく知っている。いや、そもそも恐怖を与えるという自己顕示で存在をアピールする犯罪者の集まりなんぞとは比べものにならないのだが、とにかくそれを知っている。


「急がないと………」


事態が急変した。こうなるくらいならば裏切ってくれた方がまだマシだったのだが、都合の良さを裏切られる方もまた経験済み。動揺はすれども混乱はせず、事実を焼き付けたカメラを携え、裏路地を去った。


「ばぁぁぁ!!!」


瘴気に塗れた裏路地を抜け、三上は汚物に汚染されていない空気を肺いっぱいに吸い込んだ。とにかく、長く辛い戦いだった。人は悪臭だけで正常な精神の危機と身体の危機が同時に起こると思わなんだ。あの不潔さのせいで、拳銃の空薬莢が捨てられていましたね、くらいしか浮かばなかった。


死ぬかと思った、というのは人生で何度か経験したものの、ここまで滑稽な命の危機というのはかつてなかった。涙を拭き、その他人体保護のため噴出していた体液を拭うと、自分の脚に力を入れて、朦朧としていた意識を手繰り寄せ、取り戻した。


足元のふらつきが治まると、ようやく推測が出来る程度には回復していた。嘔吐剤を嗅がされた気分ではあったが、後遺症がない辺りいくらか優しい、天然の化学兵器であったが。


下手をすれば窒息死さえあり得たあの過酷な環境で、何とか激写したフィルムを現像して銀塩写真の物証にしなければならないわけで。


「三上さん」

「ハンナさん。お早い帰還で」

「まあね。ところで、収穫は?」

「まぁぼちぼちと言ったところです」

「もう犯人の情報が?」

「それより100倍厄介な奴の」

「………そう」

「そのご様子では、そちらも良い結果とはいきませんでしたか」

「こういう時、情報が手に入って良かったって言うべきかしら?」

「そうですねぇ」


とにかく闇討ちのリスクを減らすのに前提となるのは、敵が存在するか否かを知るところから始めなければならない。そしてその大きさに驚愕するまでがワンセットである。


そして、ここでひとつの問題が生じる。


「どうするの?」

「ものは相談なのですが、経済力で殴れませんか?」

「流石の私も国家権力相手にやり合うには限度があるわよ」

「そ、そうですよね………」

「そういうやり方は、三上さんが詳しいのでは?」

「自分は犯罪者相手しか詳しくないもので」


なんて事のない、人間らしい傾向と対策の会話に聞こえるこの会話だがしかし………


「(陸軍は)厄介な敵ですよ」

「でしょうね。(警察は)そこら中に目があるし」

「しかしどうしましょう。想定の斜め上をいきましたが」

「斜め上?」

「ええ。ご存知ないかもしれませんが、奴らはその辺の警察の100倍しつこいですよ」


(ご存知ないかも………?)


その一言がハンナという人間の回路に引っかかった。どこかで匂わせるような、そして三上の言葉は、ひどく曖昧で、しかし本筋から逸れないものであった。


「そうなの?」

「ええ。これはあくまで自分の予想ですが、貴女の祖国か近所にも似たような奴がいるのでは?残酷で、煙に巻いたみたいに姿を見せない奴らが」

「うーん………」


(あれぇ?ヨーロッパの軍なんだから憲兵くらいあると思うんだけど………いや、あっちの憲兵は軍事警察でしかないのか?)

(残酷で、姿を中々見せない?祖国かその近所にそんな?警察にそんなの………警察………警察………?)


ハンナに思い当たる節というのが、まるで天啓のように………いや、まったく嬉しくもなければ恩恵も感じないが、そう思えてしまうほどにそれは突然なものであった。


(国家秘密警察局ゲシュタパ!!)


全てに合致し、遠く離れた日本にも伝わるほど名の知れた組織といえばこれしかない。時に司法警察を超越する存在として認知され、ヨーロッパのドイツやその周辺国では有名であったが、まさか遠くアジアの島国の一警官にも認知されていたとは。悪名高いのか、それとも名声尊いのか。


「………今は暴力以外のやりようを詰めましょう。やるべきは現像ね」

「写真屋に行きますか」

「薬液くらい私が買うわよ」

「結構お高いですよ?化学薬品ですし」

「私が現金でどんだけ持ってきてると思ってるの」

「いやそれは存じませんが………」


所謂、日用品で代用が効かない専門的な薬液が多いので、その桁はそこそこの値となってしまうのは避けられない事態なのである。主に財布の圧迫に危機感を募らせるが、どうやらハンナの現金に抜かりはないらしい。


「酢酸とチオ硫酸ナトリウムと亜硫酸ナトリウム。界面活性剤、ついでに硬水ね」

「お詳しいですね」

「仕事でよく使うのよね」

「そうなんですか」

「貴方は違うの?」

「あのもうそういう皮肉お願いですからやめてください」


既に彼の心は数多の攻撃を受けている。どうにも、彼女は口達者なようで、日本によくある男がなんだ女がなんだという域を超越して勝てない気がする。認めるべき敗北というのは潔くなければ全て下賤となってしまうのである。


「ヨーロッパの女をモノにしたいならこれくらい耐えないと」

「モノにするつもりないんですけど」

「マジな話、武装した女を守る対象として見るのかどうかをハッキリさせてくれないと困ると」

「あっはいごめんなさい………」

「いや、緊急事態に三上さんの動き方に合わせられないからって意味なんだけど」

「おぉう、なんだ、そういう事でしたか」


彼女は自分が弱いと知っていた。その言葉を考えれば、ただ守る守らないの話だけをしているわけではないとわかりそうなものだが、見落としであった。

やはりどこか、彼女を甘く見ているのではないか?


無意識なのか、三上にとってはそれが心に残っていた。


「銃を持ってるなら近くにいた方がいいの?それとも離れて身を隠すべき?どっちのが貴方の邪魔になるのかしら?」

「敵の数にもよりますが、1人だったら出来れば側を離れないでいただきたい」

「たくさんいたら?」

「全力で逃げてくだされ」

「なるほど、了解よ」


彼女もまた、彼女なりのやり方というものがあるという事を、どうやら三上は意識しなければ理解に到達しないらしい。この帝都に生きる日本人らしいといえばらしい、まずその思考から疑えというのはしかし、彼にとっては難題なようだ。


「陽が落ちるわ」

「さっさと部屋取って寝ましょうか」

「もう場所は確保してあるからさっさと行きましょ」

「えぇ?早くないですか?」

「1日で全部終わるわけないでしょ。ちゃんと追跡されないとこがあるから」

「追跡されない?山奥とか?」

「そんなとこより倍は文化的な場所が」


当然、入り方はあれど警察に追われるような人間になってしまったわけだが、それでも尚問題ない。大部隊で狩りを行うわけでなし、国家権力を錦の御旗が如く振るわけでなし。対抗策は練れる相手ではある。ただし2人というのは絶対数が少ないという事で、欺く行為は不可欠。


というより、やましい事のない一般人は警察の存在に怯えないものである。だから潜伏しないで堂々と振る舞うのは善良な市民として当然なのである。と、ハンナは言った。


「行きましょう。チケットは必要ないわ」

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