手紙
「好きです」
そんな言葉を言われたのは初めてだった。
今までの人生で好意を向けられた事なんて無かったし、これからも無いだろうと思っていた。嫌われることに慣れすぎて、独りで居ることに慣れすぎて。誰かに好かれようと思うことも無くなっていた。
だから俺はあのとき。彼女にあんな言葉を言ってしまったんだろう。
今朝のことだ。教室で自分の座席に入れたままにしていた、本の続きを読もうとして、本を出そうと収納に手を入れると、本とは異なる紙の触感がした。軽く、薄い。取り出して見ると、それは便箋だった。
おかしい、昨日の配布物にこんな書類は無かった筈だ。なにより、こんなにピンクでファンシーな便箋に学校からの連絡やら成績やらが、在中していて欲しくない。
俺が便箋を睨んでいると、後ろからクラスの男子が叫んできた。
「ちょっ!アレ見てみろよ!文月がラブレター貰ってるぞ!!」
アイツは何を言ってるんだ。これは怪しい便箋であってラブレターじゃない。
「そんなわけ無いだろ。心当たりが無さすぎる。第一、俺宛てかどうかも判らないだろ」
「いーや、お前宛だよ。恋愛マスターの俺には判る!判りきっている!」
自称、な。同じクラスに居るだけでもこいつの失恋事情が十分過ぎるほど情報が流れてくる。どうにかしてくれ。こいつと何時もつるんでる連中に視線を向けるが、返ってきたのはため息と大きく首を横に振る動きだけだった。
「ほら、背中側の右下!ここに文月って書かれた跡がある。恐らく!宛名を一回は書いたけど、やっぱり恥ずかしくなって消したのだよ!くぅー!可愛らしいじゃないか!なぁ!」
「なぁ、じゃない。でもマジだ。ホントに書かれた跡がある」
よく目を凝らさなければ見えないが、確かに便箋は文月という形に凹んでおり、周囲は何かで擦ったような跡が付いている。
「だろー!で!誰からなんだ?まさか拾ったわけじゃないだろ?」
「朝来たら机の中に入ってたんだ。見た限り本人の名前とか書いてないし、どうしたもんかと思っててな」
「そこに、恋愛マスターの俺参上!って訳だな!まぁ、簡単なことだよワトソン君!開ければ判るさ!」
いやいや、流石に教室で開けるのは、ねぇ。まだラブレターだと決まった訳じゃないけど、そういうのってこっそり開けるもんじゃないの?「はい!ドーーン!」…は?
「うむ?9月20日の放課後に3年A組に来て下さい?これ今日のここじゃね?それに、結局誰からか判んないな?ってイター!!顔はやめて!ボディーも嫌だ!」
「馬鹿は叩かんと治らんやろ」
そういうとこだぞ、恋愛マスター。あと、保護者の皆さんお疲れ様です。
「すまん文月!まさかこの馬鹿でも開けはしないだろうと思ってたんだが……」
「いいよ、気にしないでくれ。アイツがいなかったら呼び出されたことに気付けて無いかもだし。いや、開けられるとは思ってなかったけど」
「ホントすまん!今度埋め合わせさせるから!」
HRの予鈴がなり、恋愛マスター達三人は席へ戻っていった。
その日のうちに。恋愛マスターこと、久山からお詫びとして学食を奢られたり。その久山をボコって、もとい小突いてた佐野とフォローに来た石田の二人から。「この馬鹿に遠慮してたら身が持たない。困ったら何でも言ってくれ」とありがたい助言を頂いた。
中々濃い1日だった。いや、もしこの手紙が久山の言うようにラブレターだとしたら、今日の一大イベントはまだ始まっていないのだが。とはいえ何故は尽きない。
クラスの女子とは業務連絡以外でまともな会話しないし、部活入ってないから、後輩と接点ないし、俺らが3年だから先輩いないし。考えれば考えるほど、これが誰からの手紙なのかわからない。
今はもう教室には俺しか残っていないが、来た相手が分かりやすいように窓際にいた方がいいか?なんなら廊下に出とく?……いや、待て。ソワソワし過ぎだ俺、浮き足立つにも程があるだろ。
落ち着け、クールに行こう。こういう時は何かにもたれ掛かってゆっくり体重を預けていくと緊張もほどけやすいとインターネット先生も言っている。窓にでも背中を預けて落ち着けーー
ガラララ!!「遅れてすみません!」
ファ!?タイミング良く…いや悪く。俺が体重をかけようとした瞬間にいきなり窓が開かれ、窓枠と腰が支点となることで俺の上半身は大きく廊下に乗り出す姿勢になり。浮き上がった両足では踏ん張りも効かず、俺は後頭部から床へと崩れ落ちる。
恐らく手紙を書いたのであろう女子よ。ファーストコンタクトがこれで良いのか。
「いやぁぁ!ごごごごごめんなさい!!」
真っ赤だった顔が一瞬で真っ青に変わり。こちらに駆け寄ってきた女子は見覚えのある顔だった。確か、俺が中3の時に陸上部に入部した1年の子だ。表情の豊かさや正直な性格が特徴的で、女子男子問わず、可愛がられていた。
もう名前は覚えていないが。俺自身、彼女のことはどこか危なっかしいと、手を貸した覚えがある。だが、それだけだ。親しい訳でも無かったし、2年の月日が経った今。わざわざよびだしてまで何の用事だろう。
「すいません!急に窓を開けてしまって!もっと早く来る予定だったんですけど、急な用事が重なって!急がなきゃって教室に来たら窓越しに先輩を見つけて!それで!」
「大丈夫だから。落ち着いて。気付いた時には開けてたんだろ?別に怪我した訳じゃないし、怒ってないから」
ペコペコ頭を下げ続ける彼女に、出来る限りの優しい声でゆっくりと話かける。手紙を書いたのは彼女で間違いないだろうし、このままでは話が進まない。
「で、ですがっ!…」
「被害側が問題ないって言うんだから。君がいつまでも気にすることじゃない。謝罪も受けたし、それで十分だよ。それで、この手紙を書いたのは君か?」
彼女も落ち着いてきたようだし、本題に入ろうとすると、彼女の顔が再び赤く染まる。
「は、はい。先輩に会ったら、聞きたいことがあって」
「聞きたいこと……」
なんとなくだが、彼女の言いたい事が解ってしまう。2年間連絡が取れなくなった先輩に、突然姿を消した先輩に聞きたいことなんて一つしか無いだろう。
2年前、ちょうど今頃の季節に両親に転勤の辞令が下された。幸い、二人とも都心へ上京する形になったのだが。引っ越すとなると転校は避けられなかった。
当時の仲間や先生には事情を話したのだが。1年の女子にはこれといって仲の良いやつは居なかったし、別に良いかと思っていた。気になったなら事情を知ってる人間に聞けば解ることだし。
あれ?そうだよ。聞けば解るんだから、聞きたいことは何で転校したとか、そういうのじゃないのか。でも、だとしたら何を
「せ、先輩。い、いい今!す、好きな人って居るんですか!!」
こ、この子は突然何を言い出すんだ。
面食らっていると、彼女の後方にある物陰から顔が3つ覗いていた。普通に怖い。
「いや……居ない、けど」
そう答えた瞬間。彼女の顔に喜色が浮かんだ。コレが漫画だったら絶対ニコパァーって効果音付いている。後ろの三人はガッツポーズ決めてたり、ハイタッチしてたり随分と嬉しそうだ。もう隠れる気無いよね君達。
「じゃあ。わ、私とつ付き合ってくれませんか!」
……つ付き合ってくれませんか?つつくの?何で?いや、確かに好きな人がいる人には言いづらいことだとは思うけど。この子はずれてるというか……ちょっと天然?
「良いけど、何で?」
「何で!?そ、それは。その、えっと…あぅ」
段々と声が小さくなっていき、真っ赤になって口を金魚みたいにパクパクさせている。次第に顔は俯いていき、胸元で両手の人差し指をくるくる回したり、ツンツンと合わせている。
久山!この子めっちゃ可愛い!何故か知らんが、スゲー抱き締めたい!そんなことしないけど!なにこの超可愛い生物!
後輩のあまりの可愛さにショートしていると三人組がなにやら呼び掛けているのが見えた。
「もう勝ったろ、行けるやろ!」
「もう一回…落ち着いて」
「ハッキリ伝えなさい」
「……好きです」
後輩は一つ深呼吸した後。俺の目を見て、絞り出すように口にした。
「私、先輩のことが好きです!好きなんです!だから……だから付き合ってください!」
あまりの衝撃の連続に俺の頭は完璧に思考が止まっていた。人間、慣れないことをすると疲れがよく溜まるらしい。そうすると、今日の俺はここ数年で一番疲れていたんだと思う。そこへ人生初めての告白を受け、何時もは取り繕っている外面はバキバキに砕けて、ただ。目の前の光景に心を奪われていた。
斜陽は窓ガラスから廊下に金色の光と濃紺の影を生み出し、光は彼女を。影は俺を包んでいた。マジックアワー。見るもの全てが美しく見える、昼と夜の境界線。なるほど、確かに美しい。
だからこそ思う。この光に踏み込んで良いのか?この光に触れても良いのかと。こんな素敵な彼女には、もっと相応しい人間がいるのではないか?こんな自分では、陰らすだけじゃないのか?
そんなことを考えていると言葉が口をついてでた。
「なぜ、俺なんだ」
一度出た言葉は、他の言葉も連れだって次々に紡がれていく。
「君が出会った人間は沢山居ただろう。君の力になった人間は沢山居ただろう。君に優しくした人も君に好意を向けた人も居ただろう。何故だ?すまないが…正直、君にそこまで好かれる要因に心当たりがない」
口に出してから面倒な事を言ってしまったと顔をしかめる。
無条件に喜んでしまえば良いのだろうが、そんなことが出来るほど幸福な人生を歩んではいない。
悪意に晒され、敵意を向けられ、理不尽と強要にまみれた18年間だ。陸上部で過ごした時間だけが喜びと達成感を与えてくれた。
物心ついたときから俺は悪者だった。当時の我が家には祖父母と両親。そして従姉の家族の3世帯が暮らしていたのだが。祖父母は、俺より4ヶ月早めに産まれていた初孫である従姉の事を、それこそ、目に入れても痛くないほど可愛がっていた。
後から聞いた話によると祖母は戦後間もない頃、女の子を流産していたらしい。以来女の子が良いと度々口にしていたようだ。
そんなこともあってか後から生まれた男である俺にその愛情が向けられることは無かった。むしろ従姉との間でいざこざが起こると必ず俺は加害者に成った。誤稙ではなく成ったのだ、真実とは無関係に成らされた。
父は滅多に家に帰らなかったし、母は全ての家事を一手に担っていながらパートやアルバイトに追われていた。
従姉の両親は従姉を祖父母に預けて遊び回っていたので、日中我が家に俺の味方は居なかったと言っていいだろう。
そんな感じで幼少期を過ごし、小学校に上がる頃に祖父が脳梗塞でこの世を去った。遺影を見たとき、初めて祖父の笑顔を正面から見る事ができた。何時も従姉に向けられていた笑みをついぞ俺に向けてくれることは無かったなと、幼心に感じたことを今でも覚えている。
従姉家族は祖母の介護をする気はないと家を出ていったが、その分、母が家に居る時間が増えたことは単純に嬉しかった。
だが、俺は小学校でも度々問題に巻き込まれるようになった。
誰かが物を壊したとき、怪我をしたとき。近くに俺が居たと誰かが口にすると、瞬く間に犯人が決まった。ことなかれ主義の先生達は仕方ないや喧嘩両成敗と口にしてお茶を濁した。
しかし、それでは面白くないと俺へのいじり(仮)が始まった。文房具はよく無くなるようになり、俺と話した奴は同類と呼ばれて俺と同じような扱いを受けるようになっていった。
上級生に呼び出されて喧嘩を売られたきとに返り討ちにしてからは直接のいじりは無くなったが、疎まれることは以前に増して増えていった。幼少期を敵に囲まれて過ごした自分にとって、集団の中で孤立することは問題でも何でも無かったのだが、いつしか問題は両親の育て方であると保護者達の中で噂になった。
筋違いにも程があるが、とにかく問題が起これば自分以外にも被害が及ぶと考えた俺は、中学校に進学すると共に。平凡であること、目をつけられないことを中心に行動するようになった。
走ったり、体を鍛えれば標的にされにくいだろうか?
陸上部に入部した動機はそんな感じだったと思う。だが、今思えば抱えたストレスや不満を多少なりとも発散できる運動部で、しかもレギュラーやチームプレーなどの争いも無い個人競技。
その二つを兼ね備えた陸上部は今までに俺に関わりのあった人間とは随分毛色の違う人たちが集まった部活だった。
「初めましてだな。俺が部長で、砲丸投げやってるんだけど……お前随分とガタイが良いよな?」
「はーい!新入部員はこっち来てー!これからの予定の説明するよー、部長もさっさとこっち来る!」
「うーん、文月はやっぱ長距離かな。ペースの乱れも少ないし、スパートもしっかりかけれるし。あ、お疲れー。君はうちの長距離組だよー、毎日学校の外周を走り回ろーね」
「文月。結果表が出てたぞ、またタイムがよくなったな。俺は最近ベスト更新してないなぁ……いや?続けるさ。ほら、RPGのレベル上げみたいなとこあるから、陸上競技」
部員が多いわけではないが、良い人が多かったと思う。先輩方には引退するときまでお世話になりっぱなしだった。
あの人達に会えたことは人生の宝だ。もう会うことは無いだろうが、けして忘れる事はないだろう。
あの人達に出会って初めて、人の善性に触れたのだ。だからこそ、その強さに憧れた。その優しさに憧れた。生まれて初めて、目標とする人の在り方を見つけたのだ。
それだけに、彼女の思いに答えることは出来ない。
彼女が知っている俺は、先輩に憧れて先輩の真似をしている俺だ。言ってみれば詐欺師を信用しているようなものだろう。
なんというか、重いか?……重いんだろうな。今日日こんなことを考えて告白の返事をする奴も居ないだろうし。
「それに、君だって俺のことを知ってる訳じゃないだろ?だからーー」
「知ってます。先輩の事。この2年間、色んな人に話を聞いて。噂を聞いて。悪口も、感謝も、謝罪も。色んな先輩のこと、調べ倒したんですから!」