知性について
「長考に良手なし」とは、よく言ったものだ。
知性について語れる程、私は自分の頭に自信は持てないが、それでもやはり知性とは、体感的に9割近くが直感に由来したものではないかと思われる。
素質がなければ、いくら考えたって駄目なものは駄目である。しかし、この「駄目なものは駄目である」ということに気が付けることにすら、素質が必要であり、また、それに気が付けたところで、誰の頭と取り替えられる訳でもないから、やはり、諦めることすら出来ないというジレンマは避けられない。
馬鹿に生まれ付こうが、阿保に生まれ付こうが、生きている以上は、馬鹿なりにも、阿保なりにも、ただひたすらに努めるより他はない。
それでもやはり、考えるということが常に最善とは限らないし、また、考えれば必ず答えが解る、なんてことも、当然あり得ない。
私の体感的には、やはり知性とは9割近くが直感に由来しているように思われる。
ただ何事においても、残りの一割を埋めるために、もとの10倍の労力が必要となるだけの話である。少なくとも、自分の思念を何らかの形に表わそうとする場合には、大抵、その直感とは異なる、一般的に努力と呼ばれているような、恐るべき労力を支払わなければならない、というだけの話である。




