6話
5月4日。
お出かけから帰るなり自分の部屋へ引きこもる。こんなざまを達也に見られたのがたまらなく嫌だった。
それだけじゃなく、部屋から出ないでずっとベッドの中にいる。
ベッドの中にうずくまり、ただひたすらに眠ろうとする。やることがないからだ。家に帰ってからずっとそうしている。
誰も『俺』のことを覚えていない世界が怖くなってしまった。
父さんも母さんも、達也も、誰も『俺』を『俺』と認識しておらず、さちの妹の『瑞樹』として認識する。
それに時折起きる、知らない記憶が脳に溢れること。段々と『俺』が『俺』で無くなってしまいそうな感覚に襲われてしまう。
それがたまらなく……怖かった。
ゴールデンウィークの間、『俺』が『俺』のままでいれば元に戻すと妹は言う。外に出なければ俺の意識がこれ以上変わることもないだろう。
それだけを希望に、この小さな体のまま引きこもり始めるのだった。
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5月5日。
夜中にお腹が空いて目がさめる。
冷蔵庫に何か入っていたと思いキッチンへと向かおうとドアを開ける。
……開かない。ガチャガチャとドアノブを捻っても何をしても開かない。この部屋のドアに鍵はついていないはずなのに。
きっと妹の差し金だろう。俺の身体を女の子に変えることができるのだから、閉じ込めるぐらいはなんてことはないはずだ。
ドアから出られないのであればと他の手段を探ってみる。
窓……ここは2回だからどちらにしても無理そうだが、案の定開くことはなかった。
壁を破壊などもこの身体では無理だろう。
どうすることもできず、空腹を我慢しながら俺はベッドに潜るのだった。
あれから何時間が経っただろうか。あるいは、何時間も経ってないのかもしれない。
部屋は暗いまま、明るくなることはない。寝ても、起きても、座っても、立っても、部屋は暗いまま変わらない。
体感ではもう朝になっているはずなのに。
段々と怖くなってしまい、ドアをダンダンと叩く。
「おい! さち! いるんだろ! ここを開けろぉ!」
ドアを叩く音すら、どこかへと吸い込まれてしまうかのように静寂が支配していく。自分の心臓の鼓動がドクンドクンと聞こえてくる。
怖い。
怖い。怖い。怖い。怖い。
恐怖がやたらとまとわりつく。静寂と闇が支配する中で、俺は1人ベッドで蹲る。
……前にもこんなことがあった気がする。
あの時俺は今の姿と同じくらいの年齢で、『何か』が起きて1人だけで家に残っていた。最初は平気だったのに、時間が経つにつれて妙な不安に襲われて、こうしてベッドに蹲ってたんだっけ。
その時、俺はなんて言っていたっけ。あの時、なんで乗り切れたんだっけ。
答えが出ないまま、時間だけが過ぎていく。
「……こわい。……ひとりはいやだ。……たすけて……」
ポツリと、そんな言葉をこぼしてしまう。
目からは自然と涙が流れる。ぽろぽろ、ぽろぽろ。止めようと思っても、とめどなく溢れてくる。それどころか、勢いは増していくばかりだ。
自分の鳴き声だけが反響する部屋で、俺はついに耐えきれずドアをがむしゃらに叩き出す。
「開けて! 開けてってばぁ! なんで開かないの! もうやだよ……誰か開けてよぉ!」
自分の手がヒリヒリと痛くなる。けれどそんなことに構うこともなく、ひたすらにドアを叩く。
それでもなお、誰かが来る様子もない。
「なん、で……うあ、あああああああああ!!!」
叩く、叩く、叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く。
手から血が出てきた。気にする余裕もない。
叩く手が限界だった。ならば足で蹴る。
何回か蹴ると、体力の限界だった。それでもなお蹴り続ける。
足が痛くて立ってるのがやっとだった。
ならば全身で体当たりをする。それでもドアは開くことはない。
ぶつかった反動で倒れてしまう。起き上がる力も、もう入らない。本当にもう限界だった。
「やだ……助けて……助けてよ……」
ひたすらに助けを求める。
誰に?
いったい誰が俺を助けてくれるというのだろう。俺を助けてくれた人なんて、今までいただろうか。
父さんも母さんも、俺が1番助けて欲しい時には助けてくれなかった。
達也も、1番悲惨で惨めだった高校の時にはそばにいなかった。
助けになって、そばにいてくれる人……。
「助けてよ……『お姉ちゃん』……」
心のどこかが壊れてしまったのかもしれない。ポツリと、その言葉を口に出してしまう。
その瞬間、キィとドアが開き、その向こう側には『お姉ちゃん』が立っていた。
「瑞樹ちゃん、おいで」
『お姉ちゃん』は膝立ちで俺の目線に合わせて、両手を広げて招き入れてくれる。
俺は立つのもやっとの身体でそこまで駆け寄り、『お姉ちゃん』に抱きつく。
「頑張ったね。今日は一緒に寝ようね」
その言葉にコクリと頷き、抱っこをされて『お姉ちゃん』のベッドに一緒に横になる。
相当参っていたようで、抱かれていると安心感からかすぐに眠りに落ちてしまった。