4話
5月3日。
朝食を食べ終わった俺は、先に部屋に戻った妹を追いかけて妹の部屋へと入る。なんとなく、妹の部屋に入るのは躊躇われてしまうがそうも言ってはいられない。
意を決して、ドアをノックし部屋へと入る。
「さち、いるんだろ? 入るぞ」
「ふふ、来たのねお兄ちゃん。何か聞きたいことがあるんでしょう?」
イスに腰掛けなにやらPCを操作していたらしいのだが、俺が入って来たのと同時にそれをやめてこちらを見る。
不敵と言うのか、余裕たっぷりの目で見てくるのでその迫力に負けそうになるが、まずはこの疑問を解消しなければならない。
「ああ、俺の中に、俺の記憶じゃない記憶がある。これはなんなのか、聞かせてもらいたい」
「ふふっ、そうよね。……それにしても、瑞樹ちゃんはそのスカート似合うわね。なんてったって、『お気に入り』だものね?」
ゾワリと、背中に冷たいものが這うような感覚に襲われる。
「なんで、それ、知って」
「当然じゃない? 私がお兄ちゃんを瑞樹ちゃんに変えたんだし。記憶ぐらい操れるよ」
さも当然と言わんばかりに言い放つ妹。
当然といえば当然か。曰く俺をこの姿に変えたのは妹なのだから。
「お兄ちゃんには少しずつ、少しずつ妹としての記憶や知識が脳や心にインプットされるようになってるの。多分お兄ちゃんは女の子の服なんて着たことがなかったから、どれを着ていいのかわからなかった。だから必要な情報としてその『お気に入りのスカート』の記憶がインプットされたんだね。そしてそれは私にも、お兄ちゃんにインプットされたものと同じものがインプットされるの。だからね、あんまりにも女の子みたいな行動とってると、本当に女の子になっちゃうよ?」
「だったら、俺は家から出ない。今まで通りの行動を取っていれば毒されることはないだろ」
「認めるわけないでしょ?」
まるで凍てついてしまうかのように、冷たい視線が突き刺さる。
まるで蛇に睨まれたカエルのように、俺はその場から動けない。まるで、本当に姉に怒られる妹のように、逆らえる気がしなかった。
「これはね。お兄ちゃんを妹に調教する私の計画なの。本当はお兄ちゃんが気がつく間も無くお兄ちゃんを妹にすることだってできたんだけど、それはさすがにかわいそうだからね。この5日間は猶予期間なんだよ。だからと言って私がお兄ちゃんを妹にする手を休めることはないんだけどね。だからせいぜい頑張ってよ、お・兄・ちゃ・ん」
これ以上なにを言っても無駄だと悟る。
妹はどうやら本気だ。本気で俺のことを妹にしようとしているらしい。
ならば俺にできることは、この5日間を自らの意思を強く持って乗り切ることだけだ。
「……わかった。あともう1ついいか」
「なぁに?」
「そのパソコン、俺のだと思うんだがなんでお前の部屋にあるんだ?」
妹はわからないと言った顔をしたが、少し考えた後にこう言葉を発する。
「あぁ、だって、これは『高校の入学記念にお姉ちゃんが買ってもらったもの』でしょう?」
「っ!」
ずきりと頭が痛くなる気がした。それと同時に、知らない記憶が流れ込んでくる。
あのパソコンは俺が大学入学記念に買ってもらって嬉しいものだった。
あのパソコンはお姉ちゃんが高校入学祝いで買ってもらって羨ましかった。
経験した記憶と、経験したことのない記憶が同時に脳内に溢れ出す。
知らない。こんな記憶、俺は知らない。ミズキは知ってる。知らない。知ってる。知らない。知らない。知ってる。知らない。
「うっ、おええええ」
「あーあ、耐え切れなかったのかぁ。壊れるには早いんじゃないかなぁ」
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
辛うじて吐いたりはしなかったものの、ただひたすらに気持ち悪さを感じている。
けれど、これに耐えない限り、俺は男でいられない。だったら、耐えるしかないじゃないか。
「うる、さい。おれは、こわれたり、しない」
「……ふーん。とりあえず部屋で休んできたら? どっちにしても今は限界でしょ」
「……そうする」
俺は妹に言われた通りに、部屋を出て休むことにした。少し寝たら気持ち悪さも落ち着くだろう。
自室に入ってベッドに横になると、それ以上考えることはできなかった。
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5月3日。
お兄ちゃんが部屋から出ていった後、PCのモニターに目を向ける。
「プリケイル、お兄ちゃんの様子はどう?」
『身体系統に問題はありません。先ほどの吐き気も、精神的なストレスからくるものでしょう。数値上は健康体であるといえます」
「……進行度は?」
『先ほどの問答でようやく3%ですね』
「スカートを履かせたぐらいじゃダメってことか」
PCモニターにはお兄ちゃん……いや、瑞樹ちゃんのバイタルデータが所狭しとウインドウで開いている。秒間で数値が変わり続けるそれをせっせと整理しているプリケイルの姿もそこにある。
見かけはお兄ちゃんから奪い取ったただのPCなのだが、その中身はプリケイルが魔改造してしまった。もう私ですらどうやって動かしているのかわからないけれど、この計画を進めている間はちょうどいいし、プリケイルもスマホにいる時よりもできることが多くなって楽しそうだから放っておこう。
『僭越ながら、スカートを履いたとはいえ見られたのが家族だけだからそこまで問題ではなかったのでしょう。お気に入りのスカートの記憶と、PC関連の記憶の方が効いているようです』
「ふーん……じゃあ見られる対象が変わったらまた違うってことかな」
おそらくだが、瑞樹ちゃんは家に閉じこもるだろう。
けれど、そうは問屋が卸さない。そんなことでは、半端なまま終わってしまう。それだけは許さない。
家にいるだけでクリアできると思ったら大間違いだ。そのことをわかってもらうにはどうしたらいいだろう。
プリケイルと相談しながら、今後の計画を練るのだった。