3話
5月3日。
「お兄ちゃんには、女の子になって私の妹になってもらいます」
妹はそんなことを言い出した。何を言って言るのか、全く意味がわからない。
「お前、何を言って……」
「その姿を見てまだわからないなんて、察しが悪いなぁお兄ちゃんは」
「ふざけんな! その口ぶりだとお前がやったんだな!? 何をどうしたのか見当もつかないが、いいから元に戻せ!」
俺は妹の胸ぐらを掴もうとベッドを降りて妹に歩み寄る。しかし、妹の服の襟までうまく手が届かない。正確な身長はこの時はわからなかったが、妹の身長が167cm、俺は135cmしかなく、取っ組み合いをしたとして妹に敵う要素などなかったのだ。なにせリーチが違いすぎる。
どうにか掴んでやろうとぴょんぴょんと跳ねる俺を、妹はぎゅうっと抱きしめる。
「あぁもう! かわいいなぁ瑞樹ちゃんは!」
「おまっ、やめろぉ!」
抱きかかえられたままくるくると回られて、その勢いのまま俺はベッドへと放り投げられる。その時に尻を打ち「きゃんっ」なんて変な声を出してしまい、それがなんだか恥ずかしくなる。
「まず説明するから落ち着きなって。えーとまずは……」
そうして、妹はことのあらましを説明し始める。語られたそれはにわかに信じられないことであったが、自らの身体と、スマホから話しかけてくるあり得ないそれが信憑性を増していった。
『と、ここまではよろしいでしょうか』
「……あぁ、信じられないこともあるけれど、実際に身に起こっている以上信じるしかねぇからな」
俺は太々しい態度をしてそう言った。
「とりあえずの目的やら手段はわかった。けど余計なお世話だ。いいから元にもどしやがれ」
「元に戻しても、お兄ちゃんが大学に復帰できるとは思えないんだけどなぁ」
「それこそ余計なお世話だ。俺には俺のタイミングってのがあるんだ。天才の妹様にはわかんないかもしれないけど、凡才には凡才なりの準備とかが必要なんだよ」
こんな下らないことに神の権能とやらを使いやがって。それこそ天才様の考えていることはわからない。
妹はまるで壊れたかのようにくふふと笑い始める。
「まぁまぁ良いじゃない。こっちもお兄ちゃんの意思を無視しようと思ったわけじゃない。言うなれば、ゲームみたいなものだよ」
「ゲームぅ?」
妹の言うことに、俺はさらに怪訝な顔をする。
けれどそんなことは御構い無しに妹は話し続ける。
「そう! これはゲーム! お兄ちゃんには私の妹になってもらう。これは姿だけじゃなくて、世界丸ごとの改変! 瑞樹ちゃんが産まれて11年間私たちは仲良し姉妹だし、それはお父さんやお母さん、隣の達也兄までみんなそう思ってる! そう認識してる! 変わってないのは私とお兄ちゃんの認識だけ! このゴールデンウィークの間! お兄ちゃんがお兄ちゃんのままでいられたら、その時は元のお兄ちゃんには戻してあげる! だって強い意思を持ってるんだもの! そうしたら引きこもりだってやめられるよね!」
あははははは! とまるで壊れた目覚ましのように笑い続ける妹。逆らってはいけないと思うのは恐怖からだろうか。
一頻り笑い終わると、ふっと『いつも通り』の笑顔に戻る妹。
「あぁ、そろそろお母さんに怒られるよ。『いつまで寝てるの!』ってね。私は先に行くから、着替えて早く降りていらっしゃい。……『着替え方はわかるよね』?」
そう言い残して、妹は部屋から出ていった。部屋に残されたのは俺1人だ。
「はぁ、母さんを怒らせたくないし、着替えるか……」
そう言って俺はタンスを開ける。開けてみれば、どれもこれも明るい色の服しかない。俺が持っていたのは黒とか灰色とか、地味な色の服ばかりだったはずだ。白はまだしも、水色やピンクの服なんて持っていた記憶がない。
というか、こんなに服を多く持っていなかった。こんなにあるとどれを着るべきか悩んでしまう。まぁ、いつも通り『お気に入りの白いスカート』と……
「っ!?」
今、何を考えた?
「ちょっと待て。おかしいだろこれ。なんで、なんで『初めて見たのにお気に入りだって記憶があるんだ』よ!?」
俺は今、自分でも信じられないぐらい自然に、手に取ったスカートを普段からよく履いているお気に入りだと思った。そして、疑問に思った今なおこのスカートはお気に入りだと認識している。
まるで、自分じゃない何かに記憶を侵食されたような、そんな気分だ。
とにかく妹にどう言うことかを聞かなければならない。
仕方なしに、『記憶を頼りに』スカートとノースリーブのシャツを着る。机の引き出しに仕舞ってあったブラシを出し、寝癖のついた髪を直す。うん、ばっちりだ。
「……短い時間で毒されすぎだろ……」
支度を終え、リビングへと行くと父さんと母さん、それから妹がいた。父さんは新聞を読みながらコーヒーを飲み、母さんはもう食べ終わったのか食器を片付け始め、妹はトーストをもぐもぐと食べいた。
「あら瑞樹おはよう、今日はお寝坊さんだったのね。ゴールデンウィークが始まったからって、だらけてたらだめよ」
「おはよう瑞樹。ご飯を食べてしまいなさい」
母さんと父さんは俺に優しく声をかける。俺はおずおずと「おはよう」と挨拶を返して椅子に座り朝食を食べ始める。
俺が引きこもり始めてからギスギスしていた空気が、まるで嘘のように暖かい雰囲気に変わっていた。まるで、俺がすべての元凶だったかのように。
とりあえず朝ごはんが終わったらこの記憶のことを妹に聞かないと。そう思いながら、前よりも開かなくなった口でちまちまとトーストを食べるのだった。