日本男子、初陣に立つ
俺は今、必死になって走っている。
カーンカーンと鐘を叩く音らしきものが聞こえているのだ。
鐘を叩くのとそっくりな音を出す不思議生物でもいない限り、おそらくは誰かが何らかの意図で鐘を叩いているのだろう。俺の居た地点はてっきり、人っ子一人いない見渡す限りの大自然なのかと思っていたが、案外近いところに集落でもあるのかもしれない。
問題は鐘を叩く音が断続的に聞こえ続けているという事だ。警鐘という言葉がある通り、鐘が打ち鳴らされている時とは緊急事態であるように思える。
つまり俺が危惧した通りであれば、人の集落がなんらかの危機的状況にある事になる。音を鳴らしている生物が人である保証もないので、正しくはなんらかの知的生命体といったところか。
何にせよ音を鳴らしているのが何者かについても、情報を得ない事には判断できないのだ。
そんなわけで俺は音の発信源に向かって走っている。
腰から下げた2本のマチェットとコンバットナイフのシースが走るたびに前後して走りにくい。走行を妨げないように、両脇から吊り下げたマチェットのハンドルを握ることで暴れるのを抑えて走る。
走れ、カミホマレ、走れ!
地面の起伏で隠されていて気付かなかったが村は召喚された地点から結構近くにあった。俺の立っていた地点はちょうど窪地の真ん中だったらしく見えなかったのだ。ちなみに村と呼んだが俺には村と街の語句的な違いはわからない。それでも便宜的に村と呼ぶことにする。なんか全体的に茶色っぽくて村っぽいと思ったからだ。
森林の中を切り開くようにその村はあった。木で組み立てられた家々が並び、森林と村との境界を示すように獣避けの柵が立てられていた。隠れ里とか開拓村とかいう印象を受ける。
建物の数はぱっと見て10軒ぐらいだろうか。1つの建物に夫婦か核家族が住んでるとみなした場合村民の数は20~30人程度?いや畜舎などの居住目的以外の建物もあるだろうから判断はできないか。
ひときわ高い物見台だと思われる建物からは、未だに断続的に鐘の音が聞こえてくる。
近付いた事で村に起こっている異変がわかった。どうも野犬の群れか何かに襲われているらしい。
男達が村の外で灰色の野犬達と戦う事で侵入を防いでいる様だ。男の姿しか見えないことから女人禁制の村か、或いは非戦闘員を村の中で守っているらしい。もしくは男たちこそが村を襲うならず者で、野犬達は必死に村を守っているのかもしれない。
状況に介入するべきかどうか、介入する場合はどちらの味方をするのか、といった判断をする為、村の周りにある森林に入り込んで姿を隠しながら更に近付く。
より近くで観察することでわかったが、村を襲っているのは只の犬ではなく動く石像らしい。悪魔を象った動く石像はガーゴイルだが、犬を象った動く石像というのはなんと呼ぶのだろう?
正しい呼び名がわからないのでガーゴイヌと名付けよう。もしかしたら親戚にガーゴネコとかガーゴザルとかいるかもしれない。個人的にガーゴリラとか語感が好み。
さて、村の男達はガーゴイヌと応戦しているが、石の肌は殆どの攻撃を通さずダメージは無さそうだ。
男達の武器で有効打となっているのは、薪割り用だと思われる手斧で、振るう毎に犬の頭を砕いて機能停止させている。ただしその毎に刃が欠け、柄がへし折れてどんどん使えなくなっていく。
鋤や鍬では柄の長さのせいで取り回しが不便と見え、ガーゴイヌに有効打を与えれていない。草刈り鎌や小さなナイフを持った人も見えるがまるで歯が立っていない。
鋤と鍬で牽制しつつ手斧で倒すことで、なんとかガーゴイヌの集団を押し留めているようだがジリ貧と言っていい状況だろう。
持っている武器は村から持ち出したものだと思われるので、襲撃者はガーゴイヌの方の様だ。
襲撃者がわかっただけでどちらに正義があるのかはわからないが、まぁ正義というのは自分と敵対するものを葬り去るときに使う言葉だ。誰にとっても自分の存在保全こそが正義だろう、ということで正義の意味を語る言葉など今は要らないのだ。
部外者は下手に事情を汲んで賢しらに批判したりせず、身を引いて関わり合いにならないようにするのが第一。もし自分の利害に関する場合は損得だけでどちらに味方をするか決めるしかないだろう。
とりあえず村に恩を売ることで情報を得ることこそ俺の正義となる。
こうして自己正当化を終えた俺は、男達を援護しようと周りを見渡して、視界の端に破壊された柵があることに気付く。
男達は村を守るために戦力を外に集中しているようだが、既に中に入られているとしたら………?
俺は壊された柵から村の中へ侵入した。
侵入を果たしたと思われるガーゴイヌの姿を探して柵の中へ入った俺に、奥まったところにある村の中で一番大きな建物から悲鳴が聞こえてくる。探すまでもなくガーゴイヌが悲鳴の聞こえた建物に走る姿が見える。
警鐘を鳴らしているのが誰だか知らないが、断続的に鳴り響く鐘の音が五月蝿すぎて、この悲鳴は村の外で戦う男達の元には届いていないだろう。もしかしたら聞こえていなかっただけで、もっと前から悲鳴をあげて助けを求めていたのかもしれない。
おそらく悲鳴が聞こえてきた建物には非戦闘員が集められている筈。このままでは一網打尽にされてしまうだろう。
俺はシースから抜き放ったマチェットを右手に持って建物へと急いだ。マチェットを抜いたのはシースに入れたままでは走りにくいのと、何より戦いになるのに武器を持っていないと不安だったからだ。
走りながら考える。
本当は俺には関係のないことだと言ってこの村から離れるという選択だってある。人が住んでいるのはこの村だけということは流石にないだろう。もっと平和な他の村や街を探して歩くという選択だってできる筈だ。
そうすべきだろうか。
メリットとデメリットを考える。
メリットは村に恩を売れる事。もしかしたら身元を保証できない俺にとって活動の拠点に使えるかもしれない。
デメリットは命の危険を晒す事。村の外で戦っていた男達の中にも負傷者がいたようだ。俺より遥かに荒事に慣れているだろう村の男達ですら負傷する相手。
走りながら考える。
メリットとデメリットを天秤にかければ圧倒的にデメリットに傾くのではないか。命あっての物種。そうじゃないのか。
走りながら考える。
俺はそれでもなんで建物に向かって走っているのか。
義を見てせざるは勇無きなり。
人として成すべき事をできない玉無し野郎は股ぐらから玉の代わりにがんもどきがぶら下がっている、という意味の言わずと知れたありがたい諺だ。
この俺、神誉大和は栄えある日本国民なのだ。西に発展途上国が有れば手を差し伸べ自立支援を行い、東に被災地が有れば手を差し伸べ復興支援を行う誇り高い先進国である日本の国民なのだ。
そんな素晴らしい国である日本の国民であるこの俺が、どうして困っている人を見つけて無視する事ができようか!
第1目標、愛する日本への速やかな帰還
第2目標、偉大なる日本の国民として恥じない自覚と行動
第3目標、情報の収集
第4目標、安全の確保
第1目標を達成できない今、日本国民として恥じない行動を執る事は至上目的となる。逆に俺の安全は優先度は最も低いのだ。
よって救援の実行に関する正しいメリットはこうだ。
・救援を実行した時
メリット:愛する祖国である日本の国民でいられる
デメリット:安全は確保されない
・救援を実行しない時
メリット:特に無い
デメリット:偉大なる祖国である日本の国民でいられなくなる
もう一目瞭然だろう。救援を実行しない理由はない。
だから俺は迷わず建物の中に飛び込んで、こちらに背を向けているガーゴイヌに駆け寄って、あらん限りの声で叫んでいた。
「天地神明! ご照覧あれ!」
出てきた言葉は「神誉セレクション 咄嗟に出てくるとカッコいい言葉集 ~戦闘編~」から選ばれた。
大きな声を出すというのは戦いにおいて重要なことだ。
暴漢に襲われた時はまずなんでもいいから大声を出そう。大きな声を出せば恐怖心を克服する事ができ、闘争心を生み出す事ができる。そして相対する相手を威圧し、萎縮させて出鼻をくじく事ができる。
ゲーム風に言うと強化と弱体化が一気にかかるという、大変ありがたい効果が大声には有るのだ。
三国志に至っては武将達が、橋の上で怒鳴るだけで五千人程の敵軍を進軍停止させたり、人一人を怒鳴り殺したりといった偉業を達成したらしい。人を怒鳴り殺せるようになったら君も立派な大声マスターだ。大声ってすごいね!
ちなみに三国志に詳しい人に受け売りのまま「人を怒鳴り殺した武将がいるんでしょ?」とか言うと「演義との違いもわからないで」とか小馬鹿にされかねないと言っておこう。
まぁ怒鳴り殺すまで至らないただの大声の場合はどうするのか。
これが婦人向けの痴漢・暴漢対策の講習だったなら、
1:人目を集める言葉を叫びましょう。相手は悪いことをしているので人目につくことを嫌がります
2:相手が怯んだら全力で逃げましょう。戦うのは最後の手段です
3:どうしても逃げることができない場合は、ボールペンのような硬いものを思いっきり突き刺すか、股間を全力で蹴り上げましょう
と、続くことだろう。
ちなみに格闘技に興味のない男性諸氏は「股間を蹴り上げるのは相手が女性でも有効なのか」という疑問を持った事があるかもしれない。股間は共通の急所らしく、男女を問わずお腹に「ズン」と重みのあるダメージを食らうそうだ。
さて暴漢から身を守るのでなく、襲撃者を襲撃しているのがこの俺こと神誉さんだ。叫びながら悲鳴の聞こえてきた大きな建物に踏み込んで状況を確認する。
建物は集会所か何かのようで建物全体で丸々一部屋となっていて、3匹のガーゴイヌを前に血塗れの若い娘が子供達を両手に抱いて守るようにしているのを先頭にして、その後ろにご婦人方にしがみつく子供達の総勢十数人が部屋の隅に追い詰められていた。
一足飛びに右端にいるガーゴイヌの傍に寄り、そのまま勢いを殺さず脇腹を押し出すように蹴り出した。繰り出した動作はステップインのいわゆるケンカキックというやつだ。
ガーゴイヌの体は木の矢を弾くほど硬く、直接ダメージを与えることは難しい。
俺が手にするマチェットは硬さも十分で、無造作に振るうだけで鋭い切っ先が切断力を生む他、先が膨らんだ形状から高い打撃力を持つ。だが重さが1キロにも満たない軽量さな上、何よりも俺自身の膂力が足りないので決定打とならない恐れがある。
しかし硬いということは衝撃に弱いはず。
モース硬度10を誇るダイヤモンドといえど金槌で叩けば砕けるらしい。もっとも、俺はダイヤモンドを金槌で叩くという奇特な経験をしたことがないので伝聞系だ。
ガーゴイヌの材質は見た目こそただの灰色の石なのに、手斧の刃が欠けるほど硬く、モース硬度でいえば5以上あると思われる。
思いっきり蹴っ飛ばしてやればあるいは砕けるかもしれない!
全力で目の前のガーゴイヌにケンカキックを叩き込む!
粉砕!
ガーゴイヌは上から押さえ付ける様に蹴られた事で脇腹から砕けて散華した!
………正直言って想定外だ。
俺は蹴り出すことでガーゴイヌを転倒させて、地面にぶつけるつもりでケンカキックを選択したのだ。まさか蹴っただけでバラバラに砕けるとは………。
たしかに成人男性が体重をのせてこの分厚い靴底で蹴れば、ゴムハンマーで叩くのと同程度のダメージを出せるかもしれない。
というわけで爪先の鉄芯と分厚く硬いゴムソールに守られた、日本製の文字も眩しい安全靴による一撃は、鈍器にも劣らぬ衝撃力を発揮してガーゴイヌを粉砕せしめた。
俺は知らぬ間に偉大なる麗しの祖国日本が産んだ、至高の工業製品の性能を見くびってしまっていたのかもしれない。
………あぁ、なんと罪深い!
まさか!
まさか!
まさかこの俺が日本に疑いを持つとは!!
神世の時代より現代まで続く誇らしい歴史を持った日本!
元を辿れば神話へと繋がる華々しい統治者を冠した日本!
300年もの間、戦争をせず輝かしい平和を守った日本!
大戦に破れたにも関わらず素晴らしい繁栄を誇った日本!
今も尚、世界に冠たる先進国として世界を牽引する日本!
日本!日本!!日本!!!日本!!!!日本!!!!!
俺の心の中を日本を求める歓呼の声が響き天をも衝く!
俺の心の中を埋め尽くさんばかりの日の丸が靡いてる!
俺の心の中を日本の前途を照らす様な太陽が輝いてる!
古都の歴史と先進国としての威容を両立する世界に類を見ない日本!
この素晴らしい祖国を疑うなど許されることだろうか?
いや許されるはずがない!!
思えば取り柄など一つも無いこの俺に!
ただ一つ誇れるところをくれたのも日本!
すなわち俺の誇りとは日本に生まれ、日本に育った事!
すなわち俺の価値とは日本に生まれ、日本に育った事!
そんな大恩ある日本を!
知らず知らずの内にとはいえ!
見下していたのだ!
あぁ失礼。もしかしたら驚かせてしまっただろうか?
神誉さん家の大和君はちょっと、そうほんのちょっとだけ、日出づる国こと日本が大好きなのだ。
ちなみに神誉大和という、神国日本を礼賛したいという意思がほんの少ーしだけ見え隠れする、この心底美しい名前は誠に残念ながらもちろん戸籍上の名前ではない。
が、そんなことは異世界に旅立った俺にとって些細なことなのだ。なんせ身元を保証する手段がない以上、俺の名前は俺が名乗った名前となる。俺の戸籍上の名前等、この世界の誰も知り得ない!
だから体が輝いて宙に浮き出した瞬間から、俺は神誉大和だ!
ちょっと、ほんのちょっと、国歌でただ末永い繁栄だけを願う謙虚な祖国が大好きなだけで。
ちょっと、ほんのちょっと、国歌で「敵を殺せ」とか歌ってる野蛮な外国が大嫌いなだけのごく普通の青年。
あ、ドイツとイタリアは大好きだよ?あと親日国も大好き。
アメリカ?あぁ散々っぱら無辜の民に向けて執拗に空襲をかけて、挙句の果てに軍事的価値も全く無いただの2つの都市にそれぞれ原子爆弾を落とした国な。戦場では祖国の為に戦った勇敢なる帝国陸軍兵士の遺体から、嬉しそうに耳を削ぎ落として遺体を損壊せしめることで故人の尊厳を踏みにじった国だろ。うん、知ってる知ってる。
ちなみにこういう話をすると「差別主義者なのか」と聞かれることがある。意外に思われるかもしれないけど、別に出身国で人を差別したりしないのだ。悪い日本人もいるし、いいアメリカ人だっている。鬼畜無茶口とかテキサス親父とか。テキサス親父はアメリカ国籍なだけでアメリカ人ではないか………?
今すぐ汚名を挽回せねば!あぁ、ちなみに汚名挽回というのは別に誤用ではない。
挽回という言葉自体がそもそも前提として「失ったものを取り返す」という意味を持っているのだ。つまり汚名を雪ぐことで元の名誉を取り戻すということになる。
俺は祖国に僅かでも疑いの目を向けたという汚名を雪ぐことで、偉大なる日本に属する者という名誉を取り返すのだ!
そんな風に愛しい祖国、日本へと思いを馳せていると、残されたガーゴイヌ2匹がこちらに向かってきた。
意識の外から急にやってきた脅威に対して「え、えひゃい!?」と、情けない気合を発して、勇ましく尻餅をつき、冷静にオタオタする。平静の俺だったならこんな反応だっただろう。
だが今は違う。俺は一人静かに怒っていたのだ。他ならぬ自分に対し。
胸から沸き立つ怒りが促すままに!右手に握ったマチェットを叩き込む!今まさに飛びかかろうとしているガーゴイヌが目に入る!
これ以上ないタイミングで踏み込んでマチェットを振り抜く!
踏み込んだ勢いのまま駆け込んでくるもう1匹をサッカーボールキックの要領で蹴り上げた!
結果、マチェットを叩き込んだ方は口から切り裂かれて頭がなくなった。蹴り上げた方も鉄芯の入った安全靴の威力に顎から上が粉々に吹っ飛んだ。
一息つこうと息を吐く。
「フン………」
静かに息を吐こうと思ったんだけど、うまく口が動かなくて、鼻から大きく空気が漏れた。
ちなみにこの戦果に一番驚いてるのは俺だと思う。
考え事をしていてガーゴイヌから意識を外していたのがよかったのだろうか?よく言うじゃないか。最高の一撃は脱力した状態から、余分な力を抜いた最適な動きによって放たれるって。
まぁなんかのマンガで読んだだけのにわか知識なんだが。
愛する祖国へ思いを馳せていたところに奇襲された事で、変に固くならずに自然で最適な動きが取れたのかもしれない。
あれは奇襲じゃなく神誉さんがボーッとしてただけだ、等と言ってはいけない。奇襲とは不意をついて襲いかかることなので、奇襲に違いないのだ。俺の意識の間隙を突いた神がかり的な襲撃だったと言えよう。
敵ながら天晴だった、とかよくわからない言い訳を自分にする神誉さんだった………。
16/06/18 投稿