日本男子、落ちる
俺は今、重力加速度について思いを馳せていた。
草原で一通り試したい魔法の訓練もできた。
かなり夢中になっていたらしく、気がつけばもう空が赤く染まっている。少し肌寒い。
「もう日も落ちてきたし、宿に戻るか」
「すっかり遅くなりましたね」
「今から戻れば宿に着く頃には真夜中になっておるな」
シャーシャちゃんは今日も無口。
必要のない時は極力喋らないのが基本スタンスだ。
クールだからじゃなく、積極的に会話に割り込めないからだろう。
話さなければならない時の、基本的な行動パターンは決まっている。
まず俺に向かって話そうとする。
真っ直ぐ俺を見て「お兄ちゃん」と呼びかけて簡潔に用件を伝える。
それが叶わない場合は、ミミカカちゃんに話しかけようとする。
その場合、つっかえつっかえでしどろもどろな呼びかけになる。
ミミカカちゃんは村で小さい子供の面倒も見てきたからか、そんなシャーシャちゃんを邪険にしたりせずちゃんと相手をする。
最近ではミミカカちゃんを頼る場面も出てきてる気がする。
グララ?
シャーシャちゃんは話そうともしないが?
かなり積極的に接触を避けてる。
シャーシャちゃんは見たところ、10歳になったぐらいの小ささ。
グララは見た感じ、俺と同い年の20歳ぐらいに見える。
シャーシャちゃんぐらいの年齢で、その歳の差は大きいと思う。
身長が3、40センチぐらい違うし、加えてやたら尊大な口調。
そしていかにも魔法使いらしい格好が、怖く見えるんだろう。
まぁシャーシャちゃんなら何されても、グララに負ける要素はないと思うんだが。
シャーシャちゃんがミミカカちゃんと仲良くなりだしたのは、グララの存在の影響も大きい。
グララは何かあると俺に向かって話そうとするので、基本的に俺の近くにいる。
シャーシャちゃんは、グララを避けるので俺からも離れる。
そこでひとりぼっちのシャーシャちゃんを、ミミカカちゃんが相手するという寸法だ。
思わぬ怪我の功名だった。
結束を強くするには、共通の敵が必要だというやつだろう。
グララは、シャーシャちゃんに露骨に避けられている事にショックそうだ。
「我は妹殿に嫌われておるのか………」
「シャーシャちゃんは人見知りする方なんだ。気長に接してくれ」
「そうなのか!よし!妹殿!」
シャーシャちゃんは露骨に聞こえないふりをして走り去った。
「ま、気長にな」
なんで気長に接してくれ、と言った途端に声を掛けたんだろう?
まぁ歩み寄らない事には接触できないのは確かだが。
シャーシャちゃんの態度を叱らないのかって?なんで叱る必要がある?
自分の子供に「知らない人に話しかけられたら仲良くしなさい」なんて教える親はいないだろう。
知らない人から話しかけられたら、最大限警戒するべきだ。
つまり対応に、なんらおかしいところはない。
正しいのに叱ったりしたら、シャーシャちゃんが可哀想じゃないか。
グララの手前流石にしないが、本当なら褒めてあげたいところだ。
シャーシャちゃんには「仲良くしなくてもいいから、知る努力だけしてみてほしい」と言ってある。
つまりミミカカちゃんと初めて会った時と同じ内容だ。
シャーシャちゃんが仲良くするかどうか判断すればいい。
違う事があるとすれば、可愛いミミカカちゃんならきっと仲良くできるに違いない、と思っていた事ぐらいだ。
俺も要警戒に値するグララに対しては見の立場に徹してる。
ミミカカちゃんも、グララに対しては必要最低限の接触しかしない。
グララ、孤立無援の大ピンチ!
魔法使いの癖にパーティーの中で魔法が一番下手!
パーティーに入った目的は不明!
特に知識に秀でてるとかいう要素はなし!
走るとすぐバテる!
腕立てすると、生まれたての子鹿の様に震えながら「めええええええっ!」と変な声で鳴く!
パーティーの誰とも仲良くない!
口調だけは誰よりも尊大!
全く完全無欠なポンコツ具合だ!
ちなみに今までどういう事をしてたか聞いたら、部屋に篭もって写本を作ってたらしい。
半引き篭もりである。
では彼女にいいところはないのか?
いくらなんでもそんな事はない。
彼女にだって美点はちゃんと存在する。
まず彼女は美人だ。
その眉は綺麗な弓なりで感情に合わせてよく動く。
潤んだ大きな瞳には小さな星が散りばめられている。
すっきりした鼻筋は見てて惚れ惚れする様なラインだ。
綺麗な桜色の唇は瑞々しくて思わず唾を飲む程に蠱惑的。
その頬はほっそりとしていながらもなだらかな曲線を描く。
色白の肌は血色もよく正に透き通る様に綺麗で輝いている。
グララはそんな端正な顔立ちをしている。
黙ってこっちを見ている時は、本当に綺麗で時々すごくドキッとさせられる。
「ヤマトー殿………」
彼女は潤んだ瞳を伏せ、わずかに俯きながら深刻そうに口を開く。
「お腹が空いたのだ」
俺のドキドキを返せこのポンコツ。
そして彼女は見事なロングヘアだ。
腰まで届く圧巻の長さのその髪は流れる様に美しい。
青味の掛かった神秘的な紫色は光を受けて輝きを返す。
掻き上げられた髪は指先からサラサラと零れ落ちていく。
これは正真正銘見とれる程に綺麗だ。
そんな美しい髪を持つ彼女が、髪を弄びながら物憂げにしている場面が時々ある。
「お腹が空いたのだ」
それ以外に言う事ないのかこのポンコツ。
思わず髪に顔を埋めて、思いっ切り深呼吸したくなる様な素晴らしい髪なんだけどなぁ。
まぁ実際髪というのは汚れやすいので、あんまり幻想を抱いてはいけないが。
女の髪=いい匂いがするという訳ではないのだ。別に男でも女と同じ手間をかければ匂いはそう変わらないに違いない。
聞いた話ではこまめにシャンプーするよりも、シャワーだけの方が髪にはいいらしいし。
シャンプー類は刺激物なので、みだりに使わない方が髪を美しく保てるんだとか。
女でも毎日髪を洗う人ばかりではない、と聞かされた時はショックだったものだ。
何よりグララの綺麗な髪の秘訣は、朝起きて日が暮れる頃には寝る規則正しい生活習慣を続けている為だろう。
栄養状況が足りているのか疑問に思うが、実際のところ彼女は髪も肌もすごく綺麗だ。
やっぱり質の良い睡眠は、身体にとって何よりも大事という事だろう。
尚グララの名誉の為に言及を避けるが、この世界の人達は毎日お風呂に入るという習慣を持っていないので総じて臭い。
通の人にはたまらない、天然物のフレグランスを身に纏っている。
俺はその道の素人なので別に興奮しない。普通に臭いと思う。
極め付けに、彼女は大変プロポーションが良い。
その四肢は美しく伸び切っており、ほんの何気ない仕草すら魅力的に彩る。
均整の取れたボディラインは、どこか美術品めいた高貴ささえ感じられる。
女を感じさせる胸部は、服の上からでもその大きさと張りを主張している。
そんな体を持つグララは「お腹空いた」しか言わないポンコツだ。
彼女は1日に1食しか食べない生活を続けていたらしく、常に腹ペコ属性をアピールしている。
割りと腹ペコ属性はある方だ。
ご飯を美味しそうに食べるっていいじゃないか。食い方が汚いのはNGだが。
だが腹ペコキャラは既に可愛いミミカカちゃんがいる。
2人しか居ない仲間と属性が被るとは、本当に残念なポンコツさんだ。
思い出せばレンジャーごっこで懸命に走るグララ。そのバストは豊満であった。
普段はマントに隠れているが走ると………グララが大変な事になってるぞ!ブンブンブン!
大変結構なお手前のワガママボディを誇る彼女は、走ると凄い事になる。
乳袋が揺れるんだろって?
いや、それも確かに凄かったんだが、個人的にはもっと凄いと思えた。
所謂乙女走りという、胸の横で腕を曲げて縦にしたまま上体を振る走り方………なのだろうがちょっと違う。
体力のない彼女は直ぐに腕を保持できなくなり、両腕をだらりと下げて脱力した状態で上体を左右に振るのだ。
その結果、逆に疲れるだろうと言いたくなる動きで、全身をグネグネとのたくらせて、斬新かつ不気味な踊りを踊っている様に走る。
てっきり煽られているのかと思ったぐらいだ。
そして彼女はマントの中に、腰の帯で留めるタイプの貫頭衣を着ている。
貫頭衣とは名前の通り1枚の布の真ん中に穴を開けて、そこに頭を通す事で羽織る衣服である。
すっぽり被って脇の部分になる布の端を縫えば、それだけでもう衣服となる。
が、彼女の貫頭衣は腰の帯だけで留めるタイプだ。
それがどうしたって?脇から太ももから全部見えるんだよ!
サンプルが少ないので断言はできないが、この世界に下着を身に付ける習慣はどうも無いっぽい。
つまり、彼女がマントを風になびかせながら走ると、色々なものがもう大変な事になる!
その様子は眼福とかそういう範疇を越えて感動すら覚えた程だ!
全身余すところなくダイナミックにブルンブルン動く頭!髪!肩!腕!足!胸!帯!裾!
タイトルを付けるなら「躍動する生命」だ!
さて、これでポンコツさんの良さがいっぱいわかっただろう。
俺がスケベな事ぐらいしかわからなかっただと?
むしろ気を使ったつもりだぞ、俺は?
なにせ容姿を褒めない場合、案外字が綺麗だとか、意外と暗算が早いだとかもあるけど………それはどうなんだろう?
もしも女性なら容姿端麗と褒めちぎられるのと、字が綺麗で暗算が早いって言われるのだったら前者の方が嬉しいと思う。
男でも後者の方だと暗に他に何もない、つまらない人間だと言われてるのも同然な気がするし。
実際前者の方は、ポンコツさんに直接言ってみたら大変喜ばれた。魔法について聞いた翌日の事だ。
実績がある以上は俺の選択は間違っていないと思う。
あの時のシャーシャちゃんとミミカカちゃんが、喜ぶポンコツさんを冷たい目で見てたのが印象的だった。
で、ポンコツさんは置いておいて、今から宿に戻れば真夜中になるという話だった筈だ。
「いや、直ぐに戻れるぞ」
「えっ?」
「ん?」
声にこそ出さないが、シャーシャちゃんも不思議そうに俺を見ている。
「あぁ、俺の魔法なら一瞬で戻れる」
「ほう!流石ヤマトー殿だな!」
そう褒めないで欲しい。俺は調子に乗りやすいのだ。
「傍に集まってしっかり俺の身体を掴むんだ」
3人が俺の身体に寄り添う。
「行くぞ、光学迷彩展開」
これから使う魔法は秘匿技術なので光学迷彩を使用する。
「お、お兄ちゃん?」
「えっ!?」
「な、なんだ真っ暗だぞ!?」
光学迷彩にはその性質上、対象者の視界が消失するという難点がある。
「通常視力付与」
だが視界は遠視の魔法の要領で、別途付与できるので問題ない。
混乱しない様に全員に視界を付与する。
「………体が」
「わっ!?」
「我はどうなったのだ!?」
ただし視界を付与しても、光学迷彩を使った自分達の身体は見る事が出来ない。
「姿を見られない様に体を見えなくしてある。大事はないから気にしないでくれ」
「重力制御、反転」
重力を反転させて浮上する。
「………飛んでる?」
「ヤマトーさん!!」
「な、なんなのだこれは!?」
次々に狼狽の声を上げて三者一様の反応を見せる3人!
俺の左足の太ももに両腕を回して抱きつくシャーシャちゃん!
俺の右腕に頬を擦り寄せてしがみつくミミカカちゃん!
俺の左半身に子泣きじじいの様に張り付くポンコツ!
役得な俺………とか言いたいが、全力でしがみつかれていて普通に痛い!
俺の尻ガッシィ掴んでるの誰だ、このポンコツ!
お前のしがみつき方変!なんでその体勢で俺の尻掴めるの!
っていうか俺の尻を取り外して、どこに持っていくつもりだお前!
ちょ、指どこ入れる気だ!力抜けるから!深い深い!
頑張れ俺の大殿筋!こんな痴女に負けるな!
コホン。気を取り直して。
「重力制御、水平方向」
「や、ヤマトーさん!」
「わああああああ!高い!速い!下ろしてくれ!」
俺達は夕暮れの空を、横に向かって落ちていった。
慣れない感覚にすっかり怯える2人と、意外と平気そうなシャーシャちゃんが印象深い。
どちらかというと2人が怖がり過ぎというより、シャーシャちゃんの方が特別というべきだろう。
重力のベクトルを横に向けたので、俺達は水平方向へ向かって自由落下運動をしている状態だ。
重力加速度の計算はご存知だろうか?
自由落下すれば物体は10秒経った時点で、秒速約98メートルに達し約500メートルの距離を進む。
これはほぼ時速360キロに近い速度だ!俺だって怖い!
もっともイテシツォの町とはそれほど距離がないので、そこまで加速する必要はないのだが。
半分の5秒の加速でも時速180キロ近く出るし、もう半分でも時速90キロだ。
町からは半日程度分しか離れていないので………せいぜい20キロぐらいの距離だろう。
1秒ちょっとの加速でも時速45キロになる。単純に計算して30分足らずで町に着く。
このぐらいなら、一般道を走る自動車ぐらいの速度なので大丈夫だろう。
スピードメーター等は当然ないので、極めてアバウトな感覚で速度を制御しつつ飛行する。
速度を維持するときは、水平方向の重力を消す。
無重力のみ維持すれば、慣性の法則に従い移動できる。
適当に水平方向の重力を制御して、速度を維持する。
しかし一体どこまでが自然現象、つまりは魔法の範囲なんだろうか?
一見重力のベクトルを変えるのは、自然現象を逸脱している気もする。
まぁ発現できる以上は、重力の延長線上にある事なんだろう。
シャーシャちゃんは、早くからこの異常事態に慣れていた。
ミミカカちゃんはまだちょっと体が固いが、もう騒いだりはしていない。
最初は皆を極度に緊張させた飛行魔法だが、ある程度飛んだら感覚に慣れてきたらしい。
「お願いだヤマトー殿!後生だから下ろしてくれ!」
………無論1人を除いてだが。
完全無欠のヘッポコさを誇る彼女にとって、高所恐怖症の弱点を持つ程度は造作も無い事だ。
「慣れろ」
ポンコツさんがヘッポコなのはいつもの事なので、もう俺の対応も冷たいものだ。
というかポンコツボディに挟み込まれている、シャーシャちゃんが心配だ。
シャーシャちゃんの首が締まりでもしてたら、許さんぞコイツ。
「グララ、離れろ」
心配になってシャーシャちゃんの開放を要求する。
「嫌だ!死んでも離れぬぞ!」
だがポンコツさんも伊達にポンコツではなく、シャーシャちゃんを苦しめ続ける。
「いいから離れろ!」
思わず強く命令する。
「なんでそんな事を言うのだ!我は怖いのだー!」
うわ、泣き出しやがった!
「ぐえっ」
可愛いミミカカちゃんの口から、潰れたみたいな声が出た。
遂にシャーシャちゃんだけに飽き足らず、ミミカカちゃんまでカニバサミの餌食にしやがったぞ!
「見捨てないでほしい!死にたくない!許してくれ!何でもするのだ!」
等と必死な様子で言うポンコツさん。ん?
美人でなければ殺意を抱く様な醜態を晒すポンコツさん。
もし両手が自由だったら、すぐさま引き剥がしてやりたくなる程の間抜けさが溢れるポーズだ。
そんな事を考えていた俺はこの時、間違いなく油断していた。
無害だと。
俺の障害にならないと。
心の中でそう思っていた。
そんな俺の慢心は、イテシツォの町で粉々に打ち砕かれた!
どれほど無害に見えようと!
どれほど無力であろうと!
味方ではなかったのだ!
他人!
所詮は他人!
何を考えていたのかなんて知る由もない赤の他人!
宿で話していた時は、あんなに和気藹々としていたのに!
金貨ではあんなに得をさせてやったのに!
それでもアイツは………俺を害しようとする敵だった!
この異世界に来て、俺は初めて………裏切りにあったのだ!
16/08/27 投稿