日本男子、別れを告げる
俺は今、暗闇の中にいた。
決して傷つかない『ヤマタイト』が。
無敵の『凶』が。
俺の肉体を構成していたそれらが。
全て霧散した。
魔法少女は最初から狙っていたのか!
『凶』の唯一の弱点!
安全装置を!
哲学は思考実験の産物だ。
実際に起こりえない仮定でも。
思考の中ならいくらでもシミュレートできる。
もしも、この世の全てを否定したらどうなるか、という思考実験。
その結果は、非常に有名な言葉で締め括られる。
『我思う、故に我あり』。
おそらく誰しもが、1度は耳にした事があるであろう、有名な言葉。
ラテン語で言えばコギト・エルゴ・スムという奴だ。
どれだけ全てを否定しても。
今思考している自分を否定する事はできない。
自己言及のパラドクスという奴になるからな。
『自分は嘘付きである』という発言が、矛盾を孕んでいる様に。
自我を『否定しようとしている自我』が存在する。
『凶』は俺の思考で稼働する。
そして俺に生身の肉体はない。
思考する俺を、外的に阻害する手段が存在しない。
だから『凶』は無敵。
生身の肉体が否定され、存在を失っても。
俺という思考は存在する。
………。
根本的な疑問が残らないだろうか?
この疑問が残る為に、俺はこの言葉が嫌いだったりする。
即ちそもそも思考している『我』というのは、何処に存在してるのか、という点だ。
人類が有史以来ずっと求めている、命題の1つと言っていいだろう。
俺はこの『我』を利用する事で、『凶』を作った。
なら俺は、命題の答えを見つけたのだろうか?
『我』の所在を詳らかにする事で、魔法に利用した?
いや、別にそんな事はない。
俺は未だに『我』の在り処を知らない。
わからないままに魔法に組み込んだ。
そしてこれこそが。
『試作戦闘素体凶』がいくら強力であっても、試作である所以。
余りにピーキーな操作性のまま、放置せざるを得なかった理由となる。
思考しているのだから『我』が在る。
それが『凶』の前提だ。
そしてその前提となる『我の在り処』は不明のまま。
『凶』が成功し、継続する根拠が何処にもない。
だから試作のまま放置し、殺される寸前まで使わなかった。
最悪の場合は『我』が吹っ飛んで、俺の存在が居なくなり兼ねなかった。
魔法少女と袂を分かてば、自分の存在を定義できないと言った、ナーナの危惧には大いに頷けた。
『凶』の発現には、『我』が吹っ飛ばない様、繋ぎ止める工夫が必要とる。
どれだけ思考実験上で、理屈を練り上げても。
どうやったって俺の『我』は、肉体ありきのものだ。
脳があり、化学反応が起こり、思考が生まれ、神経に命令を飛ばす。
もしも肉体が消えたら、本来『我』も消える。
少なくとも俺にはそうとしか想像できない。
これでは生身がないから無敵、という前提から逸脱してしまう。
そこで『我』を繋ぎ止める為に『元の肉体の感覚』を、道標として覚えておく事にした。
『我』が今何処に居ても、少なくとも還る場所を覚えている、と。
『我』と『俺のものだと明確に認識できる肉体』が結び付くので、離れたとしても機能する、と。
『我』が肉体の感覚を喪失した時、紐付く関係性を失い、何処かへ消え去る、と。
この『生身の肉体の感覚』こそが、『我』を繋ぎ止める『安全装置』。
何故『凶』の操作性は、あそこまでピーキーなままだったのか。
答えは全て『生身の肉体の感覚』を忘れない為だ。
あえて操作性を悪くし、違和感を強くする事で、『我』との関係性を保つ。
………。
魔法少女の接近戦が、何を狙ったものかわかるだろうか?
一見すると攻勢に出ていたのは俺にも見えたが、実際は向こうがこちらを攻め立てていたのだ。
慣れ。
習熟。
違和感の解消。
思い通りになる感覚。
『凶』で切り結ぶ度に。どんどん動きが洗練されていく。
その感覚は、『我』を繋ぎ止める、『安全装置』を吹っ飛ばす脅威そのものだ。
許容できる範囲を超えて。
『凶』に慣れ。
元の肉体の感覚を喪失し。
『我』との繋がりが消失する前に。
『安全装置』はその機能を果たす。
即ち『我』を呼び戻す為。
『凶』を強制解除する。
それが今の状況。
無敵の肉体を失い。
生身を曝け出す俺。
しかし、状況は悪くない。
俺の状況は『凶』使用前に戻っただけだ。
だが、魔法少女は違う!
右腕を吹っ飛ばし右大腿部も深く抉ってやった!
何より!
永遠の宝石を全壊させてやった!
もう厄介な回復は使用できまい!
『凶』を切って、囲いを崩した!
後は詰めろだ!
まともな握力を発揮できない今!
神刀の抜剣は叶わない!
ならば!
「光剣!」
小型軽量のフラッシュマグを引き出す!
照射される大光量を収束し、レーザーブレードとして利用!
剣戟の衝撃力と関係のないこの魔法なら、握力がなくとも使用できる!
「………!」
魔法少女が避ける!
前のめりに沈み込む様に姿勢を低くし!
横薙ぎの軌跡を掻い潜る!
「やはり!」
ダッキングした!
ワープでなく!
純粋な体捌きでの回避!
ボクシングの防御技術を使用!
「鏡が破損したなァ!」
本来無効化できる筈の、光による攻撃をわざわざ避けるとは!
「………くっ!」
リーチが長く、取り回しが容易な光剣に苦戦する魔法少女!
先の『凶』の攻撃が副次的に!
他の装備―――つまりは能力にも被害を与えた!
光を無効化できなくなったという事は!
強い鏡の使用に制限が出たという事!
更にはワープの使用にまで支障を来している!
魔法少女の特性、光の体も完璧ではなくなったという証左!
「今なら届くぞ!その命ィ!」
素早く切り返し胴薙ぎを狙う!
磁力で前腕部に固定したフラッシュマグを!
腕ごと振り抜く!
「………ぐっ!」
ギリギリでのダッキング!
危ういものはその場でのスウェーとステップで回避する!
万全の状態ならこちらの攻撃等!
こともなげに掻い潜ってきただろうに!
今の魔法少女の動きに!
最早かつての精細はない!
抉ってやった大腿部!
下半身の大きな傷は戦闘において致命傷!
動く度に出血が重なる!
更には右腕を、根本から失っているのが致命的!
隻腕となった人間の、苦労する事は数多いが!
左右のバランスが崩れ、歩く事すら困難になる!
そして魔法少女の攻撃に!
俺に通用する遠距離攻撃はない!
どうやら科学知識を得た様だが!
決定的に経験を伴っていない!
知識を活かしきれていない!
ならば!
この構図を維持できれば!
遠距離戦に終始できれば!
必定!
必殺!
必勝!
ジリジリとにじり寄る魔法少女!
ジリジリと焼き払う俺!
その決着は―――ほんの一瞬だった!
「ッ!野郎ォ!」
右腕を切り落とそうと薙いだ光剣が空振った!
「………あまいね」
シャー!
カラカラカラカラ………!
手からすっぽ抜けたフラッシュマグが床の上を転がり滑る!
光の体を失ったとはいえ!
魔法少女にはまだ『強い力』があった!
狙っていた!
一足飛びにできる距離まで詰めて!
磁力でなんとか固定していたフラッシュマグを弾き飛ばした!
迎撃能力を失った無手の俺に!
真っ直ぐ鋭利に!
最大限まで突き出された桜花十文字の切っ先が伸びる!
「甘いのはお前だ!」
間に合え!
全力で前に突っ込む!
届け!
俺の腕!
俺にはまだ!
『波紋徹し』がある!
あれなら!
「シャーシャッ!」
「………なんで!」
裂帛の気合に怯んだのか!
魔法少女が俺との直線上から桜花十文字を逸らした!
いい子だ!
よくやった!
お前が弱者で!
よかったなァ!
重力も磁力も通じないお前には!
波紋徹しでしか届かない!
全力で押し退ける!
「………えっ!?」
吹き飛ばされたシャーシャが戸惑いの声を上げる!
小さな絶壁のドレスが万全でない以上!
もうお前は物理攻撃に対して無敵ではない!
「なんで!」
「お前みてぇな奴が嫌いだからだ………消えろ『綾波』」
お前が次に何かをするよりも!
投擲してあったダイバーナイフを浮かべ、落雷を起こす方が早い!
岩が崩落する音が響く他は静寂だった。
………この轟音は静寂でもなんでもないな。
『凶』で手当たり次第、体当たりして、薙ぎ払った結果。
もうこの巨大な地下空洞も保たないだろう。
尤も俺に、地形の崩壊を観察する能力なんてないから、案外保つのかもしれないが。
ただ、だいぶ景気よく岩盤が崩落してるからなぁ。
もういよいよじゃないか?
「はぁーあ」
体の中に沈殿したものを吐き出す様に、深く息を吐いて座り込む。
ダルい。
張り詰めていたものが切れた。
「………」
手を後ろについて上を見る。
特に面白いものはない。
地下だしな。
岩がボロボロ落っこちてて怖いぐらいか。
「あー」
やっぱり緊張してたんだな。
命のやり取り。
日常からはありえないレベルの体の酷使。
1度座り込むと、足に根が生えた様に動く気がしない。
「ちょっと、お兄さん!」
「あー?んだよ?」
だいぶお行儀の悪いお返事だが勘弁してくれ。
ダルいんだ。
「………な、なんで」
俺に吹っ飛ばされた時の体勢のまま、シャーシャが見上げていた。
お前も体の力が抜けて動けないか?
ハハ。
今の今までよく動いてたもんだ。
酷ぇ有様じゃねぇかお前。
ハハ。
やったの俺か。
「なんであんなことをしたのさ?」
「んー?なんだよ、あんなことってのは………アレか。『波紋』を飛ばさずに『徹し』にしたのは、避けられると思ったからだ」
いくら動きが鈍ってても、それでも当てられる気がしねぇ。
何より今の腕じゃ、勢いよく振り回したら千切れちまうしな。
「違うよ!」
「あぁ?………磁力や重力は無効化されるだろうから、最初から論外だ」
「違うってば!」
「じゃあわかんねぇわ………ハァ、辛ぇ」
「なんでシャーシャちゃんを助けたのさ!」
「………」
何が起こったのか、よくわかってない顔で2人が見てた。
「ハァ、それ答えたくなかったから、はぐらかしてたのによ………察しろよ」
カッコ悪ぃ。
土壇場になって。
往生際の悪い奴がいた。
フリルの付いた靴下も笑いを誘う、ミミカカだ。
死なば諸共。
這い蹲ったみじめな姿勢から。
鉄板すらブチ抜く隔世の超強弓、コンパウンドボウでシャーシャの背中を狙うのが。
シャーシャと相対していた俺にはよく見えた。
「戦ってたんじゃないの?」
「ハァ、戦ってただろうが………正しく命がけだったつーの」
矢を番えるその右腕を光剣で切り落とそうとしたが。
当の狙われているシャーシャが吹っ飛ばしやがった。
「殺そうとしたんじゃないの?」
「ハァ、してたさ………できなかったけどな」
だから俺はシャーシャを怒鳴りつけた。
いくら強くなっても。
中身は怯えたガキだもんな。
「だったらなんで」
「ハァ………知るかよそんな事」
そして立ち竦む無力なガキを。
『波紋徹し』で射線上から吹っ飛ばした。
「身代わりになって矢を受けたのさ!」
「ハァハァ………俺が知りてぇよ、んなもん」
そして射線上に残った俺が犠牲者となった。
さすが日本製のコンパウンドボウだな。
衝撃反発素材製のボディアーマーが貫かれた。
「なんでなんでって聞くなよ………何もかんも理屈詰めで生きてねぇよ」
なんかよ。
自分の矛盾とか。
中途半端さとか。
そういうの責められてる気になる。
「俺は最強に強かった。そうだろ?何処にあるどんな物でも斬れて、吹っ飛ばせて、空まで飛べてよ………なのによ、並び立つ奴がいやがった」
根源的に。
俺は怖かった。
自分と同等の存在。
それを許容できなかった。
「だから排除しようとした………筈だった」
「はずだった?」
「チッ………そうだよ、半端になっちまった」
「ハンパ?」
オウム返しだな。
そういやお前、結局何の獣人だったんだ?
少なくともオウムじゃねぇだろうな。
「殺すだけならそもそも、正面から戦わなくっていいだろ?寝込みを襲ってもいいし、そもそも召喚で猛毒を定義して即死させてもよかった」
「うん………そうだね」
「ハァ………まぁ事情も思惑も目論見も打算もあったけどよ」
「うん」
「あの野郎が弓で狙ってるのを見たら………どうにかしようと思っちまった」
そうだよ。
なんでか知らないが。
あの光景を目にした時。
俺はもう動き出してた。
「ハァ………結局………短い間でも一緒に居て、お兄ちゃんだなんて言われて………情が移ったんだろう。実際殺しそこねたしな」
「お兄さん………」
秘密の告白、というやつだろうか。
後ろめたかったりする、心情を吐露する事で。
心理的な負担を軽減する行為。
殺そうとしたけど?
実はお前の事は家族だと思ってた?
ハハ、何だそりゃ?
丸っきりクズだ?
「ハァ………もう行け」
「行けって?」
「流石にもうここも崩れるだろ」
「行けって………お兄さんはどうするのさ?」
「暫くここでこうしてる」
「暫くって………今自分でここが崩れるって言ったんじゃないか!」
「悪役は崩れ去る地形と共にフェードアウトってとこだ、ハハ………ハァ」
「笑えないよ!」
「まぁとにかく行け」
「お兄さんも一緒に行くんだよ!」
「行かねぇよ………今更どの面下げてお前らと行くんだ」
「それでも!」
「デモもストもねぇよ………余裕あんなぁ俺、ハハ」
「笑えないって!早く!」
「お前、俺を助けたいのか?」
「そりゃそうだよ………お兄さんはボクの」
「なら置いてけ」
「つながらないよ!なんで!」
「助けたいって割に、俺に刺さった矢をどーもしねぇし、回復の魔法を使える訳じゃないんだろ?」
「でも、背負ってでも!」
「それでどうやって助けるつもりだよ。脱出ができても、その先で死ぬだろ、それ?」
「ここにいたら死ぬしかないじゃないか!」
「そうでもないな」
「ん?どういうことなの?」
「シュレディンガーの猫だ」
「量子論?」
「観測するまで結果はわからないって奴だ」
「結果って」
「『俺が死ぬ』っていう結果を観測しなければ、可能性が残る」
「可能性」
「可能性があればなんとかできる奴がいるだろ」
「魔法少女………シャーシャちゃん」
「そういう事だ。だから置いてけ」
「それでいいの、シャーシャちゃん?」
ボーッとした様子でこっちを見てたシャーシャを見返す。
「………ん」
相変わらずぼーっとしたままで最低限の返事。
「さぁ、さっさと行け。そろそろ本気で危ないんじゃねぇか?お前らが死んだら元も子もないぞ?」
「そうだね………行こう、シャーシャちゃん」
「……ん」
言葉少なに、促されるままに立ち、のたのたと歩く。
夢遊病者みてぇな力強い足取り。
「お兄さん」
「ん?」
ある程度歩いたところで振り向いた、ナーナが呼び掛けてきた。
「また………会えるよね?」
「ハァ………そりゃお前達次第なんじゃねぇか?」
「そうだね………じゃあ行くから」
「あぁ、じゃあな」
だらしなく座り込んだまま。
ここから去る2人を見送る。
暫く見守っているとやがて視界から消えた。
「許せよ………俺は嘘も言うし、騙しもする。もう会えないだろう」
1人。
残された空間で呟く。
独り言というのは不安や不満の表れだそうだ。
秘密の告白は続いているらしい。
「虐待を振るわれて育った親は、自分の子供にも暴力を振るうっていうが………俺も似た様なもんか」
俺がシャーシャにやった事。
決して許されるべきではないだろう。
「ハァ………ロクな大人じゃなかったな、俺」
聞く相手も居ない独り言は。
だだっ広い空洞の中に消えていった。
18/5/19 投稿