記憶
俺はどこにでもいる普通の人間だ。
いじめというものがある。
難しい事は専門家に任せたいが。
唯一つ言える事がある。
時代がどれだけ進んで、対策を講じても。
決してなくなる事はないだろう、という事。
人間は社会的動物というらしい。
なんでそう言われるのか所以は知らないが。
こっちにも唯一つ言える事がある。
所属する社会―――つまりはコミュニティでうまくやれなければ。
その生活は途端に地獄になるという事だ。
例えば未成年のコミュニティは非常に狭い。
未就学児が所属できるコミュニティなんてのは顕著だ。
家の外に出れる様になるまでは、家族ぐらいしか接触の機会がない。
せいぜい親の交友関係を引き継いで、家族ぐるみの付き合いのある相手だとかに限られる。
次いで義務教育の最中にある児童。
この児童の世界も狭い。
即ち家族と学校。
閉じられた狭いコミュニティ。
俺の友達の世界は。
地獄となっていた。
俺がオンラインゲームで出会った友達。
彼はいじめられていた過去を持っていて。
その体験をどこか淡々と。
しかし悲痛に語ってくれた。
何故彼はいじめられなければならなかったのか。
ご多分に漏れず。
年の離れた俺の友達には、特に責められる様な謂れはなかった。
しかし責任はなくとも、いじめは発生する。
根本的には、他者への思いやりがないからか。
遊びの延長として、見るも無残な地獄が生まれる。
よくあるのは『違い』だろうか。
先天的・後天的な理由で、外見や振る舞いが他者と違う。
肌の色が違うとか。
皮膚が弱いだとか。
太っているだとか。
うまく発話できないだとか。
あるいは流行に乗り遅れてるだとか。
弱そうだとか。
人の学習が。
対象を認知することであるなら。
それらは『違い』と認識される。
そして未熟な子供、特にイキった調子に乗りやすい者が。
その『違い』を断罪する。
魔女裁判の如き所業。
俺の友達にとって最悪だったのは。
後になって本人が認める程。
いじめられるに足る理由があった事だろう。
昔の彼の事は知らないが。
特に健康的な問題もなく、アニメやゲーム等の、遊びの事ばかり気にしている。
そんな典型的な男の子だった様だ。
それが気がついたら、多くの同級生から疎まれ、遠巻きにされる様になった。
何故か?
父親が原因だったらしい。
彼の両親は若かった。
彼の恵まれた容姿を見てわかる通り。
両親の見目も良かったと思われる。
家族でクイズ番組を見て。
子供相手に正解数を自慢する様な。
そんな恥ずかしくなる様な。
しかし円満な家庭環境。
何故そんな中で歪が生まれたのか。
彼が半ズボンから覗く生足も眩しい、ショタっ子だった時代。
1つ社会を騒がせた事件があった。
マルチ商法の横行だ。
厳密に言うとねずみ講とは別物らしい代物。
だがそんなものは、危険から身を置く一般人にとって、大した違いはない。
実はこういったものに、手を出しやすい人間。
その典型というのがあるらしい。
当然手を出す以上、自分はうまくいくという想定をしているに違いない。
つまりは頭がいいという自負のある、調子に乗りやすい自信家。
この手のものにハマるのはそういう人間らしい。
若く見た目に優れ。
頭がいいという自負があり。
少し調子に乗りやすい。
それが友達の父親を端的に評した人物像。
………ものの見事に、手を出してしまったらしい。
マルチ商法と出会って僕の人生は変わりました。
危険から身を置く人間からすれば鼻で笑う様な陳腐な言葉。
しかし。
間近に接する彼からすれば、溜まったものではない。
父親に巻き込まれて、人生を変えられてしまったのだから。
誰しも自分がよくわかっていないものを、わかりやすく説明する事はできない。
良さを伝えるには、まずは自ら経験する必要がある。
つまりマルチ商法には、商品を紹介する為の、購入ノルマがある。
この購入分のマイナスを、周囲の人間に売りつける事でプラスへ転じる。
勧誘の第一の関門はアポ取り。
どんな勧誘をするにしても、会わない事には始まらない。
まずは話だけでも。
それを糸口にして徹底的に切り崩す。
それこそが勧誘の極意。
開口一番に商品の説明をする営業は三流。
優秀な営業―――即ち契約を取れる営業は。
いきなり商品の話をしたりしないものだ。
まず交友関係を築き、そこから本題を切り出す。
それは営業だけの話に限らない。
例えば会員制のマッサージ店において、新規客の取り込み率の高いマッサージ師。
それは単に按摩がうまい、という意味ではない。
それ以上に話をするのがうまいのだ。
商品やサービスが良ければ勝手に売れる。
ゲームは面白ければ売れる。
そんな事を言い出す奴は、只の馬鹿だ。
馬鹿でなければ誇大妄想の癖がある。
とにかく考えが浅はかすぎる。
まぁ全ては相手の懐に入る事。
そこから始まる。
だから賢明な人間は。
話すら聞かない。
その機会を徹底的に潰す。
「○○さん家の子とは遊んじゃ行けません。あそこの子とウチの子は仲がいい様ですし、なんて言って父親が怪しい商品を勧めてくるから」
被害者の口から淡々と語られる、陳腐な体験。
しかしその淡々とした口調はむしろ。
本人の中で消化し切れていない事の証左である様に思えた。
段々家に積み重ねられる、売れないダンボール箱。
段々と比例する様に、機嫌の悪くなる父親。
段々と比例する様に、周囲に疎まれる自分。
勧誘してくる父親を遠ざける為。
何の罪もない息子を遠ざける。
俺の友達は父親のとばっちりを受けて。
学校というコミュニティでの社交を大失敗した。
特に彼の同級生は、自らの親から。
俺の友達の事を排斥していい、というお墨付きを得ている。
いじめに発展するのは只の時間の問題でしかなかった。
いじめを解決できるかどうかの重要なファクターに。
身近な人間に助けを求められるか、という点がある。
その点でも彼は地獄に突き落とされていた。
そもそもいじめの現況は家族が原因。
家族に助けは求められない。
もしも父親に「マルチ商法をやめろ」等と口にしたら。
「あの血走った目をしたアル中のキチガイに、病院送りにでもされていただろうな」
とは彼の弁だ。
ちなみに思う様に勧誘が進まない現実を前に。
父親はアルコールに逃げ出し、以前より暴力的な言動が目立つ様になったらしい。
本当に典型的な落ちぶれっぷりで、いっそ笑えてくる。
そう自嘲する様に語った彼は微塵も笑ってなかったし、俺も一切笑えなかった。
父親が頼れないなら学校の担任はどうだろうか。
こちらも頼りにならない。
○○君をいじめるのはやめましょう、なんて言ってもいじめはなくならないし。
もし本気で無理矢理にでも交友関係を持たせたら。
とばっちりを食らうのはその子の親だ。
金銭的被害が出る話。
モラルの次元の話ではない。
そして担任にとっても他人事ではない。
いじめが問題視される昨今。
最初は担任の方も、ちゃんと動こうとしたらしい。
そうして彼の父親と、話し合いの機会を持とうとした結果。
担任自身もマルチ商法の勧誘被害にあったらしい。
アポを取るまでもなく、自分と会おうとする人間。
きっと父親にはカモにしか見えなかっただろう。
俺が思うに。
善意が踏みにじられる瞬間が。
人として1番萎える瞬間だと思う。
担任の心に燃え立った火は、ここで鎮火されてしまったのだろう。
この瞬間。
いじめは担任公認の事となった。
学校に居場所はなく。
家庭に居場所はなく。
児童が所属できる世界から弾き出されてしまった子供。
こういう子供の終焉は。
自殺で締め括られるのが、ニュースでよく聞くものだ。
彼は死んだのか?
いや、死んでない。
だって成人した彼と俺は出会っている。
今がどれだけ辛くとも、今が全てじゃないと。
自殺志願者の説得に、よく使われるフレーズ。
他業種の就業経験を持つ俺は、素直にその言葉に頷ける。
俺は若干アバンギャルドな転職経験を持つ。
プログラマーという技術職を経て。
不動産の管理業という職に就いている。
人生なんとでもなると、そう思っている。
別にプログラマーとして、生涯を終えなければならないなんて事はないのだ、と。
辛いとか向いてないとか思えば、新たな世界に踏み出したらいい。
身分制度のない日本には、職業選択の自由がある。
唯一問題があるとすれば、子供には行動力がない事だろう。
行動力というか、根本的に選択肢が少ない。
取り得る手段が、切れるカードが、大人に比べて劣っている。
扶養家族の身分では、自由にできる事は少ない。
一見八方塞がりな状況。
だが技術の発展は。
追い詰められた子供に、身近な逃げ場を提供してくれた。
そう。
彼はネットゲームの世界に逃げ込んだのだ。
技術の発展に関して、色々と言われる事もあるが。
間違いなくゲームの発展が、子供の精神を救っている。
まぁ居心地のいい逃げ場から戻ってこない、大きな子供も社会問題となったが。
パソコン文化を悪として、パソコンをなくせばニートはいなくなる、という暴論はやめてほしいと思う。
ニートはいなくなるかもしれないが。
それは追い詰められた子供が死ぬ、という危険を孕んでいる。
人が生きるには希望が必要、という事だろう。
将来ニートになる様な子供が生きる必要はない、という意見は一定数あると思う。
御高説賜り至極光栄、近視眼の傲慢チキ共。
その意見がまかり通ると、やがて失楽園に行き着く。
資格のない者は生きる資格を剥奪される、息の詰まる管理社会へと。
水清ければ魚棲まず。一切の汚れを認めない潔癖さは、あらゆる存在を拒む猛毒となる。
少なくとも子供が子供でいられる、執行猶予ぐらいは許されてしかるべきだろう。
子供の内から世界全てが敵という、人生ハードモードをクリアしろなんて。
そんなクソゲーを強要するなんて事は俺にはできない。
弱き者に手を差し伸べるぐらいの、道徳観と余裕は持っていたいものだ。
というわけで。
俺は手を差し伸べた。
現実逃避するだけの娯楽を。
俺の趣味は偏っているから、ちょっとマニアックなものだが。
やり込む要素のある古いゲームだとか。
劇的に人が死ぬアニメだとかマンガだとか。
人との関わり合いが薄く、ファッションを気にしない彼に。
先輩ぶって「清潔感を与えるファッション」の定義を与えたのも俺であれば。
鬱病の兆候が見られた彼に。
筋トレをさせて、運動でストレスを発散させつつ。
自分に自信をもたせたのも俺。
他者とのコミュニケーション能力に難を抱える彼に。
プログラマーという職業が。
最低限の交友関係で済ませられる、職業の1つだと勧めたのも。
ネット上でプログラム入門と題された適当な問題を、順に消化していく技量があれば問題ないと教えたのも。
データベースを扱うSQL文を覚えるように勧めたのも俺。
全ては俺だ。
無気力で、どこか淡々としている彼は。
俺の言った事を、これも淡々とこなし受け入れた。
家族がクズで。
自分が生きていていい根拠を見失いがちな彼に。
外的な生きていていい根拠を与えたのも俺。
彼はテレビで与えられる情報通りに日本をイメージしていた。
よくわからないけど、テレビがそう言ってたから、日本は悪い国なんだろうと。
俺は得意がって日本の凄さを教え込んだ。
野党のいう国民の借金というのは、ありもしないものであるという事。
日本は発展途上国からの友好度が極端に高く、決して嫌われ者ではない事。
先の世界大戦において、日本は国家として当然の選択を行っただけだという事。
日本で当たり前だと思われているもの1つ1つが、世界有数の価値あるものであるという事。
そんな凄まじい国である日本に生まれた国民。
所属するコミュニティに誇りを持たせ。
自身の価値がそれに準じるものであると。
そういう論調で、生気の乏しいアイツを励ました。
それが全てではないだろうが。
それでも人格形成に多くの影響を与えたと思う。
少し享楽的で。
少し刹那的で。
少し偽悪的で。
でも模範的で。
少し小心者で。
少しお人好し。
どこか厭世観があって。
どこか達観した様な。
どこか諦観した様な。
どこか淡々としている。
そんなプログラマー。
つまり俺の友達は。
どこにでもいる様な人間だ。
この時、俺は。
アイツが死んだ………いや。
その存在が消滅していた事なんて。
当然知る由もなかった。
18/5/12 投稿・文章の修正