始まりの街を運ばれてみた
猫を可愛く書けるようになりたい今日この頃です。
利久は気付くと街の広場に立っていた。ヨーロッパ風の石造り建築が眼前に広がっている。
目を開けば色鮮やかな街並が違和感なく映り込み、どこからか漂う料理の美味しそうな匂いが鼻をくすぐり、石畳と触れ合う足の裏からは気持ちのいい冷たさが昇ってくる。
そして何よりも、雲一つない空に浮かぶ太陽。そこから降り注ぐ暖かな光。
どこにも嘘くささは感じられなかった。利久にしても最初はゲームの世界だと分からないほどの『現実』が広がっていた。
ここは始まりの街。全てのプレイヤーは最初この街からプレイする。数ある中でも最大級の大きさを誇る街だ。初心者から熟練者までプレイヤーと思しき者たちがそこら中にいる。
キョロキョロと周囲を見渡した利久は、様々な服装をした者たちに目を輝かせた。明らかに頭にうさ耳が生えている女の子とか、子供ぐらいの背しかないおっさんとか、緑の髪に尖った耳をした男とか。リアルで見たらコスプレしている奴か、頭がやばい奴の二択を迫られるようなヒトが溢れている。
そして利久自身もその姿はさえない高校生の物ではない。
すらりとした体躯に、全身の毛は光沢のある黒でありながら、右足だけは何者にも汚されていないかのように白い。体高は30センチも無いほどで、ぴんと立った尻尾のラインが何処か気高さを象徴している。
これぞまさしく至高の黒猫。
性別はちゃんと雄である。
『すごい、すごい!』
ちなみに今の言葉は周りの人々にはニャーとしか聞こえていない。
せっかく姿が猫になったのだからと、利久は言葉を使うことは禁止にして猫の鳴きまねをするつもりでいるからだ。
興奮したせいか、意味もなく笑いがこみあげてきていた。
よし、ここから俺のゲームの始まりだ。まずは……日向ぼっこの場所でも探しに行くか。
そう決意すると、利久は歩こうとして……こけた。
正確に言えば後ろ脚だけ動いたせいで尻餅をついていた。
『………………』
利久は倒れたまま猫になった自分の体を見る。肉球の可愛い前足と後ろ足をパタパタと動かしてみる。感覚的には人の時の腕を動かそうとすると前足が動いて、人の時の足を動かそうとすると後ろ足が動くようだ。
そのままと言えば、そのままである。しかし、操作性は難としか言えなかった。
『甲斐のっ! 大嘘吐きっ!』
その叫ぶ姿はまさしく負け犬ならぬ負け猫の遠吠えである。
急に叫んだせいで周りに驚いた顔をされたが、どうせただの猫だと思われているだろうしと、利久は全く気にした様子を見せない。
とりあえず動ける様になろうと立ち上がった。
いや、正確には四本の足で立ち上がろうとした、が正しい。
(体を動かすという事に違和を感じる日が来るとは思ってもみなかったな)
リアルで無理やり四つん這いになっているのともまた違う感覚だなと、利久は何度か足を動かして確認する。練習あるのみという事か。じたばたするものの中々立てず、立っても一歩歩くことがまず難しい。試行錯誤を繰り返す。
(感覚は違うとはいえ、とりあえず手と足を左右交互に出せば何とかなるだろ)
こてん。
(失敗、失敗。両方いきなりとか難易度高い。片足ずつ動かしてみよう)
こてん。
どうにか前に進もうとして挑戦を繰り返すが、生まれたての小鹿もかくやというほどに安定せず、こてん、と可愛らしく倒れる。
周りからの視線を気にせず、道の真ん中で何度も立ってはこけてを繰り返す。ちなみに、周囲の人々は頬を緩ませて動画やスクショを撮っているが、利久は気付いていない。
『面倒くさい。寝よう』
利久はついに諦めた。
空を見上げてみればこれが本当にゲームの世界かと思わせるほど、暖かな光を浴びせてくる太陽がある。この温もりなら十分に日向ぼっこは可能だ。
これも難しいが歩くよりは簡単で、どうにか背中を無理なく丸めて丸くなる。誰もが想像するお昼寝中の猫の姿である。
地味に猫の姿で眠るという夢が叶い、じんと感動を味わう。
『おやすみなさい』
利久は嬉しそうにそう言って、目を閉じ……ることができなかった。
なぜなら、
「どうしたのかな、猫さん」
見知らぬ人に優しく持ち上げられながら、しゃべりかけられたからだ。
誰だコイツ。そう思いながらも利久は「ニャー」としか返すことができない。
「お腹がすいてるのかな。ちょっと待っててね」
いや、離してくれって言ったんだけどね。
そう思いながら眠気から再び閉じようとした目を根性で開けると、そこにいたのは綺麗な少女が一人。
最初に目に飛び込んできたのはその服装。修道服と言えば通じるだろうか。黒の布地に襟や袖に白のラインが入ったワンピース型の服に、頭には同じく白く縁取りされた頭巾みたいなのを被っている。ただ頭巾の真ん中に刺繍されているのは十字架ではなくて、何故か蔦の絡む薔薇であった。頭巾の中に隠れてほとんど見えないが、髪の色は金のようだ。甘くとろけた笑顔が見る者を癒す美少女である。体からは薔薇の匂いに混じって、どこか自分に似た匂いも香っている。
ゆっくりと少女の顔を見ると、利久は何となく既視感を覚えた。
こんなに目鼻立ちが整っていて、美少女と呼ばれるにふさわしい女の子を見たことがあったっけ。
教会の中に入れておけば、にわか信徒が押し寄せてくるだろう、と失礼なことを考えながら大きく利久はあくびをする。
(無視していればいなくなるだろう)
あくびから口を閉じるのと同時に、まぶたもしっかり降ろしてしまう。
「それじゃ、お魚屋さんに行きましょう」
その修道女(服装から判断)はそう宣言すると、利久をギュッと胸元に抱きかかえて走り出した。
そう胸元にギュッと。付け加えておくと、彼女の胸はデカい。清貧・貞潔・服従という修道誓願の前者二つに真っ向からケンカを売っているほどにはデカい。
普通なら男たるもの、そのふくらみを喜ぶべきであったのだが、利久は誠実に別の事を願っていた。
生き延びたい、と。なぜなら、
『手、手を離せ! い、息が出来ないだろ。ああ、でも、柔らかいなあ』
その胸圧は小さな動物など潰してしまいそうなほどに強かったのだ。しかもプレイヤー補正によって威力は右肩上がりである。
現状利久は大きな胸に顔を挟まれる形で呼吸困難。柔らかさを楽しむ余裕なんてあるはずもなく、短い足を振り回してみるものの、修道女は全く気付く様子がない。
おっぱいにパフパフして死ねるなら本望か……、利久がそんな思考になったところで走るのが止まった。そしてもうほとんど胸に埋まっていた利久を、修道女はよいしょと取り出す。
背中をつままれるように持ち上げられると、利久は様々な露店が立ち並んでいるのが分かった。
「ふふ、今お魚買ってあげるからね」
そういって右手で何もない空間に触れたかと思うと、修道女は魚屋から商品を受け取っていた。
「向こうの公園で食べましょうか」
そう言って笑ったその笑みはまさしく迷える子羊(猫だけど)を導く修道女のものだった。
読んでいただきありがとうございました。