雨を嘆いてみた
まだ導入です。
そこは荒れ果てていた。
一歩でも動けば乾いた大地から砂煙が上がり、自分の立てる足音だけが響く。まるで死に魅入られてしまったかのように、ここには生けるものが存在していなかった。元の美しい草原だったころの姿を垣間見ることは出来ない。あの花々が咲き誇った姿と、今の何もない砂漠のような有様が重ならず、誰もが息をのんだ。
この地に死を運んできた存在は、草原であった場所の中央に鎮座していた。砂漠と化した大地よりさらに乾き、それでいて堅固な質感を感じさせる黄土色の鱗が全身を覆い、巨大な体躯は四足をたたんで寝そべる姿だけで凄まじい圧力を見る者に与える。背中には退化してしまった翼の名残が小さく折りたたまれ、その代わりに両足には鋭い爪が光り、太くずっしりとした尻尾の先にはまるで鉄球のようなものがついている。
レベルにして78を誇るボスモンスター。『枯れし草原の蹂躙者 デフォリア・ドラゴン』。
押し寄せるプレイヤーをその爪で引き裂き、噛み付き、弾き飛ばす。まさしく蹂躙者というモンスターだ。さらに周囲から徐々にエネルギーを吸い込むことによる回復特性を持ち、その高い防御力と合わさるとライフを削り切るのは至難の業だ。
しかし、今その堅固な鎧となるはずの鱗は剥がれ落ち、背中に大きく剣が突き立てられた。空気を震わす咆哮がデフォリア・ドラゴンの口から漏れる。
「ブレスが来るぞ! ランディ、全員に状態異常耐性の補助呪文」
そう叫んだのはデフォリア・ドラゴンに剣を突き立てている男だった。軽戦士なのだろう。鎧は最低限と言った感じで、ドラゴンと相対するには頼りない風さえあった。
「了解。《神よ、我らを災厄から護りたまえ》」
軽戦士の声に答えたのは後方に控えていた神父服の男。手に持っている本を開き、ページに書かれている言葉をなぞる。
すると、デフォリア・ドラゴンと戦っている五人と一匹が仄かに光った。それは状態異常を誘発する攻撃から身を守る盾。
デフォリア・ドラゴンが吐きだした息吹は触れたもの全てを枯死させる。
しかし、必殺であったそれは神の加護で護られている男たちには効かなかった。
***
空中に浮かび上がったホログラム映像の中で、幾度目かの攻撃を額に受けたデフォリア・ドラゴンはぎゃう、と最後に鳴いて光となって消えて行った。
歓声を上げたプレイヤーたちが画面の中でハイタッチしている。その中には背に少女を乗せた獅子のような動物の姿もあった。
「それで、俺はこれを見てどうすればいいんだ」
机の上に突っ伏しながらその映像をぼけーと見ている少年、利久は目の前でにこにこ笑っている自分の弟、甲斐にうんざりした様子で話しかけた。
「もう、せっかくいいシーンなんですから、ちゃんと見てくださいよ。最近VRMMO『Feriatus Paradisus』で有名なパーティーのボス戦なんですよ」
ちらりと映像に視線を向けると、確かに喜んでいる五人と一匹は全員かっこいい格好をしている。動きや連携にも無駄がなかった。
「だから、俺はこれを見てどうすればいいんだよ」
横にして机を枕にしていた体勢から、額を机にくっつける形になって同じようなことを繰り返したのは六野宮利久。万代高校二年。体形はやせ形で、運動は不得意で部活は帰宅部。勉強の方もそれなりのラインを越えないぐらい。友達は多くないが、量よりも質だと思っている、そんなどこにでもいる高校生だ。
唯一変わっている所は、趣味が日向ぼっこであると明言していることぐらいだろうか。
「それは兄さんが同じこと呟いて五月蠅いから、僕が解決策を提案してるんじゃないですか」
甲斐はびしっと指を突出し、だらけている兄を叱りつける。
そう、利久は今一つ大きな問題を抱えていた。
「ああ、そうだった。雨がやまない……。日向ぼっこしたい……」
今は梅雨の時期なのである。
もちろん太陽が姿を現すことはなく連日雨が降り続く。
日向ぼっこ好きの利久はそれでリビングのテーブルに突っ伏していたのだ。そして、
ああ、……日向ぼっこしたい。
これをエンドレスで呟いていたのである。
「兄さん、少しいいですか」
そこに流石に見かねたのか弟の甲斐が話しかけた。三度ほどリビングを通り過ぎ、その度にその姿を見て遂に見てみぬふりが出来なくなって声をかけたのだった。梅雨時の利久は毎年こうなので、毎度嫌そうにしながらもどうにかしようと近寄ってくる。
いい弟を持ったものだ。
だから……
「甲斐っ。太陽が恋しいよう~。本当に甲斐は小さくて可愛いな」
「ああ、ちょっと兄さん。し、しがみつかないでください。頬をすりすりするのもやめてください。それに、最後の小さくて可愛いは余計です」
がばっと起き上がった利久は、椅子に座ったままで甲斐に抱き着いた。そうするとちょうど利久の顔と甲斐の顔が同じ高さになり、抱きしめやすくなるのだ。
甲斐は小さい。利久と一つしか違わない高校一年のはずだが、150センチほどの身長と華奢な体格に、それはそれは可愛らしい童顔を乗せている。制服でも中学生、私服なら小学生に見える。ショタっ気のあるお姉様に大人気という、利久にとっても可愛い弟である。
「僕はいつか大きくなって兄さんを見下ろしてやるんですからね。こういった可愛がりはすぐに出来なくなりますから」
甲斐の可愛い顔でツンとした表情されると、男の子を愛する世のお姉様の気持ちも分かろうというものだ。
「うんうん。本当に甲斐は可愛い、可愛い。よし、頭を撫でてあげよう」
だからつい優しく頭を撫でてしまう。
褒められているのを否定も出来ず、でも男の矜持的には反抗しなければ、という気持ちに葛藤しているのか。甲斐は身体を硬直させながら、なすがままになっている。
うん、いい加減これぐらいにしてあげないとな。
頭から手を離し、寄せていた体を利久は甲斐から離した。
多分もう額を机に押しつけて出来た赤くなっているのも消えているだろうから、顔を見せてもだらしないとか言われることはないだろう。
「日向ぼっこをできないイライラは甲斐と遊んで晴らすのが一番だよ。ありがとう」
「喜んでいただけるのはいいんですが、もっと違う方法でお願いしたいです」
甲斐でストレスは発散できたし、それじゃ部屋に戻って寝るかと、利久が立ち上がった時、
「あっ、兄さん待ってください。僕が何のためにさっきの映像を見せたと思っているんですか」
そんなこと完全に忘れていた利久は、悪い悪いと謝りながら椅子に戻った。
甲斐が取り出したのは、色々入ってパンパンになった紙袋。テーブルの上に紙袋から取何かのパッケージや、説明書、ヘルメットのような物を取り出して順番に置いていく。
利久の趣味が日向ぼっこなら、甲斐の趣味はゲーム。
ゲームなら身長を気にしなくてもいいからというのが、甲斐の主張だ。
「日向ぼっこしたいならVRMMOでやりましょう。そこなら雨の日でも関係ありませんよ」
「はい?」
キラキラした目で楽しそうにそう語る甲斐に、利久は間抜けな答えを返した。
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