カレーを食べてみた
完全に今後以降への説明回になってしまった気がする。
梅雨ももう少しで開けるという頃、学校帰りは今日も傘をさしていた。
『休日の楽園』を始めてから感覚が敏感になったのか、利久は後ろの女子によく睨まれているのが分かるようになっていた。いつも感情を表に出さない彼女が珍しくお怒りの様子だったのだが、利久には全然思い当たる節がなかった。
「ただいま」
家の玄関を開けると、何故か甲斐が仁王立ちするように利久を待ち受けていた。
「兄さん、あの戦乙女が街中でプレイヤーと戦ったらしいですよ。知ってますか」
どうも昨日の事件のことを話したかったらしい。甲斐が朝に家を出るときにそわそわしていたのは、話したくてたまらなかったからか、と一人納得する利久。
ちなみに、その時の利久は寝起きでボケボケしていた。利久が遅刻もしないで登校出来ているのは、甲斐が毎朝起こしに来てくれるからである。
とりあえず玄関で立ちっぱなしというのもなんだからと、二人はリビングに場所を移すことにした。
すると繋がっているキッチンの方からいいにおいが漂ってくる。両親が共働きの六野宮家では夕食作りは交代制で、今日は甲斐の役目だった。においの感じからキーマカレーだと利久は当てを付けた。
「ごは……」
「ご飯はまだですよ」
「でもお腹がすいた……」
食べたい気持ちが顔に出ていたのか、それともぴくりと動いた鼻を見たからか、甲斐は利久が食べたいというよりも早く釘を刺してきた。しかし、臭いを嗅いだせいか利久の腹の虫が急に鳴りだした。その音を聞いて、甲斐は少しため息をついた。
「仕方がないですね。夜の分は残さないといけないんで、おやつ程度ですよ。用意するので、兄さんは着替えてきてください」
やった。甲斐のキーマカレー美味いんだ。
心の中で喜びながら、利久はわしわしと甲斐の頭を撫でてやった。ゲーム内では撫でられてばかりだったから、利久にとって撫でるのは新鮮な気分だった。
「そういえば今日は帰りが遅かったですね。何か学校で用事でもあったんですか?」
「いや? ラストの授業中に居眠りして気がついたらこんな時間だっただけ」
「……三時間ぐらい寝てませんか? はあ、それは七海野先輩も大変だ」
甲斐の言葉を最後まで聞くことなく二階に上がると、さっと着替えを済まして降りてきた利久はキーマカレーをゆっくり食べながら甲斐の話を聞く。話の内容はあの決闘商店街での顛末だ。どうも甲斐の目的は話をすることではなく、利久から情報を聞けないかという事だったらしい。
それもローズたちの事ではなく、『ポチ』のことについて。
「まだ兄さんは始まりの街をうろうろしてるんですよね。何かさっき話したこと以上に知りませんか? それにポチについての情報でもいいんですけど。というか、今ポチに関して結構荒れているんですよ。ですので、何か知っている事があればどんな些細な情報でもいいんですけど……」
「荒れてる?」
「はい、そうなんです。これを見てください」
そう言って甲斐が見せたのは『休日の楽園』専用の掲示板の一つ。確かにそこにはポチについてのスレがいくつも立っていた。
「えー、何々。あの黒猫を捕まえればクエストが発生する。怒弩努が襲ったのもそのため。ワルキューレが出張ったのはクエストを独占するため。ポチ、可愛い。ポチ、可愛い。ポチを襲え! 卑劣漢からポチを守れ! ……何だこれ」
前々からクエストに関係あるんじゃないかと情報通の間ではポチに注目が集まってはいたらしい。モンスターでもない街猫に名前が表示されているという特殊性が原因だったのだが、それが怒弩努の一件で爆発した感じになっていた。
「本当に困ったものですよ。今は静観してゆっくり情報を集める予定だったんですよ。それがこんな状況になってしまって……。しかも、さらに面倒なこともあるんですよ」
「まだあるのかよ」
「プレイヤー間でポチを捕まえようとする一派と、可愛いポチを守ろうとする一派と別れて大炎上。次ポチが始まりの街に現れたら、目も当てられないことになりそうです」
甲斐のやってられないという風の言葉に、利久は戦々恐々としてキーマカレーを掬おうとしたスプーンを止めた。
やばい、と頭の中で冷や汗を流し続ける利久を尻目に、甲斐は肘をテーブルにつけその手に頭を乗せて話を再開した。
「はじまりの街内だけでの事でしたから、トッププレイヤーの方々でも知っているのはごく少数。ただ昨日はある筋から招き猫のような行為が出来るというものや、妖精を背中に乗せてものすごいスピードで走っていたという情報が聞けてますね。兄さんは何か気付いたことないですか」
情報屋の血が騒ぐのか、この時だけ甲斐はキラッキラした顔をして利久を見る。そうなると座っていても身長差故に必然的に上目使いになる。天然でそれをやっていることに自分の弟ながら、利久は戦慄を禁じ得ない。
「他に情報って言ってもなあ。お前は何が知りたいんだ?」
甲斐は昨日のことをかなり細かいところまで把握していた。ポチと怒弩努の戦いが始まってからに関しては、その場にいたのではないかというほどの情報を持っていた(賭けの高額当選者の名前という利久も知らない情報すら知っていた)。
「怒弩努がどうしてポチに狙いを定めたのかが分からないんですよ。情報の出どころがつかめなくて。ただ、僕がその噂を掴めていない可能性ももちろんあるんですけど」
「ん? ポチの目撃例は出ているんだろう。どこかで見て怪しいと思ったからじゃないのか? それこそ妖精と一緒にいるとか」
「最初はそうだと思ったんですけどね。タイミングが色々おかしいんですよ」
ポチのことが『休日の楽園』関係のブログ等に載ったのは今日の事件があってからだ。それだと因果が逆転してしまう。怒弩努がブログ等でポチを知って襲ったのではなく、怒弩努が襲ったからポチのことが知られるようになったのだから。
「それにあの連中の活動範囲に始まりの街は入っていないはずなんです。世紀末プレイだとか言って、普段は荒野ゾーンで遊んでる連中なんですよ」
「偶然、その時始まりの街にいてポチを見て怪しんだとかじゃないのか?」
「もし、偶然妖精と一緒にいる姿を見てから動いたんだとすると、仲間を招集するのが早すぎるんですよ。誰かがわざと情報を伝えたとしか……」
何かが甲斐の中で引っかかっているらしい。
「兄さん。今始まりの街で何かが起きているような気がします。気を付けてください」
それだけ言うと甲斐は思索モードに入ったらしかった。肘を立てて組んだ両手に頭をもたれかけさせるようにしている。
「ごちそうさまでした」
利久はそれを尻目にカレーを完食した。やっぱり甲斐の作るキーマカレーは美味い、と口の周りを拭く。
ちらっと甲斐を見るが、利久の方を向く様子はない。
利久は見ていない内にもう一杯いただくことにした。
***
「使えないな、お前ら。猫一匹つれて来られないとは」
機嫌の悪い声がした。
始まりの街より東。砂漠地帯が広がるエリア。そのどこかに存在する洞窟に男たちはいた。赤モヒカンやスキンヘッドという昨日ポチを襲った連中が集まっている。
昨日と違うのはあの場でリーダーらしかった男ではなく、全く違う人物が中央の大きな椅子に座っていたことである。暗闇の洞窟の中、その姿はどこかぼんやり浮かび上がるかのようであった。
「そ、そんな。途中で『死出誘う乙女』さえ出てこなければ、上手くいってたんです。あんたがあの女どもを近づけさせなけりゃ、こんなことには」
「言いわけとは男らしくないが、まあ、良いだろう」
椅子に座っている者は男たちに気安く声をかけた。さきほどまでの機嫌の悪さが嘘のようである。
その声に全員は安堵した。
そして頭を上げたことを後悔した。
「最初からお前らみたいなゴミを当てにしたのが間違いだった。頭を落として死んでいろ」
そしていつの間にか刀を握っていた腕が振られた。
それに合わせて、怒弩努の連中の首が胴体と切り離された。
「裏切るのか! こんなことして無事でいられると思うなよ!」
誰かのその言葉を最後に、ある程度のレベルを誇る男たちが一矢報いることもできずに光となって消えていく。
「お前たちが他人のPKをどうにか言える立場か。それに、ふふふ、このことを広めてくれた方が『私』にとって得するから構わないさ」
立ち上がった姿が消えゆく者たちの光で鮮明に映し出された。
「待っていろよ、ポチ」
和服を着崩した緑髪のエルフが、瞳に暗い輝きを持って笑っていた。
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