《グラシェニレア魔法学園Ⅲ》 筆:トリ
「……出かけるわよ」
それが今朝起きてから開口一番のレイの言葉だった。
彼女曰く、この世界の常識を知るのにはそれが一番効率がいいだの、学園を案内できなかったかわりだの、ずるいだの。と、俺の理解が追い付かない速さで理由という名の精神攻撃を繰り出してくる。
「分かった!行く!行くから口を閉じてくれよ!」
俺がこう叫ぶのまで1分ももたなかっただろう。
寮に入ることに決まったのだが、入れるのは入学式の4日前だという。それまでレイの家で世話になることになった。
あの日この屋敷に案内された俺は言葉を失った。家ではない。屋敷だ。
その時レイと言えば、
『あら、だって私、帝国の貴族だもの』
と、笑って言っただけだった。聞けばこの世界ではそこそこの地位のある家は大抵ここ、魔法研究学園都市フラスフォルナに別荘を持っていて子息なり子女はグラシェニレア魔法学園へ入学するのだという。
「はい、これ持っておいてね」
屋敷から出る前に渡されたのは金色の一枚の硬貨と何かゴチャゴチャと入った袋だ。袋は見た目より重量がある。
「なんだ、これ?」
「その金色の硬貨がお金。単位はエグト。銅色のが1エグト。銀色のが10エグト。金色のが50エグト。基本はそれくらいしか扱わないはずだから紙幣のほうは覚えなくて大丈夫よ」
「で、これは?」
袋を軽く持ち上げる。
「それは、身分証明書兼通行手形と入学手続きに必要な書類、あと寮のキミの部屋の鍵に、……なんだっけ」
俺の手から袋をひったくったレイは紐を緩めると中を見る。
「あー、これこれ!」
そう言ってレイが引っ張り出したのは本だ。1冊は空色の表紙に可愛らしい文字で<Opfer>と書いてある。意味は考えないでおこう。もう一冊は黒い皮表紙でとても分厚い。
「こっちの空色のがギルバルの物語。で、こっちの黒いのが聖典よ」
「聖典?」
聖典というからには宗教か?
「この世界の大半が信仰している宗教、グラシェニレア聖教の聖典よ。宗教自治区レイナスと言えばフラスフォルナと並ぶ権力と規模を持ち且つ医療技術については世界一を誇るのよ。私たちが通う学園の名前もそこからとられたものだし、代々の学園長がグラシェニレアを名乗っているのも教団への敬意を払っているからなの。最高指導者は導師と呼ばれていて、……私なんかじゃ姿を見ることも叶わないでしょうけど……とても偉大な方なのよ」
「へぇ」
よく分からないが話を聞く限り元いた世界の三大宗教のうち、俺たち悪魔を忌み嫌っていたアノ宗教みたいなものだと考えておけばいいだろう。信仰するものなどは根本から違うだろうが体系は似ていると思われる。
「で、本は今じゃなくてもいいだろ?」
「後じゃ忘れちゃいそうだし、邪魔になるようなものじゃないでしょ?いいからいいから、ほら、早くいきましょうよ!」
思いっきり邪魔だ!
そう口にする前にレイは俺の袖を引っ張る。なんだ、この力は。外見からは想像もつかないほどの力で引っ張られて後ろに倒れそうになる。思った以上の怪力だった。
「わっ、わっ、まて!ついていくから引っ張るな!」
初めて歩く昼間の街は俺の知っている世界とは全く違った。
小高くなった町の中心に学園。その周りの低くなったところには居住区や交易区、商店区など目的ごとにまとまった区に分かれている。
レイが言うには基本は学園内だけでも必要なものや用事は済ませられるだけの設備はあるという。ろくに見ることができなかったため、分からずじまいだったが。場合によっては学園内のほうがいいこともあるというが、それは研究とかそういった部類のものだろう。
「黒小麦の黒パン2エグトだよ」
「貝殻でつくったペンダントはいかが?」
「最新の魔法論文が入荷しましたよ」
食べ物、雑貨、本。何か『俺の』興味をひくものがないかと商店区をブラブラと歩いているのだが。
「わー、すごいっ!これかなりのレアものよ!」
店先に飾られていた魔法研究用の宝石。
「かわいい……」
ウサギだか犬だか豚なのか何なのかわからないもさもさとした小動物を模したぬいぐるみ。
「おいしそうっ」
焼きたてサクサクの香ばしいアップルパイ。
そう。
俺は自分の欲しいもの、興味のある物を物色するどころではなく完全にレイの買い物に付き合わされる結果になっている。
「……俺は荷物持ちか」
両手に抱えた大小さまざまなレイの荷物を一瞥して俺はため息をついた。
「あ、ルーク」
「……なに」
また荷物が増えるのか、と半ば諦めて返事を返す。が、そこまで無慈悲ではなかったらしい。
「その荷物、全部家に送ってもらうからここに置いてちょうだい」
「ああ」
レイが指さしたのは街の角にある小さなボックスだ。覗き込んでみると何やら魔法陣が光を放っていた。
荷物をすべて入れ終わるとレイは踵を返す。
「え、おい」
「大丈夫よ、もう家についているはずだから」
見てみると中に入れたはずの物はなくなっていた。
「転移魔法の応用版、みたいなものなの。無くしちゃいけない物とか高価なものを買ったときには使うと便利よ。技術については……秘匿されてるみたいだけれど」
「へぇ」
「便利な魔法っていうのは大抵開発にはフラスフォルナかレイナスが関わってるって言われてるわね。それに、秘匿された技術っていうもの。危険だったりリスクが大きかったり、普通の人じゃ扱えないような魔法とかね」
「へぇー」
とりあえず、秘匿されている魔法もある、ということだけを頭に入れておくことにする。
「それより」
「へ?それより?」
「学園の正門前―――中央広場って呼ばれているんだけど、そこにある噴水は一見の価値あり、って言われてるの」
「それならこれからいくらでも見れるんじゃ……」
「つべこべ言わず、ついてくる!」
「……はい」
「ほー……」
一見の価値あり。
まさにその言葉の通りだ。感嘆の声をあげた俺にレイはでしょ、と嬉しそうにほほ笑む。
白い大理石のような材質でできた巨大な噴水からはとめどなく水が流れ落ち、日の光がちょうどいい角度でさして虹が幾重にもかかっている。中央の淡く発光する球体のオブジェも美しさの演出に一役買っているのだろう。
そのまま眺めること数十秒、ふと広場の一角が騒がしくなる。
「何かしら?」
「あっち側……西には何があるんだ?」
「西は……えーっと、ほとんど他国の領事館だけど、大きな建物でいうとグラシェニレア聖教の大聖堂があったはずよ」
話しているうちにもだんだんと騒ぎは大きくなってゆく。商人区や居住区がある方面からも人が走ってゆく。
俺たちは顔を見合わせると大聖堂へと向かった。
悪魔、という種族柄、教会だとか聖地だとかそういった場所にあまり縁がなかった俺にとって大聖堂は今まで感じたことのない空気が満ちた場所だった。
やはり騒ぎの原因はこの大聖堂にあるらしく多くの人―――人でない者多数いるが―――が集まってきていた。
「あの、今から何が?」
レイが隣にたたずむ紳士風の老人に声をかける。
「おや、ご存じありませんかな?……レイナス卿が我々のために特別に聖唄の儀を執り行ってくださると、つい先ほど通達がありましてな。卿自らなど、またとない機会ですからな」
「本当ですか!?」
レイの顔が見たことがないほどの歓喜に染まる。歓喜を通り越して興奮していると言ったほうが正しいだろうか。
それにしてもレイナス卿、というのはなんなのだろう?レイナスと言えばグラシェニレア聖教の宗教自治区の名前だったはずだ。
それを察してくれたのか、それともただ単に興奮を抑えきれなかっただけなのかレイは俺のほうを向くと早口でまくしたてた。
「レイナス卿っていうのはグラシェニレア聖教の枢機卿の1人で次期導師とも言われている方なの。高位の役職に就く方々には聖名っていう本名とは違う名前があって、レイナス卿の場合はその功績から宗教自治区の名を。レイナス、って言ったら導師が名乗るグラシェニレアに次ぐくらいのそれほどに偉大な人ってことなのよ。あ、学園長のグラシェニレアはまた違うからそこは勘違いしないでね。聖唄の儀は……見たほうが早いわね」
レイが指さした方向―――大聖堂の祭壇を見るとちょうど黒を基調とした長衣に血のような赤色のマントを身にまとった人影がゆっくりと壇の中央へ歩み寄っていくとこだった。周りには従者だと思われる人が数人いた。
長い蒼色の髪は後ろで1つにまとめられゆるい三つ編みになって腰のあたりまで垂れている。手には聖杖。かなり距離があるためよくは見えないが、とても若い人なのだとわかる。独特な雰囲気を身にまとっている。
レイナス卿は両手を軽く広げると口を開く。
聞こえてきたのは唄だった。
大聖堂の構造上か、反響して場を包み込んだ澄んだ歌声は大きいものではなかったが、どこか心の奥底を振るわせるものがあった。儚く、荘厳で美しい。卿の背後のステンドグラスの効果もあるのだろうか?
かつてないほどの安心感を俺は味わっていた。
神聖な、とはまさにこんな感じの事を言うのだろう。
背筋は無意識に伸び、思わず跪きそうになる。
なのに。
どこか物悲しい。
耳を澄ましてみると、途切れ途切れにだが歌詞が聞き取れた。どうやら1つの言語だけではなく様々な言葉が混じっているらしい。その中で唯一、俺でも理解できる言語があった。
―――Ponam animam mea. 私は私の魂を捧げよう。
Propter mundum. 世界のために。
Benedictionem tuam guys. 君達に祝福を。
(……)
そんな俺の様子を見ていたのかレイが不思議そうに俺を見上げる。
「……どうしたの?」
聖唄の儀の邪魔にならないようにか聞こえるギリギリの声量だ。
「……あの歌詞は、なんなんだ?」
「……歌詞?レイナス卿の?」
頷いた俺にレイは囁く。
「聖唄の儀で唄われる唄の歌詞は行う人によって異なるの。その人を象徴するような歌詞だとも言われているし、導師がその時々で唄う歌詞を変えているとも言われているわ。どちらが真実は本人にしかわからないことだけれども」
「……そうか」
前者が真実だとすれば、俺はレイナス卿とは全く気が合わないだろう。
もっとも、そんなお偉いさんと話す機会などないだろうが。
唄い終わった後、レイナス卿は大聖堂を見渡すと特に何も発しないまま去っていった。
その時、一瞬、俺は以前感じたことのある視線を感じたのだった。
背筋が凍るような、冷え切った氷の視線を。
次回は8/2の21時投稿です。