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まったく、なんだっていうんだ。
人の事を名指しでよんでおいたくせに、目があった途端、しどろもどろになって、何も言わなくなるなんて。
私のことを一体なんだと思ってるんだ。
「で、なんの用ですか? 先生」
「いやー、そのー。ほら、お前3組の水島愛莉になんか最近ちょっかい出してるってきいてな。このご時世だろう? 先生としてはできれば、あまり大事になってほしくないわけでな」
「そうですか」
水島愛莉というやつの名前を最近よくきくようになった。
クラスの男子が可愛いやら、華奢なのに胸がでかいやらと騒ぎ立てていたのをきいたことがある。
加えて聞き捨てならないのは、どうやらその水島愛莉に対して私が嫌がらせをしているという噂が広がっているということだ。
言っておくが、私は水島愛莉というやつの顔を知らない。
どうすれば、嫌がらせができるというのだ。
「それをきくために、放課後に私を職員室によんだんですか?」
「そんなとこだな。で、どうなんだ? お前ら仲が悪いのか?」
「そうですね。良くはないです」
だって、知らないもの。知り合いじゃないもの。良くもないけど悪くもないもの。
でも、私はそれを先生には言わない。
水島愛莉というやつが、なぜ私に嫌がらせを受けているという根も葉もない噂をたてるか、私はその理由を知っているからだ。
「善処します。問題にはならないようにしますので、先生は心配なさらなくても大丈夫です。もし、水島さんがまた私に何かされたと言ったら、うちの親へ直接連絡しても構いませんし。双方の親を交えて話し合いをしても、問題ありません」
「そうならないように、先生は今こうやってお前に言ってるんだけどなあ」
「わかりました。では、もう水島さんとは極力接触しないようにします」
そもそも、接触もなにもないのだが。
私は職員室から廊下へ出ると、見知ったやつがそこにいた。
窓に背をあずけ、腕を組み、伏せた顔を斜めに上げ、チラとこちらを見る。
一連の所作に気品が漂っている。
私と同じ黒髪を有したこの男は、一ノ瀬正臣。
ルックスは学校一良いと言われている。たしかに顔はかっこいいだろう。
けれど、中身がよくなければ全てが台無しだ。
こいつのヤバい性癖は私しか知らない。それがやっかいなのだ。
「遅かったね。先生に何言われてたの?」
「君には関係ない」
「つれないなあ。教えてくれたっていいじゃん」
私は彼を一瞥することなく、下駄箱のあるほうへと足をむける。
「ねえ、なんでこっち見てくれないの?」
彼の前を通りすぎようとした時、手首を捕まれる。前につんのめる形になり、私は彼の方を睨んだ。
そして、しまったと思うのだ。
彼の恍惚とした表情を見て、顔の筋肉がひきつるのがわかる。
「いいねえ。いつ見てもいい。その目。たまらないよね」
「離せ、変態。こっちを見るな」
「そうやって、嫌そうな顔をして顔を背けるのも嫌いじゃないけど、やっぱり僕の顔を見て欲しいな。その刺すような視線で」
「私は視界にクズをいれる趣味はない」
初めて出会った時と、こいつは今も変わらない。
入学して間もない頃のことだ。
生徒手帳を落とした私にこいつは律儀にそれを拾い「落としましたよ」と笑顔で声をかけてきた。
私は落としたことに気づいていないから、何のことだと言わんばかりにそいつを睨んだわけで。
彼の手にある私の生徒手帳を見て、私ははっとした。
またやらかしたと思った。この顔で、一体私は何人を怖がらせればいいのか。
睨んでしまったことを、素直に詫びても、ほとんどの場合、二度と話しかけてこない。
過去に何度も犯している過ちを、私は入学早々してしまうとは、テンションだだ下がりである。
だが、彼は唯一私の顔を見ても怖じ気づかないやつだった。
それは、とてもいいことであって、悪いことでもあった。
「君、いい目してるね。最高」
あの日のことはよく覚えている。初めて私が他人から恐怖を与えられた日だったからだ。
誰かに恐怖を与えても、与えられることはなかった。
だからこそ、どうにかしてこいつの興味を他にそらす必要があった。
それが、彼女。水島愛莉だ。
「もしかして、最近僕に冷たいのは、あの子のせいかな? えーっと、名前なんていったっけ? しきりに、君との関係をきいてくるんだよね」
「関係もなにもない」
「どうして? 相思相愛じゃない?」
「相思相愛というのは、お互いを好いてるということだろう。私は君のことを好きだと思ったことは一度もない。それより、手を離してくれないか?」
「離したら逃げちゃうんだろ?」
放課後の職員室前にはありがたいことに今のところ、人気はない。
だが、いつ教師が来るか分からないし、それこそ生徒になんか見られたらどんな噂をたてられるか分からない。
窓から入ってくる西日がやけに眩しくて、目を細めれば、どんどんこいつの顔の笑みが深くなっているのに気づく。
いっそのこと、目を閉じてしまおうか。だが、それだと何も見えなくなる。
それはそれで嫌だ。
「とある女子生徒に嫌がらせをしてるっていう噂は僕の耳にもはいってきてるよ。どうして、違うと言わないの?」
「さあ、なんのこと?」
「しらを切るなんて綾子らしくないな」
「気安く名前を呼ぶな」
「ひどいなあ。じゃあ僕のことは正臣ってよんでくれていいよ? これでおあいこだろ?」
おあいこなもんか。
ああ言えば、こういう。こいつの言葉に勝てた試しがまだ一度もない。
成績は常にトップで生徒からだけでなく、教師からも一目をおかれているこいつに、強面だけが取り柄の私が勝てる訳がないのである。
人間の出来からして違うのだから。
だが、こいつは変態だ。
「私を構う暇があったら、その女子生徒とやらと一緒にいてあげたほうがずっといいのではないのかと。彼女はあなたのことが好きなんだよ」
「なに、やきもち? うれしいなあ」
さらに笑みを深くする彼に、私の心は恐怖で震え上がる。
「一緒に帰ろう? そうだなあ、そうしたら、この手を離してやってもいいよ」
私は逃げられないのか。
この変態から。
太陽が西の彼方に沈んでいくのを背に私は彼に腕を引かれ家路へと向かう。
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