9 幸せのチョコ
ある日突如として現れた「ソレ」は収まり悪そうに私の机の上に鎮座していた。
気温10度なぞ軽く下回っている室温のおかげで溶けることも無く、カクカクの角そのままに、ででーんと陣取るチ○ルチョコ。
「珠樹ってば一体さっきから何を見つめてんのさ」
「チ○ルチョコ。ミントチョコ味」
「いや、見れば分かるけどさあ」
この白いベースに四葉のクローバーが描かれたチョコを発見したのは、朝来た時である。ちょっとラッキーというか……一体なんでここにいるだ、チョコ君よ。食べちゃうぞ?
今月は2月14日ではない。むしろ11月であるからには、いくらなんでもバレンタインには早すぎるだろう。
最初は誰か他の人と席を間違えたのかな~って思ったんだけど、いくらなんでも机のど真ん中に置いてあるのに間違えただなんて間抜けな話、あるだろうか?
「誰がくれたんだろー?」
キョロキョロ辺りを見回すもそれらしげな人はいない。
「珠樹のこと憎からず思ってる男の子からのプレゼントとか?」
「ありえん」
自分でもどうしてこんなにはっきり否定できるのか悲しいが、近衛君とこの環お姉さまならともかく、私自身は平々凡々の容姿と中身であることは承知している。
……うむむ。考えてもわからぬ。
だったら、有難く貰っておくことにしよう。
まあ、弁償できないものでもなし、毒が入ってそうにも無いし、何よりチョコレート好きだし!
私は有難くミント味のチョコレートをいただいて、ほくほくしながら授業を受けたのだった。
冬に入って急に寒くなる。
ハウス栽培の蜜柑が市場に出回って、うちでもコタツの用意をした。庶民的ながらささやかな幸せを感じてしまうのは、私だけではあるまいと固く信じている。
だから図書館にも1個コタツなんぞ入れて欲しいな~なんて思うけれど、そんな願いがかなうはずも無く、がらんとした図書室には足元をあっためるだけのヒーターのみ。
――当然、客は来ない。
夏場の湿気は本に悪いということで、除湿機&クーラーが効いていただけに切ないですなぁ。なんて呟くと、近衛君は「そうか? 別にそんなに過ごしにくいとはおもわねぇよ」と、おおっぴらに椅子の上で昼寝しながらのたまわれた。
反り返った制服の下からちょっと厚めのシャツが見えていたので、
「いいなー。近衛君とか男子は学ランの下にいろいろ着れるもん」
ちょっとすねたように羨ましがってみたら、彼はガバっと起き上がるなり、ちょっと嬉しそうに微笑んだ。
「いいだろ?」
得意げに少しだけ裾を引っ張って見せる近衛君は、いつもの大人っぽい近衛君とは違って、なにか大好きなものを買ってもらった少年のようにキラキラしている。
ねえ、それは学ランの下に着込めるってことじゃなくて、さ。その洋服がお気に入りってこと?
「うん。おしゃれでいい感じ。男前!」
「だろ?」
彼がちょっとだけうつむき加減になるから、机と本棚の影でその表情を見ることは出来ない。けれど、なんとなく照れ笑いしているんだろうなぁってことは分かった。
「春日のおかげだぜ」
「?」
一体洋服と私に何の関係があるんだろう?
少し首を傾げてみて、「はよ吐け」と心持促してみるのだが、近衛将という男、一筋縄では行かないらしく、勝手に自己完結しているようだ。
外ではびゅうびゅう木枯らしが吹いているのに、この部屋のポッカポカ温度といったらもう!
「何のことかわかんないよ」
「んー、まあ……な。
まず、春日が正直者だから、
次に、俺もつられて正直になってみて、
最後に、誕生日にプレミアプレゼントが付いてやってきた、というか」
そんな無茶苦茶な3段論法わかるかーい!
心の中ですかさず突っ込みを入れるが、もう、なんだか、根負けしてどーでも良くなった。
――第一こんな上機嫌の近衛君を見る機会なんて滅多に無い。
決して彼は笑わないことは無い。ソレはそうなのだが、いつも斜めから少しシニカルな笑みを投げつけるのである。
だから、今ここで嬉しそうにしているのは何でか知らないけど本当に嬉しいのだろう。
「訳わかんないけど、そういうことにしとく」
訳わかんないけど、私のおかげで幸せだったというのなら……それでいい。
「また何か幸せになりたかったら、私に任せなさい」
ほんでもって感謝しなさい。
少し胸を張りもって宣言すると「よろしくな」と近衛君は笑いながら返事した。
いいなぁ。こういうの。
……そんなことを漠然と考える。
この人が笑ってくれると嬉しいし、この人が笑ってくれると幸せだし、この人が笑ってくれると――どうしようもなく踊りだしたくなるくらいウズウズするのだ。
近衛君の幸せのシグナルが伝わると私まで幸せになってしまう、嬉しくなってしまう。
きっと今の私は顔が緩んで緩んで仕方がないだろう。
だから、すっごくヘロヘロな顔を見られたくないから、照れ隠しのように、急に張り切って図書館の蔵書リスト作りに励み始めた。
ぐんぐんリストは出来上がっていく。今月の新書なんかもバッチリだ。
外ではびゅうびゅう木枯らしが吹いているというのに、私は寒さに縮こまることも無く、ひたすら、ひたすら。もうそれは「手伝おうか?」という近衛君に「今私はノリに乗ってるからダイジョウブイ!」などと意味不明な言葉を吐いて、2人分働いてしまったのであった。
きっとこのとき「組み立て体操をやれ」といわれても、やれたんじゃないかという変な自信がある。
もうすぐ雪が降る気配がする。
もうすぐ試験がある。
……吐く息が白くなってきた、寒くなるだろうな。
「それにしても近衛君の誕生日って11月だったんだ。てっきり夏生まれだと思ってた」
戸締りの準備をしながら、2階のカーテンを閉めに動いている近衛君に声をかけると、
「よく言われる」
と返ってきた。
足元のヒーターの電源をプチンと切ると急に寒気が下からじわじわやってくるようだったので
「早く降りてこないと閉めるぞー」
なんて意地悪なことを言いながら、せかしてみる。
けれど、近衛将という男には、そんな脅しは通用しない。
軽い身のこなしで悠々と降りてくるのがちょっと憎たらしい。
「あーもう、今日の近衛君は地に足がついてないよー」
ちょっとからかうと、奴は、「そういう春日も顔が笑ってる」とクスクス笑った。
――それは近衛君が笑っているからだってのに。
図書室の鍵を取り出してかがんだままロックしようと待ち構えている私の、そんな乙女心も知らず
「チョコ、美味かったか?」
と、彼は通り過ぎる間際、ささやいて去っていったのだった。
……。
犯人は貴様かー!
うわーん。食べちゃったよー。
白い四葉のクローパーのパッケージを思い出しながら実に残念に思いつつ、
でも。
それ以上に、
……嬉しかった。
近衛君が「幸せ」だってことを伝えたくなる友達が、私だったってことが、――すごく嬉しかった。