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6 A学園練習試合観戦チケット

 あれから1ヶ月。

 あの緊張の日の翌日も何事もなかったようにあいさつを交わし、普通に返事が返ってきて、普通に授業を受けて、普通に席替えがあって……普通に距離が離れた。

 それをちょうど良かったと胸をなでおろす自分と、このまま元に戻せなくなるんじゃないかと焦る自分がいる。なんとなく感じる淋しさは、ぺちゃんこになった風船のような喪失感からくるものだろうか。


 後ろの席をちゃっかり陣取った近衛君が、今、居眠りしているのか、サボっているのか……珍しく真面目に授業を聞いているのか、外を眺めているのか、そんなことすら分からない。






「元気ないよねー。最近」

 何故か嬉しそうにニヤけている友人に「そう?」と生返事して、私は机に突っ伏した。

 めっきり冬も近くなって、ひんやりする机が気持ち良い。寒いと脳の活動も鈍くなってくるのだよ。だから、だらだらしてしまうのも仕方がないのだよと言い訳すると、瑞穂から「冬眠前のクマみたい」という不本意なレッテルを貼られてしまった。


「私、変温動物だから」

「なに言ってるのよ」

 真面目な顔して言ってのけたら、紙の束で頬をひっぱたかれる。不条理!

「地味に痛いよ!」

「珠樹。これは夢へのチケットよ。おほほほほほ」


 ……どうやら友人は冬眠前どころの騒ぎではないらしい。

「頭は生きているか? はっ! 酸素足りてないんじゃ」

 確か脳はブドウ糖しか栄養分として受け付けなかったんだよな、と思い起こす。おもむろにポケットから飴玉を取り出して、飢えかけたクマに餌をやるように「ほいほい」とちらつかせると、彼女は素早い動作でそれを引っつかみ……かわりに私をひっぱたいた紙の束――もとい、チケットを1枚握らせた。


「いーものあげる」

「なに?」

「うふふ、心の潤いへの片道切符」

 ガリガリ飴玉をかじりながら邪悪な微笑を浮かべる友人に心の中で冷汗をかきつつ、手元にあるチケットを広げてみると、手書きで作られたであろう文字がドーンと目に入ってくる。


 A学園サッカー部練習試合観戦チケット


 うわー、なんだかいかにも『私追っかけです』と言わんばかりのチケットなんですが、それ以上に学生の練習試合にチケット制ってどうなのよ。なになに、『A学園サッカー部ファンクラブ 作成』? お金持ちの学校の生徒は、身の内で何を持て余しているのだろうか。


 私がパペット人形のようにパクパクと喘いでいるのに構わず、瑞穂は勝ち誇ったように拳を高らかと天へ突き出した。

「人生には潤いが必要! 潤い、それ即ち心の豊かさ! おりしも私達は青春真っ只中な訳なのだよ。珠樹君。ここはパーっと新しい出会いでも求めようではないか」

「それでA学園の試合のチケット(ファンクラブ作成)って、飛躍しすぎ」


 軽くチョップをかますと、急に彼女は真顔になった。

「だってさ、珠樹話し掛けても上の空だし……。それもこれもなんか『近衛君に気まずい冗談口にしちゃった』って、あんたが言った日から続いててさ、もう1ヶ月も立つのにため息ばかりでさ」

 心配しないでなんて言われたって、そんなの出来る訳無いじゃない。


 しゅーんと悲しそうにうつむく友人に、正直ビックリしてしまった。

「それで気分転換に誘ってくれたんだ?」

 そこまで思っていてくれたなんて。

 心配かけてしまっていた自分がすこし情けなくもあるけれど、どこからか涙が込み上げてきて、ジーンと感激してしまう。あたしゃいい友達を持ったもんだよ(ちょっと変わってるけど)。


 ぎゅむっとチケットを握る手に力をこめると、友人は顔をあげてにこりと笑った。

「練習試合見に行こうね」

「うん!」

 A学園だろうがどこだろうが行くよ!


「そーこなくっちゃ! 実はね、前調べしてあるのよ!」

「……へ?」

 神妙だった雰囲気が突然珍妙になったかと思うと、ばっと目の前にピンク色のノートが現れる。なになに、A学園イケメンチェックノート? なにこれ、もしもし? 瑞穂さん?


「メンバーがさ、アイドル並にすごい顔の良い人ばっかりなんだって。これはもう観に行くっきゃないって奴だよね!」

 観戦というより観賞ですかい。

 でも、まあいっか。たまには2人で出かけるというのも。

 目の前のチケットを見て、すこしだけ笑うことが出来た。


 ――久しぶりに笑うことが出来た。


 あまり気安くはなすことが出来ない人……それも少し緊張してしまうタイプの人に失言してしまうと、後で謝るのもなんだか口にしにくくて、ずーっと自己嫌悪が後をひいてしまうんだよね。それが好きな人だったら尚更で、あー、なんてじめじめした後ろ向きな感情なんだろうと、分かっているのに、ふとした瞬間に思い出してしまう。


「A学園サッカー部か。へえ、今度練習試合すんだな」

 そう、この声。

 この1ヶ月聞きたいなーと思ってもなかなかこちらから話し掛けられなくて、向こうも避けてて聞けなかった………………って

「近衛君!?」


「ん? 俺は近衛以外のものになった覚えはねぇけど?」

 ちょっとまって、その普通の反応は何?

「近衛君もA学園に興味があるの?」

 瑞穂、少女漫画も裸足で逃げ出すほど目が煌いてる!

 近衛君はダメだってばー。だめだよう。


「まあ、あるっちゃああるけどよ。姉貴が世話してるし」

「そういえばマネージャーさんだったよね。極上の美人さんって噂、聞いてるよ」

 今にも涎を垂らしそうな友人を「やべえ」と直感した私はグイグイ押し出すのだが、華奢な体をしているくせにまったく動かない。瑞穂は格好良い男子と綺麗な女子に目がないのだ。なんでそんなに中身が親父なのだ! 自分だって美人さんなのに。


「練習試合か。面白そうだな」

 それに気がついているのかどうかわからないが、近衛君は『その日なら空いてるし、俺も行こうかな』と一人ごちている。

 ああ、余談だけど、あごに手を当てている姿もなんだか男前だよ。

 ぼーっと見ていると、瑞穂が仕方なさそうに私の髪の毛を引っ張った。


「珠樹、一生私に感謝しなさいよ」

 ぼそっと耳元で囁かれた言葉。

「なにが?」と問い掛けるより先に彼女は恐ろしい爆弾を1発投げ込んだ。


「近衛君、この観戦チケットあげるからさ、良かったら珠樹をA学園まで連れて行ってあげてよ。この子、方向音痴でさー」

「え、私ひ……」

 1人でいけるし。そう言いかけて私は口をつぐんだ。

 もしかしてこの状況って。さっきの彼女の言葉って……。

 急速に頭の中を逡巡する甘い単語に、心なしか頬も熱くなる気がする。答えをドキドキして待っている私は、なんだかどこかの少女漫画にでも入り込んだようだった。


「別にいいぜ」

 春日がいいなら……な。

 そう答えた近衛君は、やっぱりいつもの自然体の近衛君で、少し釣り上げた唇はやっぱりいつもの不遜な態度で、

「わ、私はいいけどっ」

 うわずったようにひきつた笑顔を浮かべている私はやっぱりいつものやり込められている私で。


 以前のように普通に話をすることが出来たことに嬉しくて、なんだか幸せで、近衛君が「じゃあ土曜な」と手をひらっと振って去った後も上の空だった。

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