2 不安しかない図書委員
カツカツカッ。
小気味良い音を立てながら、担任の先生が『体育委員、保健委員、美化委員……』と各委員の名前を書き連ねていく。
「やりたい委員があれば手を上げて立候補しろよー。俺的お勧めは体育委員だぞー」
それ、一番外れだよ!
私は心の中で突っ込んだ。授業の事前準備について毎回体育教官室に聞きに行くという非常に面倒な仕事が待っている。体育祭前などは地獄だ。
案の定、誰も立候補しなかったものだから、担任の先生は笑顔でサッカー部の男子を指名し、強制的に体育委員に仕立て上げてしまった。
「ひでーよ!」
「お前ならできる! やれる! 顧問の俺の顔を立ててくれよ」
お願いというよりは、笑顔の強制だったと思う。これってパワハラですかね……。
何故か今年は家庭クラブ委員など意味不明な委員会も増えたため、クラスの大半が何らかの委員会に所属しないといけない。先生から変な委員を押し付けられるくらいなら、ここはあえてハズレくじを掴む危険を冒すより、ましな委員で自爆する方が良いだろう。
「次、選挙管理委員~」
「はいっ!」「はいいいっ!!」「やります!」
「お! やる気が出てきたな」
良いことだと嬉しそうにしている先生には悪いけれど、年1回の生徒会選挙しか出番がない選挙管理委員は、なかなかの当たり職なのだよ。
同様に美化委員、保健委員と、あまり大変ではない委員に立候補の手が集中する。次々と決まっていく中、私はそのどれにも手を上げることなく意中の委員を待ち続けた。あれこれ手を上げなかったのは「私は最初からこれを狙ってました」アピールのため。数打ちゃ当たるなどという態度では本命を逃しかねないのだよ、ワトソン君。
「図書委員ー、だれか立候補はいるかー?」
これだよ、これっ! 定員2名。しかも閑職(重要)
「はい!」
私は水面から白鳥が現れるかのごとく、すっと手を上げた。
元々本は好きだし、図書室は静かだからのんびり出来て良さそうだと思ったのだ。
教室を見渡すと、あたりは静まり返っている。
あれ?
何故だか、他に立候補者はいないらしい。
え? 何? 何? 決まり? ねえ、決まりなの? フライングじゃないよね?
毎年密かな争奪戦が繰り広げられていただけに若干挙動がおかしくなったが、どうやら大丈夫だったらしい。
「それじゃあ、図書委員は春日さんと……」
カリカリと先生が黒板に白いチョークで私の名前を書くのを見て安堵する。
……のだが、そんな心の平穏は1秒で破られた。
次の名前を聞いたせいで。
「コノエ君、の2人でよろしくな」
ぱちぱちぱちと他人行儀に聞こえる拍手の音がやけに寒々しく響いた。
マジ?
真っ青になったまま、ぐるんと顔だけ器用に横向けると、視界の死角にいた隣人は「ふわ~」っと大きなあくびを一つして、そのまま突っ伏して寝てしまった。
どうりで他に立候補者がいないわけだ。連携取れる気が微塵もしない!
かといって、今更やめるだなんて言い出せるわけもない。
しかし……この人と?
しかも図書委員?
む、無理だ。野生の狼に曲芸を仕込むのと同じくらい無理だ。できるわけない。そもそも積極的にかかわると碌なことにならない気がする。
あーあ、桜は綺麗に咲いているのに、なんでしょっぱなからこんな不安を抱えなければならんのだよ。
半笑いのまま私は手元のノートに「図書委員」と震える指で書き記す。
少し暖かくなってきた外から、ふわりと生暖かい風が首筋を撫でていった……。
新入図書委員のためのレクレーションによると、仕事は以下の3つになるらしい。
1.本の貸し出しと返却受付(当番制)
2.本の整理整頓を含む図書室の管理
3.図書ニュースの作成
受付業務は月1~2回、2名1組で行う。司書の先生が常駐してくれているので、本の整理整頓は空いてるときにすればいい。図書ニュースは現在2ヶ月に1回、新刊案内やリクエストの状況などをまとめて発行している。
いい仕事だ。他の委員に比べて委員会で呼び出される回数は少ないし、緊急対応に迫られることもないし、のんびりしている。本当に……相方が彼じゃなけりゃあ、こんなに緊張しないのにな。
いや、うん。本人が悪いわけじゃないんだよ。勝手に私がおびえているだけなんだから。
でも、まるで剣でも握ってたんですか? と言わんばかりの厚い手や、がっしりした肩幅、たまに抑えきれずにこぼれてくる殺気が怖くて怖くて仕方ないのだ。この前、地下にある持ち出し禁止書庫から出てきた彼は、何か殺ったような目をしていた。左手にモンスターの生首が握られていなかったのが不思議なほどである。
隣に新しい校舎ができたおかげで少し日陰になった図書室に、管弦楽部の新入生の吹くラッパの音が風に乗って運ばれてきた。
私はクラスメイトの分の貸し出しカードを作っている。
小さな厚紙に1枚1枚、まだ顔と名前の一致していない名前を書き綴った。後ろの名前から作成しているのは、最後に積み上げたときに50音順にするためである。こういう小細工は得意だよ!
――近衛 将
ああ、コノエ君のフルネームはこう書くのか。2文字目が難しそうな字だったので、なんとなくカタカナに変換していた自分に苦笑する。いや、カタカナ似合うんだもんなー。レンジャー・コノエ。バンダナとか巻いちゃってさ、レザー装備で弓と長剣持ってるの。
……やばい、似合いすぎてて困る! もうレンジャーにしか見えない。
ぐっと唇をかみ締めて、近衛君のカードを作成済みの山の上に乗せる。気づかれない程度にもう一人の図書委員(兼レンジャー(仮))をそうっと盗み見ると、彼は開けっ放しにされた窓に腰掛けて、1冊の本を片手に持ちながら……ぼっーとしていた。
何を考えているんだろう?
なんだか良く分からないけれど、少し寂しそうな横顔にドキドキしてしまった。仲間との離別でもあったんですかねー……って、いやいや、レンジャー設定から離れよう!
ああもう、どうして怖いと思っているはずなのに、目を離すことができないのだろう。この人に近づいてはいけないと何度も自分に言い聞かせるのに、なぜか目で追ってしまう。有り余る存在感のせいなのかな。
ううう、いかんいかん。何せ私は2馬力で頑張らねばならぬ身だ。貸し出しカードの作成しろ、私。
カリカリと鉛筆の音が響く度に1枚1枚貸し出しカードが積み上げられていく。
その間も近衛君は手伝いもせず本の表紙を眺めていた。
窓から心地よい風が吹いてきて、カーテンが揺れる。ふわりふわりと近衛君の頬を撫でては戻っていった。
――春日 珠樹
ようやく自分の名前までやってくる。あと少し。ファイト! ファイト!
心の中で自分にエールを送ると、不思議と静かな図書館内が少し明るくなったような気がする。
それにしても何で近衛君は図書委員になったんだろう。
本が好き? 閑職希望? それとも別の理由?
手を動かしながらも、想像は止まらない。色恋沙汰はあまり思いつかないんだよなー。なんてことを考えながら、着実に仕事をこなしていく。
夕方になるにつれて少し暗くなってきた。少しずつ風がひんやりしてくる。
私、何やってんだろうな。よーく考えたら、もう一人が働かないおかげで実は忙しい委員会に入っちゃったのかも。
おおおおおおおおおお、私のアホ~!
……クスッと笑い声が聞こえた。
その方向を見ると、近衛君が笑っていた。
「な……なに」
「あー、なんか春日が百面相してたから、つい」
顔をあげた近衛君の表情は、逆光になっていて……よく見えなかったけれど、思っていた以上に朗らかな声で笑うからビックリした。
「面白い顔で悪かったわね!」
この春日、自分のことを可愛いとか美人だなんて、間違っても勘違いしたことはないけれど、それでも変な顔と言われたら怒るくらいの乙女心は持ち合わせてる。
でも、私の抗議に対して奴は謝罪の言葉を述べるでもなく、
「悪くなんてないぜ?」
パタンと読みかけの本を閉じて、木製の窓枠からすっと離れると、パチンと明かりをつけた。
「ごくろーさん。目、悪くするから電気つけろよ」
ポンポンと、私の頭を軽く叩いていった近衛君の顔は――意外にも優しい笑顔。
日に焼けた顔にちょっと三白眼だけど、なんだかお兄ちゃんみたいな顔で笑うから……
「そんなこと言うくらいなら手伝ってよぉー」
って、言葉が出てきたのは、すっかり近衛君が図書室を出て行ってしまった後で。
おまけに仕事も全部終わってしまった頃だった。