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17 普通の女

「よく分かりませんが……確かに私は普通の女ですけど」

 顔を引きつらせて返事すると、相良君は肩を震わせ『ブッ』と噴出した。

「あはははははははははははっ! やっべ、おかしい」


 これはいくら私でも怒っていい権利を得たはずだ。本当のことであれ、一応はじめて言葉を交わすのにこれでは失礼にもほどがあるのではないか? 繊細なガラスのハートはズタボロ……とまでは言わないけれど、かすり傷の一つくらい付いているに違いない。

「用が済んだなら帰ってください!」

 むう、と唇を尖らせれば、彼はますます爆笑した。


 近衛君の静かに押し殺したように笑う笑いに慣れていた私は、鳩が豆鉄砲食らったような顔していたに違いない。

 でも……これだけ豪快に笑われてしまうと一緒に怒りも吹き飛んでしまった。

 意味不明だけど放っておこう。爆笑したいときもあるよね、人間だもの。チッ。

 ぐいっと本を右に寄せ、再度椅子に座りなおす。なるべく金髪頭のほうは見ないようにして、新しく入学してきた1年生の貸し出しカードを作ることにした。


 ――そういえば、近衛君との初めての図書委員のときも私は貸し出しカードを作っていたっけ。

 思えばあの時すでに私の恋は始まっていたのかもしれない、などという青い台詞を当てはめるつもりはないけれど、はじめて見た彼の笑顔は今でも心の中に突き刺さっている。

 泣きたいくらい鮮明に覚えているのだ。


 どうして幸せな思い出ってこんなに心に残っちゃうんだろう。これはもう、死ぬまで覚えてろってことなのかなぁ。時期を逃してしまった苦い経験とともに。

「何で涙目!? 俺そんなにひどいこと言った?」

 首を振る。

「違う。ちょっと幸せなこと思い出しただけ。相良君には関係ないですから」


 幸せだけど切ない。

 だからといって仕事中に泣いてちゃいけない。

 ポンポンと自分で心臓のあたりを叩く。ほら、だって、会えなくても生きてるし平気だ。


「ふぅん」

 そのままどこかへ行ってくれたらよいのに、相良君はなぜかカウンターをひょいと飛び越えて、私の隣の席に座った。そして、何か声をかけてくるわけでもなく、肘をついて前を向いたまま座っている。

「そこ、もう一人の図書委員の席なんだけど」

「どーせサボってんだろ? いないなら空席」

「何で分かるの!?」


「将が言ってたから」


 ――ナンデスト?


 一瞬、私の中の時が止まった。

「えええええ? どういうこと?」

「あ、泣き止んだ。んじゃなー、また会おうぜ!」

「いえ、会いに来なくてもいいです。本だけ返しに来てください! じゃなくて、なんで近衛君……」

 なんで近衛君がそんなこと知っているのだろう。彼はもう、図書委員じゃないのに。


 けれど、答えてくれるはずの相良君は身軽そうな体をひょいと折り曲げ、入ってきたときと同じくカウンターを飛び越えてしまった。

「ああ、そうだ」

 そのまま出口の扉に手をかけた彼は、器用に上半身だけ図書館に戻し、にやりと笑う。


「あのさ、男の俺から見ても将は格好良い奴だと思うぜ! だから、春日さんも将のことも名前で呼んであげなよ」

 何がどうなって『だから』なのか分からん!

 しかし、今度こそ扉をくぐった相良君は、ひゃっひゃっひゃと謎の笑いを廊下に響かせ、フェードアウトしていったのだった。


 私はただ、呆然と立ち尽くすばかり。彼の意味不明な解釈も言動も、解析する気はなかったけれど、一つだけ分かったことがある。

 たとえクラスが変わっても、離れても、会えなくても……私と近衛君の縁は切れていなかったのだ。




 桜はすっかり葉桜になり、毛虫が落ち始める季節になった。ここは爽やかな風が吹いて……というイントロを入れるべきなのだろうけれど、現在進行形で毛虫が私の鞄に付いて同行しようとしている以上見過ごせない。

「ひいいいい」

 ぶんっと鞄を振るがなかなか落ちない。どころか、隣を歩く瑞穂に「こっちに飛ばさないで!」と怒られてしまった。だが掴んで捨てるなどという勇気はない。チキンハートの持ち主なんだよ。


 そっと桜の幹に擦り付けるようにして、移動を促す。ほうら、君たちの餌もある桜の木ですよー、私の鞄は美味しくありませんよー。

 そんな真剣な私を尻目に、飽きたらしい親友は図書館便りを広げた。

「前回紹介してくれた本面白かったよー。病弱な若旦那とあやかし達の江戸物語。珠樹の推薦する本って、事件も起こるけれど根底には人間に対する愛情があふれてて、幸せになるから好き」

「ありがとう! 嬉しいけれど、今はそんな場面じゃないから。ほらっ、寄り道せずに樹へお帰りっ」


 2ヶ月に1回の図書館便りは好評を得て、月1回の刊行となった。すっかり図書委員が板についてしまった私は、その図書館便りの責任者をさせてもらっている。細々と良作を紹介できたらいいなぁと思っていたのだけれど、同じ作品が好きな同級生や図書委員の後輩と読書について語り合っていたら、友達が増えて月1回じゃ足りないくらいだ。

 読書の輪、恐るべし。

 ちなみに、本好き上級者たちへ近衛君が読んでいた本をお薦めするとかなり反応が良い。彼の選ぶ本は趣味が良かったのだなぁとしみじみ感じているところだ。


「よし、成功したぞー!」

「はいはい、おめでとー」

 無事に毛虫を返した私は、そそくさと桜から離れた。桜の花は綺麗だから好きなんだけどねー。なんて黄昏ていたら、校門で新しく出来た友達が手を振っていた。

「おはよー」

「おはよう!」


 クラスが変わり、近衛君だけでなく瑞穂とも別のクラスになってしまった私だったが、何とか新しい環境にも馴染むことができた。

 最初のころは淋しくて無気力に陥っていたのだけれど、話し掛けてくれる人がいないならこちらから話し掛ければいい、いつまで近衛君に甘えているつもりだ! かっちょ悪い女め! と自分に喝を入れたら、気の合う友達が見つかったのだ。良かった、良かった。



 そんな風に平穏無事な通常生活に慣れたころ、キラキラした相良君が本を返却しにやってきた。

 今日もすばらしい脱色具合ですね。将来禿げますよ?

 なんて口に出すことなく、6冊の本を受け取る。真面目に全部読んだのか、本についている紐(スピンまたは栞紐というらしい)の位置が全部一番後ろに揃えられていた。


「……ん? 6冊?」

 貸し出した覚えのない本を手に取れば、金髪の彼はニヤニヤしながら口を開く。

「それ、将の本。春日さんさ、将に1冊貸したまま返却してもらってないんだろ? それじゃあフェアじゃないから、俺があいつから借りた本を渡してやるよ」

 そういえば、クリスマスの日に買った本を近衛君に貸したまま、返してもらうのを忘れていた。春休みのドタバタで忘却の彼方に飛んでいたからなぁ。


「又貸しは近衛君の了解がなきゃ駄目だよ。それなら近衛君に『本は返却ボックスに入れてくれたらいいよ』って伝えてもらえると嬉しいのだけれど」

「それじゃあ面白くないじゃん。てか、借りたものは責任持って本人に返さなきゃ」

「又貸ししようとしていた当人がそれを言うか!」

 どう考えても前者の理由だろう。


「将には後付で了解とっておくからさ、その本、きっと春日さんも気に入ると思うし。じゃあなー」

「うわああああ、ほんと自由だな! 待って、ちょっと、ああああ」

 金色頭の不良は、チャラい挨拶を残して風のように去って行ってしまう。

 手元に残ったのは、白い表紙に白い帯が付いた本。ざらりとした感触に誘われるようにページを開けば、途中で何度も本文の紙やフォントが変わり、たくさんの幻想的な写真がちりばめられた本だった。


 ――雲を掴むような話

 そんなサブタイトルに惹かれた私は、相良君を追いかけることを早々に諦めることにする。せっかくだから読んでみたいという欲に負けたのだ。


 けれどその後、私はなかなか近衛君に直接会うことが出来ず、苦労することになる。

 休み時間に教室へ行っても、廊下を探しても、図書館を見渡しても、どこにも彼の姿はなかった。


 繋がったと思った糸は実はすっごくたるんでいて、本当に繋がっていたのか分からない。初めから切れていたのかもしれないし、別の糸ともつれ合っているのかもしれない。

 近衛君を好きだという気持ちに変わりはないけれど、会えない日々が続くと同時にそれは私の心にだんだんなじんできて、心を焦がすほど痛いものではなくなっていた。


 その頃にはもう、思い出せば幸せになれる……そんな宝箱のようなものに変化していたのかもしれない。

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