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13 羊臭いアンケート

 正美ちゃんが席を外すと、肉を食い散らかしたテーブルには私と近衛君の二人が残った。彼は相変わらず静かに本を読んでいる。私も本を買ったけれど、家に帰ってからゆっくりと読もうと思っていたので、なんとなく近衛君の読んでる本に視線を移す。


 おもしろいのかなー。

 短編集っぽいけど、どんなのかなー。

 この帯に書いているタイトル、読んでみたいなー。


 横から覗き見できる勇気なぞない。さすがにそこまでやってしまうと邪魔になるだけなので、帯を何度も読み返す。ちょっと店内が暗いので、外から見ると本を強烈な視線で睨んでいるように見えるかもしれないね。テーブルを挟んで向かいの距離って意外と遠いんだよ。


 ふと、帯を抑える指に視線が止まる。骨太で長い指なのに、キッチリ爪は切ってあって形が良い。触ったら硬そうだ。

 ページがめくられるたびに少し動く、その仕草がなんだか好きで、ぼーっとジンギスカンの焦げかすをプレートの端っこに集めながら眺めてみる。


「なあ」

 近衛君は本から目をそらさない。

「なに?」

 だから私も近衛君から目をそらさない。


 ゆっくりと本が動いた。きゅっと唇を斜め上に引き結んで、近衛君が私の目を見る。

 3秒くらいだっただろうか。

 しばらく無言で見つめる近衛君は一体何を考えているのか分からなくて、それがすごく色っぽい気がしてドキドキした。

 魅入られたように動けなかった。


「やっぱり面白い奴」

 ふっと、その表情をゆるめた瞬間、時間がゆっくり溶けていく。

「えっ?」

「ほら、この本貸してやるよ。読みたかったんだろ? 返すのは1月になってからで構わねぇから」

 そうやって、なんとも言うことの出来ない男前オーラを放ちながら本を差し出す彼は、いつもの近衛君だった。


「う、うん」

 まだ私はいつもの私に戻りきれなくて、凍りついた時間が解けるのも遅かった私は、まるで油の切れたロボットのようにギクシャクと席を立つ。

 万が一にでも鉄板の上に本を落としてしまってはいけないと思って、向かいの席に回り込もうとしたら

「ど、ども、ぎょむうおああああああああああっ!!!」

 なんとも間抜けなことに、後ろから通路を走ってきたオヤジに突き飛ばされ、本に手を伸ばした格好のまま、近衛君に激突してしまった。


 許さん! 通りすがりのオヤジめ、血祭りにあげてくれるわ! 一言ぐらい「ごめん」って言え!

 じゃなくって、うっぎゃー! うっぎゃー! 顔に体温が、鍛えられた筋肉が。ひいい!

「ど、どん臭くてごめん! 『このうすのろ亀!』って罵ってくれても良いよ。ていうか、私のこと避けるか、本で叩いてくれても良かったんだけど、クッションにしちゃってごめんね。って、先にどけよ私-っ!」

 自分に突っ込んだり心配したり本当に忙しい。顔も赤くなったり青くなったりしてさぞやひどいことになっているに違いない。


「春日、落ち着けって」

「ごめんなさいー」

 涙が出そうだった。

 これがその辺のおっさんだったりしたら、ギャー当たっちまったズェーとか青くなるわけだが、なんといっても好きな人だったりするわけだから、話は別である。


「落ち着けって」

 早くどかなきゃって思うのに、そういう時に限って上手く動かない。

「セクハラじゃないんだよ。びっくりしてどこに手をついたら良いのかわかんなくて、」

 だってテーブルにはお皿がたくさん載っててひっくり返しそうだし、椅子は近衛君が足を広げて座ってるものだから……。


「珠樹。大丈夫だから」

 ゆっくり二の腕を掴まれた。

 そのまま彼は起き上がって、私を立たせる。


「な。どこも怪我なんてしてねーし、お前ぐらいの体重で潰されてたまるかって」

 ちょっとくしゃっとなった本の帯を直しながら、それ以上にくしゃっとなった自分のシャツには構わずに……近衛君はもう一度、フリーズしたままの私に本を差し出した。


「ご、ごめん」

 震える手で本を受け取りながら謝ると、「足固まってたろ?」って近衛君は笑う。

 それがすごく大人の対応に思えて、子供っぽい私は海より深く落ち込んだ。

 こんな醜態を見せてしまうなんて、私の考えたストーリーには可能性の欠片もなかったよ。




 正美ちゃんが戻ってきて、私達は時間を潰すためにしばらく話をした後別れた。

 ジンギスカンのお金は、デザート代も含めて近衛君が全額払ってくれた。

「どうせ3人分あるんだしな。遠慮はいらねーぜ」

 潤沢な資金があるっていいな、と彼は笑う。


「春日さんは遠慮しなくて良いよー。それよりすごく服が焼肉臭いんだけど、ありえないわー。まじで」

「イエ。タイヘンオイシカッタデス」

 なにやら正美ちゃんがクレームをつけていたようなきもするけれど、はっきり言ってこの辺の出来事は、頭の中が真っ白のまま受け答えしていたので、覚えていない。

 歌で言うと、ハミングして誤魔化していたようなもんだ。


 そんな私の思考が正常に戻ったのは、家のお風呂に入って焼肉の匂いを落とした後でだった。

「ううっ。アクシデントだったとはいえ……」

 近衛君に抱きついてしまった。


 それを思い出して急に真っ赤になってしまう。

 結構しっかり筋肉のついた体だったなーとか、なんで覚えてるんだー! 堪能していたわけじゃないよ。本当だよ。痴女じゃないよ。本当にアクシデントだったんだから。


 ちくしょー。

 私ももうちょっとナイスバディーなら良かったんだけどなー。まだ発育途中なので出るところも出てなければ、引っ込むところも引っ込んでない寸胴体型……って、言ってて悲しくなってきたぞ。


 何でだろう。最近の私の人生、主役なんだけど台本は喜劇なんじゃないか? おお、ファルス。

 相手が他の人ならただの小さな出来事に過ぎないのに、近衛君が絡むと大イベントになってしまう。

 ドライヤーで、ぼえ~っと髪を乾かしながらちょっと熱風に吹かれてみる。

 このまま吹き飛ばされちゃいたいなぁなんて、取り止めの無いことを考えた。


 あれは本当に私の身に起きた出来事だったのだろうか。だってクリスマスにばったり出会って、そのままご飯食べに行くことになるなんて、昨日の私に告げたら「そりゃ夢だよ、あーた」と一刀両断するだろう。

 だからもう一度今日の出来事が現実だったということを確かめようとして、部屋の机の上に置いた近衛君の本を取り出した。


 ――「へー、面白そうじゃない。私にも貸してよ」

 そういえば、環お姉さまがそんなこと言ってたのにどうして私に貸してくれたんだろう。

 本の入ってた紙袋を丁寧にたたみながら私は首を傾げた。本を見ると、お店のアンケート用紙が1枚挟まっている。


 ――ちょうど私が気になっていた短編が始まる項だった。


「へ……へへへ。近衛君。ちょっとこのアンケート用紙ジンギスカン臭いってば」

 笑おうとするのに、なんでか涙が出てきた。

 嬉しくて。


「なんでかなー。なんでかなー。私の視線に気づいていたのかなぁ」

 鼻水でてきそう。




 悪態つきながらも、私はその本をぎゅっと抱きしめた。

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