11 脊髄反射のくるみ割り人形
ジングルベルの軽快なBGMが商店街に流れる。赤と緑のど派手な飾りつけとキラキラ光るイルミネーション。大通りに面した入り口には謎のアーチ。そこここにサンタのコスプレをしたお店の店員さんが呼び込みをしている。
さすがに外は暖房が効いてなくて少し肌寒いように思うのだけれど、リア充カップルから発せられる熱気で暑いわー。うらやましいわー。
クリスマスの賑わいで見失うかと思った近衛君ご一行は、案外すぐに見つかった。うん、同年代くらいの人の目線を辿れば造作もないことだった。いやぁ、本当に人目を集めるって大変だよね。彼らはもう慣れっこになってしまっているのかもしれないけれど。
いえね、別にストーカーってわけじゃないんだけど、たまたま帰り道と被ってしまったのですよ。彼らが歩いている横をそそくさと通り抜けるルートは若干気が引けます。ゆえにこそこそ後ろからついていっております。
本を片手に、もう片手をポケットに入れて歩く近衛君はどこか上機嫌のように見える。そんな彼の様子に環お姉さまは小首を傾げた。ふおおお、可愛い! 美しいのに可愛いです。
「やけに嬉しそうね」
「まあ」
そっけない返事。けれど、決して不機嫌じゃない声音が肯定を意味していた。
それは読みたかった本が見つかったからだろうか、それとも……あまり会うことの出来ない美しい姉と出かけていることに対してだろうか。
「本も見つかったし?」
ふわりと環お姉さまがいたずらっぽい微笑を浮かべると、視線を奪われた男子諸君が頬を染める。お前ら思春期の少女か!
「まあな。この著者の本は意外と取り扱ってるところが少なくて」
「そうなんだ。将が読むにしては薄い本だけど、面白いの?」
首をかしげるお姉さまも麗しいです。美しいです。ここからの角度じゃ近衛君の表情は見えないけれど、私は十分お腹いっぱいです。
「多分、気に入るだろうなと思う。このくらいの分量ならすぐに読めるし」
「ふうん。それは『自分』が? それとも『ほかの誰か』が?」
「さあな」
あー、喧騒で何をしゃべっているのか分かりませんが、なんか楽しそう。
「私も読んでみようかなぁ。お兄ちゃん、読み終わったら貸してよ」
「んー、先に貸すつもりの奴がいるからその後でな。ちなみにそいつ、読むのが遅い」
「えー、このくらいの本ならすぐでしょー?」
「気に入ったら何度も読み直すからなぁ」
「変な人」
「否定しないけど結構面白いぞ。見てると」
なにごとかを呟いて、彼は楽しそうにこちらをチラッと見やった。
あっぶね!!!
私はアジア雑貨の軒先に飾ってあったモアイ像みたいな木の置物の陰へと、瞬時に隠れる。同時にモアイ像の横で、全品10%引きという文字と象の絵が書かれた看板を持っていたサンタさんがビクリと跳ねた。
イヤイヤイヤ、ここアジア雑貨なのにいくらなんてもカルチャーミックスしすぎだよ! ……などという突っ込みはおくびも出さず、日本人のお家芸である半笑いを疲労しながら、怪しい人形を手に取る振りをしてやり過ごた。
もういっそ、ここで時間をつぶして、時間差で帰ったほうが良いような気がする。というか、中途半端についていったところで何が起こるわけでなし、むしろ邪魔でしかないよねーなんて悟ったときだった。
きゃあああっ! と黄色い声がいくつか響き、おもわずモアイ像から身を乗り出して伺ってしまう。芸能人がいたのかなーなんて思ってしまった野次馬根性は許してください。
「みかみん?」
麗しい環お姉さまの声が響く。モアイを盾にジリジリ角度を変えてみると、『あの超女ったらし(と言う噂)の魅上了先輩』が顔を引きつらせて固まっていた。
「えー……っと」
近衛君がワイルド系のイケメンだとすると、魅上先輩は妖しい魅力たっぷりのイケメンだ。危ないと分かっていても、明かりに近づく蛾のようにふらふらと吸い寄せられそう。やばい。
「なによ、みかみん。まさか誰か分からないなんて言わないでよね」
「そんな、格好、一体、ダレ」
ここからだと何を言っているのか全然聞こえないけれど、コートに身を包んだ魅上先輩まじ魔王。遊ばれてみたいと騒ぐ女子の気持ちがちょっと分かる……気がしないでもない……でもないよ、無理無理! 身を滅ぼす気か!
そのまま観察していると、妹さん(仮定)が間に割り入っていく。うおっ! タックルかました! 恐るべし小学生。さすがに女子小学生に色気は届かなかったか、いや、どっちかというと環お姉さまにすでに魅了されているから重ねがけできなかった系か!? 状態異常魔法ですね。分かります。
なんだか罵られているようだけれど、魅上先輩は怒るそぶりもなく、彼女に目線を合わせて根気強く何か話している。意外と紳士なのかなとほのぼのしていたら、近衛君が何事かつぶやき、それに打ちのめされたように魅了の主はがっくりと項垂れた。何言ったんだ……。
「はあ……」
そこまで観察したところで、なんだか所在なげな自分がひどく浮いている気がして、私はため息を一つ落として後ろを向いた。
何やってんだろう。
目を閉じて、1回深呼吸する。2回、3回。
気になるなら声をかければいいし、会いたくないなら他のところで時間を潰せばいい。あのキラキラした集団に割り入っていく勇気なんてないからといって、こそこそ跡をつけている自分がひどく滑稽に思えた。
……しばらくどこかで時間を潰そう。
そう決意して、もと来た道を引き返そうとしたのだけれど、あれ? さっき買った本が急にずっしりと重みを増したような気がする。むしろ肩に悪霊でもとりついているのではないかと思うような不自然な重さ。
そう、なんか体重かけられてるような。
「春日」
「ふえっ!?」
少し低めのバリトンボイスが降ってくる。
「尾行、もうちょっと練習した方がいいぞ」
背中を冷汗が伝った。耳に心地良い声なのに、今は素直に喜べない。そう、だってこの声はほかの誰でもないあの人の声だ。
ううう、目を開けるのが怖いです。
「ワタクシ、春日と申す輩ではござらぬゆえ……」
でも、怖いとか思いつつ急に体温が上がっていくような気がした。
――見つけてくれた。
くっくっくと、のどの奥のほうで押し殺したように笑う仕草。
お日様の匂い。
クリスマスでにぎわっているその喧騒が今はじめて自分の耳にBGMとして飛び込んできたようだった。
「あのな」
目を瞑ったままの私に声は続ける。
「その本を持って、しかも丸見えのくせに、こそこそ後ろをついてきて、挙動不審。そんな奴、お前しかいねーって」
大体、本屋で本を手に取ったとき、隙間から丸見えだったんだぞ。気が付いてなかったのか?
「な? 春日」
――気が付いてくれた。
挙動不審だとか、丸見えだったとか、尾行が下手だとか、どう考えてもシチュエーション的にはコメディなのに、どうしよう。私、頭がおかしいかもしれない。
――嬉しくて仕方ないのだ。
ゆっくり目を開けると、「お前って本当に変な奴」って、近衛君が笑っていた。
「どうしてここに……」
多分、私は今とても間抜けな顔をしていると思う。
「飯。ついてくるか?」
そんな私にかまわず、近衛君はニッと白い歯を見せて笑った。そんな笑い方をすると、大人びたこのクラスメイトは年相応のやんちゃ坊主に見える。
というか、飯!
飯ですよ! 貴方!
亭主関白かー!
心中では混乱のせいか意味不明なことを考えているくせに脊髄反射は素直なもので、私の顎はクルミも割れそうな勢いで反復頷きを繰り返していたのだった。
素直な反応というよりは、感情がそのまま顔や態度に出ちゃって本気でどうしようもないよ。もう!
風で店の観葉植物が揺れて、なんとなく植物にまで笑われているような気がした。