決戦前夜
ティーガ砦にエクアランの全軍が集結した。
後詰の部隊も国内からティーガに向けて進軍中である。
もっとも、後詰は国内の防衛兵を更に割いた文字通りの身を削る軍勢ではあったが。
二日前。
エクアラン軍は謀略によりティーガに篭る貴族軍を誘き寄せ、西方を狙うと見せかけつつ全力で取って返した本隊を伏兵として迎え撃った。
それにより援兵として参陣していた貴族軍はほぼ壊滅し、砦の防衛力は激減する。
その機を見計らい、明け方から包囲を敷き直したエクアランがついに攻城戦を開始した。
砦に残るウェインランド軍は、勇将バルバロス指揮の下に奮戦するも貴族軍の壊滅という士気の低下を取り戻すことは出来なかった。
徐々に砦の城壁に取り付かれ、三層構造になっている内壁の二層目までが食い破られバルバロスは撤退を決意する。
敵が死兵になることを恐れたルータスの進言により砦南側の包囲が解かれ、ウェインランド軍はその穴を抜け砦を放棄。
内部を制圧し、ティーガ砦にエクアランの旗印が翻った。
難攻不落、と謳われた要塞の陥落。
僅か二日間での出来事であった。
「浮かない顔をしているがどうした?お前の策のおかげで時間をかけずにティーガを落とせた。殿下も喜んでいたぞ」
「将軍」
不意にグランダーに声をかけられたルータスが慌てて敬礼する。
「予定通りにティーガを陥とし、後は王都に迫るだけだ。敵兵は我々の半分にも満たん。何か懸念事項でもあるのか」
「はっ、斥候からの報告が気になりまして」
「平民を徴募しているというアレか?なに気にすることは無い。この短期では烏合の衆にしかならん。逆に正規兵の混乱を招く原因になり兼ねんだろう」
グランダーの言う通りである。
練兵というのは長い時間をかけて行うものであり、一朝一夕で戦える兵士が育つわけがない。
「しかし平民とはいえ弓くらいは撃てるでしょう。王都に篭城され徹底抗戦を叫ばれると長期化して我が軍の被害も拡大します」
「その為の電撃戦ではないか。ここまでは上手く進んでいるのだ、後は詰めを誤らず締め付けていけば良い」
エクアラン軍が当初立てていた戦略はウェインランド内乱に伴う混乱の収拾がつかない内に侵攻し、ティーガ砦を陥落させ王都の喉下を制する。
その後、王都を包囲するなり周辺都市を制圧するなりし優位な条件で講和に持ち込む、というものであった。
ティーガ以北の地とメール川流域の北西地帯の割譲を目的とした侵攻作戦である。
今のところ予定していた日程には滞りが無く、翌日には砦を出立し四日後には王都へと到着する計算となる。
平民を徴収しているとはいえ、斥候と密偵の報告を総合すれば王都の正規兵の総数はおよそ二千五百。
王都に軍勢が迫っている、となれば周辺都市の防衛を割いて王都に兵力を集結させるであろうが、距離を考えれば間に合う兵数は精々二千程度。
四千五百の防衛兵では力押しで攻めても王都陥落の危険が高い数である。
もっとも、グランダーとルータスには本気で王都を落とすつもりはさらさら無いのであるが。
ルータスがふっと息を吐き出した。
「そうですね、講和の段階で欲を張らなければ上手く進むかと思います」
「殿下が我侭を申し上げられなければ良いのだが・・・」
「どうにもならない時はフォルシュア王国の動向をお伝えすれば宜しいかと」
「フォルシュアか」
グランダーが天を仰いだ。
ウェインランドの北西に位置し、東西に細長い国である。
エクアランとは婚姻関係を結んだ同盟国家でもある。
この両国は互いの国境を接してはいないが、互いにウェインランドの領土を狙っている間柄だった。
「遠交近攻も分かるが、我々が血を流して得る功績を横から掻っ攫われるのは癪に触る」
「今のところは北からの脅威で動かないでしょうが、被害も無く侵攻出来ると分かれば嬉々として軍勢を出すはずです」
「そうなればメール以西を制圧され、割譲を要求してくる」
「そうならない内に講和を纏めて停戦する必要があります。一旦停戦してしまえばフォルシュアが攻めかかろうが我々の知ったことではないですし、援軍要請程度は届くでしょうが、戦での傷を癒すと出兵は拒否出来ます」
グランダーが頷いた。
これらは侵攻前から念入りに打ち合わされていた事だが、いざ交渉の場になってから皇太子がどう出るかの予測がつかない。
むしろ、メール以西とリーブズラントまで寄越せと言い始めるのではないかという危惧すらあった。
「困ったものだ。いざとなれば陛下からの書状をお見せするが、使わないに越したことは無い」
「はい」
国王から皇太子宛の書状。
要するに、余計なことをするなという内容が書き連ねてある。
「帰路で八つ当たりされるのが目に見えてますからね・・・」
ルータスの表情は心底嫌そうであった。
「明日の朝には斥候が戻るはずだ。今日は早めに休んで鋭気を養え」
そう言いおきグランダーが立ち去る。
次の手を決めなくてはならない。
ティーガから続く二本の主要街道と、街道を外れた平原地に複数の斥候が出ていた。
その斥候の情報を纏め、王都への進軍か周辺都市の制圧かをまず決める。
明日は大一番だ、とルータスは気を引き締めなおす。
警戒を除き、思い思いに休息をとっている軍勢であるがその動員人数はエクアラン史上過去最大と言っていいかもしれない。
負けるつもりは毛頭無かったが、どこまで被害を減らして勝利出来るかが大きな鍵となる。
ルータスは自らの天幕へと戻りつつ、朝一番で行われるであろう軍議の流れを組み立てていた。
翌朝。
つい先日までバルバロスとテュレンスが居た会議室であったが、今は皇太子を始めとしたエクアランの諸将が集まった。
「斥候からの報告によりますと、ウェインランド軍は中央街道に兵力千五百程度で布陣。街道沿いに複数の罠を仕掛けているとのことです」
当初、ティーガからの侵攻作戦は三つのルートに分けられていた。
王都へと真っ直ぐに南下する中央路、通称ティーガ街道。
東へと迂回しイスタンラント等の諸都市を制圧した後に王都へと軍勢を向ける迂回路。
街道を外れ西に迂回し、平野部を通り王都へと攻め入る経路。
である。
このうち西方を回るメリットはほぼ皆無な為、実質二つの進軍路に絞られている。
「千五百とは微妙な数ですな。罠とはどういった内容だ?」
「落とし穴と丸太の振り子によるものが主かと。方陣を組みいくつかの柵が設置されているのも確認しております」
「堅陣か」
諸将の間に緊張感が走った。
「無駄に兵を失うのは宜しくありませんな、迂回路に目立った動きは無いか?」
「現在のところは兵の姿も罠も確認は出来ておりません」
「無防備か」
「であれば、迂回路を通りイスタンラントを制圧した後王都を攻めても宜しいのではないでしょうか?」
「制圧するのに無駄に時間を食ったらどうするのだ。奴ら、平民を徴収して兵にしているそうではないか。時間を与えればそれだけ有利になるのは奴らであるぞ」
「しかし周辺を征圧すれば講和が有利に進み、そこでの時間が短縮出来るのではありませんかな」
「一理あるが、王都からの援軍が出てくれば挟撃され不利になるのは我等だぞ」
「東から迂回し、都市を放置して王都へと軍を向けるという手も」
「それではただの時間の無駄ではないか」
「街道を外れて突っ切れば二日程度のロスで済む計算になります」
「では軍を二手に分けて同時侵攻すれば良いではないか」
「この期に及んで部隊を二分するのは・・・、各個撃破され兵力での優位を自ら捨てることにならないか」
「ならば中央突破し、陣ごと突き破ってしまえば宜しい」
「罠と堅陣が待ち構えているところを突破すると?兵の命を無駄に捨てることもないでしょう」
「ではどうするのだ!」
好き勝手に言い合い全く収拾がつかなくなってしまった。
グランダーは事の成り行きをじっと見守っており、動く様子はない。
見かねたルータスがたまらず声を発しようとすると、突如轟音が響いた。
ギョッとした諸将がそちらを見れば、皇太子が剣を抜き傍らにあった机を叩き割ったのだ。
「ああでもないこうでもないとやかましいぞ貴様ら。もっとマシな考えを出せる奴はいないのか!」
場が静まった。
恐れながら、とルータスが発言する。
「今朝方、東方の森林地帯より定期的に鳥の群れが飛び立っております」
それがなんだ?と首を傾げる諸将に向かい、更に続ける。
「恐らくは敵の伏兵の配置によるもの、更には東の迂回路は道幅が狭く左右を森に囲まれている場所すらあり。大軍を生かすには不利です」
「しかし軍師殿、そのような遠回りなルートを守る利点は奴らにあるのかな?」
「そう思わせるのが手です。堅陣と罠で躊躇わせ、本命の防衛線へと誘導しているのです」
「斥候の報告では人影も罠も全く見当たらないそうだが」
ここでルータスが軽く笑い声を挙げた。
笑われたと思った騎士がいきり立つが、グランダーに制される。
「本来は罠も伏兵も相手に気取られてはならないもの。ですが、中央の道の罠を発見させることによって、迂回路には罠が無いと錯覚させる手です」
なるほど、と言った空気が流れる。
「迂回路には簡単には発見出来ないような罠が隠されているはず、緒戦の勝利の隙に付け入る巧妙な誘導作戦です。ウェインランドも敗北するのを分かって手を
こまねいているわけがない。今となっては、勝利するには一撃必殺の大打撃を与え、我が軍を撤退させるのが一番の手。となれば潜んでいる伏兵も敵の精鋭でしょう」
それまで目していたグランダーが問う。
「あえて時間がかかる道に誘導する理由はなんだ?短期決戦が我々に都合が良いのは当然だが、長期化して困るのは奴らも同じだろう」
それはフォルシュア王国の存在。
領土割譲の問題が浮上するため、エクアランはフォルシュアが介入する前に講和に持ち込みたい。
しかし、攻められているウェインランドとしてはフォルシュアの介入は余計な打撃を受けるだけであり利点は一切無い。
「それも踏まえての敵方の策です。相手も馬鹿ではありません、我々の魂胆は既に見抜かれているでしょう。だからこそ、あえて時間のかかる方面に防御を集中させ誘導する」
「成程な、裏をかくというわけか・・・」
「はい、それに中央突破をはかったところで罠を抜くのにどうしても二日程度の余計な日数がかかります。それならば最初から城外で敵兵を減らすのが最終的には優位となります」
ふむ、と髭を撫でながらグランダーが頷く。
「では正面を通り敵の策を外した時、相手はどう動くかな?」
「迂回路に配置した伏兵を王都へと帰還させての篭城、もしくは迎撃。中央の兵は伏兵が帰還するまでの時間を稼いだ後に撤退」
「確かにそれ以外に手は無いだろうな」
「いかに堅陣と言えど歩兵が千五百程度です。我が方の騎兵で突撃を行えば壊滅させるのも容易いかと」
「早期に突破出来れば主力が王都に戻る前に囲める・・・そうすれば各個撃破出来るか」
そこまで言ったところで、皇太子の大音声があがった。
「ふはっはっはっは、見事だ!俺の言いたいことを全て語ってくれたようだな!!」
皇太子は上機嫌で続けた。
「お前のことは父上に報告しておこう。他に決めることはあるか?無いのならばさっさと進軍するぞ!エクアランの力を存分に見せ付けてやれ!!」
その後、全軍の布陣の細かい部分が詰められ、出撃の命が下る。
一日の休息を取り、士気も高く出撃準備を整えていたエクアラン軍が整然と進軍を開始する。
後詰として参戦した千の兵と負傷者を防衛として残し、本軍一万二千がウェインランド王都へとその矛先を向けた。
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戴冠式。
国民の前で宣言した、王都を一望出来るテラス。
そこに、セアは立っていた。
数日間の喧騒が去り、今は静寂に包まれている。
王都を守るべき兵はほぼ皆無。
エクアラン別働隊や他勢力の奇襲等、万一に備え住民を守るための僅かな兵力を残し、兵士は尽く出陣していた。
住民は自宅に篭り姿を見せない。
逃げ出した者も居るが、セアは好きにさせた。
つい先程最後の指示を出した。
出来ることは全てやったと思う。
後は、勝利を祈り全力を尽くすだけである。
「さて、そろそろ妾も出るぞ」
背後に立つ騎士に声をかけた。
クラウスの姿は見えない。
主力騎士団を率い、最前線へと赴いている。
「・・・陛下、やはり陛下が直々にご出陣なさることは・・・」
恐る恐る、と言った感じで騎士が言う。
恐縮してはいるが、セアの身を案じる気持ちが感じられた。
「騎士どころか民まで戦っておるのじゃぞ?元首たる妾が戦わずしてどうするか」
ころころと笑い声をあげた。
「それに、こう見えて妾は魔導士の端くれじゃ。城に置いておいてはもったいないではないか」
何度も繰り返されてきた問答であり、セアの意思が翻らないことは騎士も理解していた。
「そんなことより、ある意味では居残る方が重要じゃからの。機を見誤るでないぞ?」
「心得ております」
騎士は数少ない王都防衛兵を率いる立場にある。
居残りを命じられたとき、当然のことながら騎士は抗議した。
仲間が戦っているのに自分は何故残らねばならないのか?と。
「何を申す。勝利しても妾が戻る場所が無くなっていては全く意味があるまい?王都の命運は其方にかかっておるのじゃ」
古来より拠点の防衛というのはなんたらかんたら、と薀蓄を続けるセアを見、騎士の表情が和らいだ。
過去使えてきた王とは全く違う。
違うが、何故か安心出来、守りたくなる。
セアの講釈に一区切りついたのを見計らい、騎士が言う。
「畏まりました!陛下の御為、身命を賭して防衛に当たります!」
頼んだぞ、と微かに微笑んだセアの顔を、騎士は未だに覚えている。
「では行って参る」
言いながら慣れた様子で愛馬に跨る。
姫時代から乗馬には長けており、そこらの騎兵には負けない程度の乗馬術を得ている。
乗り始めた頃から共に駆ける愛馬には、青鹿毛の馬体から『藍』(あい)と名付けた。
聞きなれない言葉に臣下が所以を尋ねると。「遠く離れた異国の言葉よ」と笑いながらはぐらかされた。
女王に付き従うは二十騎の近衛騎士。
フルプレートを纏い、表情こそ見えないものの一様に緊張しているのが見て取れる。
そういえば、と居残る騎士がセアに声をかけた。
「クラウス殿より託を受けております」
クラウスが?と怪訝な表情でセアが振り返った。
「『姫様、その言葉遣い似合っておりません』とのことです」
・・・・・・。
「・・・・あんのバカタレがーーーーーーーーっ!何をいまさら!というか今言うことなのかそれーーーーーーーーーーーーっ!」
あのあほぅ、帰ってきたらとっちめてくれる・・・人が珍しくシリアスに決めていたというのに・・・とかぶつぶつ呟くセアを見、騎士達が思わず笑いを零す。
じろり、と言う擬音が相応しい勢いでセアが睨みつけた。
慌てて姿勢を正す騎士達。
「・・・まぁ元々こんなものであったし、似合わぬと言われれば似合わぬのかもしれんが・・・」
まぁ良い、とセアが表情を引き締めた。
騎士達の様子を見て、クラウスの意図は十分に伝わったと、セアは思った。
最後に、居残る騎士に顔を向けると。
「後は頼むぞ」
その言葉を最後に、馬に鞭を入れて駆け出す。
二十騎の近衛が、セアを守るように駆けながら布陣していくのがセアには非常に頼もしく見えた。
背後で喚声が上がった。
『ウェインランド王国に栄光あれ!女王陛下に、栄光あれ!』
城門をくぐり、王都を駆け抜け、王都の門を抜けた。
背後で門が閉まっていく音が聞こえる。
エクアラン軍は既にティーガ砦を出立し進軍を開始している、一両日中には戦端が切って落とされるだろう。
妨害結界の影響で各所の進行状況は確認出来ない。
後は、味方を信じ全力で事に当たるだけであった。