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「買い物ですか?」
香はハルオにありきたりの事を聞いておく。さっき本人もそう言っていたのに。
「ゆ、夕食の材料です。う、うちは住みこみの、く、組員もいますから、け、結構大所帯なんです」
「そうですか。大変ですね」
香が返事をしてしまうと、もう会話が続かない。仕方なく香は一番気にかかっている事をつい、聞いてしまう。
「稽古の方は、うまくいってるんですか?」
聞くんじゃなかった。はっきりそう思うほど、ハルオの表情が曇った。
「お、俺、度胸がないから」
「やっぱり向いてないんじゃないですか? 無理しないで、他の方法を考えた方がいいと思うけど」
「ほ、他の事だって、ど、度胸がなければ、に、逃げ腰になって、い、一緒です。こ、これだけは、がんばらないと」
真面目というか、馬鹿正直というか。どうしてもハルオといると落ち着かなくなる。早いところ退散するか。
「そうですか。じゃあ頑張ってくださいね。それじゃ」香は逃げるようにその場を立ち去った。
ハルオは香の前ではどうにも立つ瀬のない状況に陥るようなめぐりあわせになるらしく、へこむ一方だ。
一層落ち込んだ気分で組に戻ると、御子と良平が、待ちかまえていた。
「な、なんですか?」何かへまでもやっただろうか?
「ちょっと、食事の支度の前に、試したい事があるんだけど」御子が自信満々に言って来た。
良平と一緒に庭先に出される。短刀代わりの短い木刀と、御子の指先から抜いた小さな結婚指輪。それを良平の木刀の先に引っかける。
「いい? ハルオはこの指輪を良平から自分の木刀で取って、私に返して頂戴。で、良平は私の指輪をとられないようにするの。まあ、ゲームだと思って気楽にやってみて。ただし」
御子はここで思いっきり睨みをきかせると
「私の指輪を無くしたら、二人ともどうなるか、分かってるでしょうね」と、目の光が一瞬にして変わる。二人は息をのんで同時にうなずいた。
「そう。じゃ、始めて見て」御子はそういって面白そうに見学する。二人はやや緊張気味に対峙した。
これで、ハルオは良平の木刀から逃げ回る訳には行かなくなった。しかも打ち込みに行くのではなく、指輪をすくいとらなくてはならない。これは難しそうだ。
良平も良平で、これはなかなか難題だ。うかつに振り回せば指輪はどこに飛んで行くか分からない。しかし、うまくよけなければ、ハルオの反射神経の良さで、指輪を奪われてしまうだろう。
御子はにこにこ笑いながら二人を眺めている。
この笑顔が変わる瞬間がこわいんだよなー。
ハルオも良平も同じことを考えながら、御子のゲームとやらに挑んでみる事になってしまった。
指輪を気にかけてなかなか動けない良平に、まずはハルオから仕掛けて来た。相手をどうにかしようというならともかく、指輪を持ち主に返すという妙な大義名分に支えられて、ハルオはあまりためらわずに良平の木刀を狙う事が出来た。身を下げる良平に楽々追いつき、懐深くに入ってしまう。
良平も必死で指輪をとられまいと、ハルオの木刀を避けて回る。これでようやく、ハルオが良平を追いかける形になった。ハルオのすばしっこさがいかんなく発揮される。
良平も、本来なら身を守るはずの木刀を、指輪を守るために「かせ」の様にされてしまって、丸腰よりも辛い事になっている。
まったく、よく、こんな事を思いついたもんだ。そう、良平は心の中で愚痴っていた。本当に指輪を無くしでもしたら、御子はどれほど怒り狂うか見当もつかない。いやがうえにも真剣にならざる負えなかった。
しばらく木刀を狙ううちに、良平相手では通り一遍の動きでは、通用しない事にハルオも気がついてきた。
冷静に手を考え始める。実際に、敵となる相手から何かを奪うにはどうすればいいだろう?
結局のところ、良平の弱点と言えば義足の足元だ。特別な義足で弱点をむしろ武器にさえしている良平だが、隙があるとすれば、やはり、その頼りになる義足や、それを支えるための反対の足元だろう。動きが自在に利くといっても、バランスには無理があるはずだ。その負担を利用すれば。
ハルオは身体を上にのばして良平の注意を高い所に向けた。指輪の事があるので良平の視線は上に向く。その瞬間、ハルオは一気に身をかがめた。殆んど腹這いに近い。良平も足元に意識を切り替えようとはするが、ハルオの動きが早すぎて、無理なバランスをこらえている足元の動きは追いついていかない。
義足をはらわれそうになって、良平は利き足にバランスを集中する。つい、腕が不用意に下がる。
腕を上げようと考える間もなく、ハルオが義足をはらわずにそのまま突っ込んできた。
「良平! うしろ!」御子が叫ぶ。
ハルオは前から突っ込んでいるのに、「うしろ」とはどういうことだ? 良平が戸惑ううちにハルオはそのままスライディングでもするように、良平の足の間を潜り抜けた。後ろを振り返ろうとするとハルオはすでに身体を起こし、木刀が、指輪目がけてまっすぐにのびて来る。
後から思えば、素直にハルオに指輪をとらせておけばよかった。良平は条件反射で思いっきり木刀を振り下ろし、ハルオの木刀をたたき落とそうとした。当然指輪は地面に落ちていく。
それだけでもまずいと思ったのに、体制が崩れた良平はとっさに利き足を踏ん張ったのだが、足にはっきりとした違和感が。
「あー!」ハルオと御子が同時に声を上げた。
良平は、御子の指輪を思いっきり踏んでしまったのである。