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こてつ物語5  作者: 貫雪
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 こてつは、ソファーの上で気持ち良く昼寝をしていた。


 由美が会長と出かけるために昼ごろからかなり長めの散歩をして、さらに由美と一緒に公園を走りまわったので、すっかり満足して寝入っていたのである。


 出かける前に、タエと由美は万全の態勢を敷いていた。こてつに留守番をさせる下準備だ。


 こてつは、極端なほど、由美になついている。由美も我が子同然にこてつを扱うので、まるで一心同体のようになっている。それだけに、こてつは、由美と離れる時間を過ごすのがすこぶる苦手のようだ。


 そんなこてつを置いて由美が出かけるときは、とにかく気を使った。由美がいない事に不安を感じないようにと、あの手この手の策が練られる。


 まず、こてつが安心するように、いつも以上にスキンシップをとっておいた。しっかり身体も動かして、不満を残さないようにした。お気に入りのおもちゃは目に入りやすい所に置かれ、いつも由美が座っているソファーにいつもの毛布をかけて寝かしつけた。近くには由美の臭いが付いているであろう、タオルや小物も置いてある。


 日ごろ由美がお気に入りでよく聞いている音楽を静かに流し、人の気配を感じるように、タエはこまめにこてつの様子を覗いていた。そういった準備が功を奏したのか、こてつはしばらく、気持ちよさげにぐっすりと眠ってくれていた。


 日がやや傾いてきた。今日も会長は遅くなるのだろう。食事もタエが帰って、遅くにとるに違いない。 それまで奥様が空腹でいては忍びないので、タエは夕方に由美が軽く食べられるような食事を用意する。夕食の下ごしらえも同時に行うので、ついつい、台所につきっきりになってしまう。


 そんな時に限って、人の気配のなさに気付いたのか、こてつは目を覚ましたようだ。


 いつもの匂い。いつもの毛布のぬくもり。こてつはやや寝ぼけた足取りでソファーから降り、目についたおもちゃをかじる。しかし、いつもの優しい声がしない。庭を覗いてもひと気がない。物音のする台所へと向かう。


 タエは下ごしらえの真っ最中で、忙しく包丁を動かしている。こてつが覗いている事には気付かない。


 いつもならここで、こてつは不安のあまり鳴き出して、軽くパニックに陥り、タエは必死でなだめ、帰りついた由美に抱っこをしてもらって、ようやく機嫌が収まるのだが、何故か今日のこてつは、少し寝ぼけた顔のまま、庭を突っ切って生垣からするりと外に出てしまった。


 香は礼似の部屋への帰り道で、やたらと悲しげに鳴く犬の声に気がついた。外に出たこてつはようやく自分が置いて行かれた事に気付いた。由美の姿を求めて必死に鳴く。


「どうしたの? お前迷子?」香はこてつに向かってかがみこみ、頭をなでてやる。


 こてつはひたすら鳴き続ける。おかあさんはどこ? どこに行ったの?


「首輪もしてるし。この辺の子かなあ?」


 香はタッパーの中の、少し煮崩れてしまった煮物の欠片をこてつに差し出してみるが、こてつは食べようとはしない。ちがうよお。おやつじゃなくて、おかあさんだよお。おかあさん、どこにいるの? こてつは鳴き続ける。


「こまったな。お前のおうちはどこかしらね?」


 すると頭上からどもった言葉が聞こえた。


「あ、あれ? こ、こてつ?」


 香りが顔を上げると、そこに買い物袋を提げたハルオが立っていた。


「こんにちは。知ってるの? この犬」香がかがんだまま尋ねた。


「こ、こてつ会長の、か、飼い犬です。な、なんで外に出、出ているんだろう?」


 へえ。これが噂に聞く「こてつ」か。会長の奥様の溺愛する愛犬で、会長にとっても泣き所っていう。


「会長のお宅ってこの辺なの?」


「こ、この辺も何も。め、目の前の塀のむこう、です」


「え? これ全部、個人の敷地なの?」


 目の前には延々と続く古風な塀と、所々に垣根が連なっていた。垣根の向こうには立派なかわら屋根が見える。


「資料館か何かかと思った」

 香があまりの広さと、建物のつくりに、ややあきれ気味で見上げていると、こてつがまた、悲しげに鳴き始める。


「よし、よし。今おうちに連れていくからね。ここの入り口ってどこなの?」


「あ、案内しますよ。こ、こっちです」

 ハルオが玄関の方へ案内しようとするが、肝心のこてつが動かない。


 ちがうよお。おうちに、おかあさんは、いないよお。おかあさんに、あいたいんだよう。こてつは鳴くばかりだ。


 こてつはいたいけな子犬という訳ではないが、何せ会長の愛犬だ。強引な事や手荒い扱いは出来ないので、二人はこてつをなだめすかせながら、少しずつ玄関の方へ誘導していった。


 ようやく、もう少しで門にたどり着きそうだというところで、急に目の前に止まった車から、由美が慌てて飛び出してきた。こてつも目ざとく由美の姿をとらえると、全力で由美に飛びついて行く。まるで長い別れの後の抱擁だ。


 さっきまでの不満顔はどこへやら。こてつは由美にまとわりつきながら満面の笑みを振りまいていた。


 だいぶ経ってから由美はハルオに気がついた。ハルオと香は会長に頭を下げようとしていたが、由美の後ろで会長が、手で制し、指を口元に当てる。何も言わずにじっとしろということらしい。


 由美はハルオににこにこしながら挨拶する。


「まあ、ハルオさん。お久しぶりね」


「ご、御無沙汰、し、していました」


「かわいいお穣さんと一緒で、お買い物の帰りかしら?」

 由美はハルオの買い物袋を見ておっとりという。


「か、香さんは、ちょ、ちょっとした知り合いです。か、買い物帰りに、ぐ、偶然あったんです」


「あら、香さんっておっしゃるの? 初めまして。こてつと遊んでくれたのかしら?」


「え? まあ。こてつ君が鳴いていたので、声をかけて」


「まあ、こてつったらお迎えに来てくれたのね。いい子ね。お部屋で御褒美をあげましょうね」


 あれはお迎えという感じじゃなかったけど。そう思いながらも香もハルオも余計なことは言わずに、こてつと由美を見送った。会長も視線だけを二人に投げかけて、車でさっさと行ってしまった。何だかどっと疲れた気がする。


「会長の奥様って……なんて言うか……マイペースな方なのね……」

 マイペースという言葉が正しい表現かどうか自信は無かったが、そんな言葉がつい、香の口に登った。


「まあ、ふ、普通と違う、せ、世界を暮らしている、か、方かもしれない」

 そっちの台詞の方があっているような、いないような。


 そういえば、香には自分に近付かないでほしいといわれてたんだ。言い終えてからハルオは気がついたが、こてつと由美の世界にのまれて、正直、どっちでもいいような気になってしまった。ばったり会ったのだって偶然だったんだし。


 香の方も思い出しはしたが、今更蒸し返すのもうっとおしくて、とりあえず忘れている事にしておいた。



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