18
香は関口に追い立てられるようにして、車から降りた。目の前の建物は、去年まで営業していただけあって、外観はそれほど大きく変化したようには見えなかったが、正面の扉には鎖がかけられ、鍵がかけられている。
何より大きな建物に人の気配がないと、それだけでもいやな雰囲気が漂ってくる。まして郊外で、周りを囲んだ駐車スペースに車が止まっていなければ、その一帯ががらんとした空虚な虚無感に包まれてしまう。
関口はその正面の入口には目もくれずに、香を裏の従業員が使っていたであろう入口へと引っ張っていった。
扉を開くと一気に生活感にあふれた部屋が目に飛び込んできた。
おそらくは元は事務室だったのだろう。事務机が三つとそれぞれにイス。他にソファーが置かれていて、毛布やまくらと言った、人の寝起きしている様子がありありと見て取れる。机の上にも物を食べ散らかした跡が残り、関口は「根城」と呼んでいたが、香の印象は「ねぐら」と言った方が正しい気がした。
もう一人の男が、事務用の物ではない、パイプいすをもってくると、香を連れて行き「そこに座れ」と命令する。香はおとなしく従った。男は部屋を出ていき、香は関口と向き合っていた。
「ハルオを呼び出すつもり?」香は関口に聞いて見た。
「勿論そうだが、今じゃない。お前の仲間に来るなと言ったが、そう言われておとなしくしている連中じゃない事は俺だって分かっている。こっちだってあたま数をそろえる。まあ、それまではゆっくり待っているさ」
ゆっくり待つ。その言葉の意味はおそらく私が傷つき、弱るのを待つという事なんだろう。だってあの時こいつは私が生きたまま苦しむ方がハルオには効果的だと言った。私が明らかに弱った時を狙って、ハルオにその姿を見せるつもりに違いない。これからはここでのんびりまってくれる訳ではなさそうだ。
それならこっちも簡単にくじける訳にはいかない。弱った姿は見せられない。少なくとも気力がなえたところは見せられない。そうすれば一層弱らせるために、何をされるか分からない。気を張っていたって、何してくるか分かったもんじゃないけど、本当に弱り切ってしまったら、助かるチャンスもなくなってしまう。とっさに襟元につけたワイヤレスマイク。生きててくれればいいんだけど。
マイクの音声は一方通行だ。この会話が向こうに届いているかどうかは自分には分からない。それでも今はこのマイク越しの会話が、礼似さん達に届いている事を祈るしかないだろう。
「あんたは流れ者だと思ってたけど、そろえるようなあたま数がいたのね」
香は会話を続けようとする。 もし、マイクが生きていてくれれば、情報量は少しでも多い方がいいだろう。
「さっきっからおしゃべりな小娘だな。顔に傷を付けられたってのに、大したタマだ」
関口は香に顔の事を思い出させようとする。じっくりと顔色の変化を楽しんでいるようだ。
「私はね、他人さまから白い目で見られる事には慣れてるのよ。あんたみたいな男が父親だったもんでね。そんじょそこらの小娘と一緒にして、甘く見ないでほしいわね」
関口は意外そうな顔をした。ハルオの事は調べていても、自分の事までは調べた訳ではなさそうだ。これならかなりのハッタリも通用するかもしれない。
「ほう?お前は刀使いの娘ってわけか。どうりでやけに気が強い訳だ。だが、それなら俺のような男は人を斬り殺すのに、大したためらいもない事も知っているだろう? うかつな態度をとると、本当に命がなくなるぞ」