日本の水着の歴史
「今度は日本の場合です」
中野先生が黒板の中央に「日本の水泳史」と書く。プロジェクターの画像が切り替わり、古びた和書のページが映し出された。「これは『古事記』や『日本書紀』からの引用です。日本でも古代から泳ぎは行われていたことが記されています。テキストの25ページを見てください」
そこには漢字だらけの文字が並んでいた。
「於是 詔之、上瀬者瀬速、下瀬者瀬弱而、初於中瀬墮迦豆伎而滌時、所成坐神 名八十禍津日神」
何を書いているのかさっぱり分からん。
「これは、『ここに詔りたまはく、上つ瀬は瀬 速し。下つ瀬は瀬、弱し、とのりたまひて、初めて中つ瀬に堕ちかづきて滌ぎたまふ時、成り坐せる神の名は八十禍津日神』と読むの。イザナギノミコトが地下の国から戻って、黄泉の汚れを落とすために河に浸かる場面ね」
「……え? イザナギが泳いだんですか?」
思わず声に出た。
「泳いだというよりは身を清めた、という表現だけどね。とにかく水に浸かる文化は古代からあったということが分かるわね」
先生は続ける。
「次に進みましょう。中世になると水泳は武士の訓練の一環として重要視されるようになりました。馬に乗って渡河したり、川の中から奇襲攻撃を仕掛けたりするためです。有名な例では源義経が『鵯越えの逆落とし』で川を渡った話があります。この辺りの話はテキストの30ページね」
「へぇ……戦術としての水泳か」
新たな発見にワクワクしてきた。
「そして江戸時代には『古式泳法』と呼ばれる独自の泳ぎ方が確立されました。これは現代の水泳とは違って水面に顔をつけない泳ぎ方だったの。『犬かき』のようなフォームが主流だったみたい。これは現代にも残ってて、能登の『珠洲の犬かき』とか鹿児島の『奄美の犬かき』という形で伝承されてるわ」
(犬かき……? 小さい頃、スイミングスクールの合間でやってたなぁ)
懐かしい思い出が蘇る。
「一方で19世紀になると西洋式の水泳が導入されます。この写真を見て。明治初期の陸軍の訓練風景よ」
スクリーンには袴姿の男たちが川で泳いでいる写真が映った。
「この時期の水泳はまだ非効率的だったの。だって水に顔をつけないこと前提だったからね。でも徐々に西洋式の『潜水法』や『クロール』が普及していくのよ」
プロジェクターの画像が次々と変わる。明治の軍人の写真、大正の水泳大会の風景……どれも新鮮で興味深い。
「そして1920年のアントワープ五輪では日本人選手が初参加。ただ、この時の装備は……」
先生が画面を切り替えると、思わず息を飲んだ。そこに映っていたのは、現代の女子用ワンピース水着みたいなものを着た男性たちだった。
「……え、こんなの着て、泳いでいたの?」
芦川も目を丸くしている。
「そう。当時の日本代表選手はこういう『競泳着』を着てたのよ。男子が、現在の女子の水着みたいなものを着ていたの」
(いやいや待って……これかなりヤバい……)
男子が女子用水着着てるなんて想像するだけで背筋が寒くなる。
「そして次が……第二次世界大戦後の写真」
次の画像を見た瞬間、俺は固まった。今の設備とあまり変わらないようなプールのスタート地点に、なんと白いふんどしを締めた男たちが並んでいた。
「実は、先ほどお見せした『競泳着』の選手たちも、あの水着の下にふんどしをつけていたの。今のようなパンツスタイルの水着になるのは、1947年に規定が改正されてからなのよ」
「へぇぇ……」
(つまり戦前はふんどし+変な女子水着みたいなものを着てたのか……)
信じられない光景に言葉を失った。
「今の水着って本当に便利ですよね。シンプルで動きやすくて……」
芦川がしみじみと言う。
「そうね。それまでの時代背景を考えると感慨深いわよね」
先生は微笑む。
「さて、ここまで日本の水泳史をざっと追ってきたけど……」
先生はちらりと腕時計を見る。
「あら、もうこんな時間! 今日の1時間目はここまでにしましょう」
「え? もう終わり?」
正直言うと名残惜しい。
「次の授業ではもっと詳しく話しましょう。お二人とも質問があればいつでも受け付けます」
「ありがとうございました」
芦川が軽く礼をする。俺もつられて頭を下げた。
(水泳の歴史って思ってたより面白いな……)
俺は教科書を閉じながら思った。窓の外は相変わらず静かな春の陽射しが差し込んでいる。補習一日目。まだ始まったばかりなのに充実感があった。




