ガイダンス:素敵なジャージファッション
「それでは、今回の補習の流れについて、あらためて説明しますね。期間は4日間、毎日、午前中の3時間を使って実施していきます」
中野先生が黒板にカリカリと文字を書き始めた。俺と芦川は、隣り合った席に座って、その様子をじっと見つめている。
「二人とも、泳力自体には問題なく、水泳の授業に参加していなかっただけなので、今回は座学の学習をなるべく多く取り入れたカリキュラムにしよました。特に初日は、3時間ともこの教室での授業となります」
(おっ、座学か! ラッキー!)
俺は心の中で小さくガッツポーズをした。実際、泳ぐこと自体は苦手じゃないし、むしろ得意な方だ。だが、こういう補習となると、無理矢理泳がされるのではないかと思っていた。それが、初日は一日中教室で授業というのだから、これほどありがたいことはない。
「座学では、水泳の歴史やルール、社会的な意義のほか、また、泳ぐということについて科学的な側面などについて、幅広く学んでいきましょう。2日目は、最初の2時間は座学、3時間目にプールに行きましょう。3日目、4日目は、座学1時間、プールでの実習2時間という形で行きます」
先生は黒板に、日程ごとの授業内容を箇条書きに書いていく。
「わかりました」
芦川が真面目な顔で返事をする。
「はい」
俺も一応返事をしたが、それでも2日目以降のプールでの実習の方が気がかりだった。泳げるとはいえ、面倒なことには変わりない。どうせなら、ずっと座学で終わらせてくれればいいのに、と思ってしまう。
「実習といっても、何か課題をクリアしてもらおうとかそういうわけではありません。補習に参加した、ということが大事ですから、そんなに気負わなくていいですよ。生徒は芦川さんと佐藤君だけなので、お二人の希望に合わせて、適宜、対応していきますからね」
中野先生はそう言って、穏やかに笑った。
その笑顔を見ていると、なんだか安心する。この先生になら、うまくやっていけそうだ、と思えた。それに、この四日間の補習も、先生のおかげでなんだか楽しみになってきたような気がする。少なくとも、岩山先生の怒鳴り声を聞くよりはずっとマシだ。
何より、中野先生の服装がすごく素敵だ。体育教師にしてはおしゃれすぎるというか、知的で洗練されている。体育の先生だからといって、ガサツだとか汗臭そうとかいうイメージは全くない。紺色のジャージ上下も、先生のスタイルの良さを引き立てているし、その上に羽織った薄紫のブラウスが、まるでオフィスカジュアルのような清潔感を醸し出している。襟元からのぞくジャージの首元や袖口が見えているところが、なんかこう……機能美というか……。
そういう俺も学校指定の青色のジャージの上に学ランの上着を着ている。芦川も同じく学校指定の臙脂色のジャージ上下をセーラー服の下に着込んでいる。どちらもそれぞれ違った雰囲気で良いと思うが、中野先生のジャージ姿はそれとはまた違う特別なもののように感じる。
中野先生が説明を続ける。
「それから、この補習の時間に皆さんに着てもらっている、制服とジャージという服装についてですが……」
俺も芦川も、先生の言葉に、改めて自分の服装を見下ろす。
「これは、私が提案させてもらったものです。なぜこのような服装にしていただいたかというと、座学の時間は、皆さんには、授業の時間であると意識していただきたいと考えたからです。普段通りの制服に着替えるのは手間だし、かといってジャージだけでは、どうしても授業モードに切り替えられないのではないかと思ったのです。そこで、ジャージの上に制服を着るというスタイルを提案しました。制服を着ることで、学校での学びの時間を意識してもらい、ジャージを着ることで、運動に関わる時間だということも意識してもらえるのではないでしょうか」
「なるほど……」
先生の説明を聞いて、納得する。確かに、制服とジャージという組み合わせは、なんだか不思議な感覚がある。日常と非日常が入り混じったような、そんな感じだ。
「それに、この服装は、この後に行われる実技授業に向けて、準備としても機能します。ジャージを着ていれば、すぐに運動できるし、制服を脱げば、プールでも動きやすいでしょう」
「そういう意味もあったんですね」
芦川も納得したように小さく頷いた。彼女のロングボブが揺れ、セーラー服の襟からさらにジャージの赤い襟が見え隠れする。その色のコントラストが、なんだか目を引いた。
「はい。あと、まあ、私の個人的な好みもあるんですけどね。ジャージの上に制服というスタイルって、なんだか素敵だと思いませんか?」
先生はそう言うと、悪戯っぽく微笑んだ。その笑顔に、俺の心臓はまた一段と鼓動を早めた気がした。
「ええ。ジャージというのは、本来は機能性を重視したものですよね。でも、そのシンプルさが逆に洗練されて見える時があるのです。そこに制服という『形式』を加えることで、ちょっとした遊び心が生まれるような気がしませんか? 私個人としては、こういうスタイルで教壇に立つの、気に入っているんですよ」
先生はそう言うと、少し得意げに自分のジャージとブラウス姿を見せてくれた。確かに、先生の言う通り、この格好にはどこか特別な魅力があるような気がする。シンプルなのに、どこか惹きつけられる。制服とジャージ、二つの異なる要素が絶妙に融合している感じだ。
「はい。私も……なんだか、しっくりくる感じがします」
芦川が静かに同意した。その声はいつもよりずっと柔らかい。そして、ほんの少し俯きながら、自分のセーラー服の裾をそっと摘んだ。臙脂色のジャージのファスナーが、セーラー服の白い襟元からきっちりと首まで上がっているのが見える。まるで守られているみたいだな、と俺は思った。
「そうですね。ジャージは本来、機能性が第一ですからね。でも、その分、着る人に寄り添ってくれるような気がするんです。無理に飾らなくても、必要なものをきちんと包んでくれる。それがジャージの良さだと思います」
中野先生はうんうんと頷きながら続けた。
「制服というのは、ある種の規律や秩序の象徴です。一方でジャージは、機能性や実用性を追求したものです。この二つを組み合わせることで、『規律の中で自由を許容する』というメッセージが込められるんじゃないかしら。私は、そういったバランスが好きなんです」
「なるほど……」
芦川は先生の言葉を噛みしめるように頷いた。その目はいつになく輝いているように見えた。きっと、彼女自身もこの服装に、言葉にできない安心感を覚えているのだろう。
「ジャージは楽だけど、制服はきちんとしている。そのバランスがちょうど良いんですよ。それに、この『ジャージに制服』という姿は……なんだか私たちだけの秘密のルールみたいで、少しワクワクしませんか?」
先生の言葉に、僕と芦川は顔を見合わせた。そしてほぼ同時に吹き出した。確かに、この状況はちょっとした秘密基地のようで面白いかもしれない。
先生は僕たちの反応に満足したように頷くと、話を続けた。その口元にはまだ微かな笑みが残っていた。




