1時間目の後の休憩時間:自販機前のグラウンドで
休み時間になった。
「芦川、1階の自販機に何か飲み物、買いにいかないか」
「いいけど」
二人で教室を出て、自販機に向かう。二人並んで歩いている。廊下は静まり返っていて、俺たちの足音だけが響く。春休み中の学校というのは、平日とは違った空気感がある。どこか寂しげで、でも解放感もある。
「何飲む?」
俺が聞くと、芦川は肩をすくめた。
「んー、いつものカフェオレかな」
「じゃあ、俺もそれでいいや」
自販機から飲み物を取り出し、二人は校舎の入り口付近のベンチに腰掛けた。グラウンドを眺めながらカフェオレを一口。甘くて冷たい液体が喉を通っていくのが心地よい。春休みの午前中だというのに、俺たちは制服(というかジャージ+制服)を着て勉強している。なんか変な感じだ。
「やっぱりカフェオレっていいよな」
俺が何気なく言うと、芦川も同意した。
「うん。これがないと始まらないよね」
二人とも同じものを選ぶなんて、なんかシンクロしてるみたいで少し恥ずかしい。
芦川がカフェオレの缶を両手で包むように持ち、小さな口でゆっくりと飲む姿を盗み見る。セーラー服の襟から覗くジャージの襟元。彼女の細い首筋に沿って、臙脂色の布がぴったりとフィットしている。その上にかかる黒髪が揺れるたびに、ジャージの生地が見え隠れして、妙にドキッとする。
(あのファスナー……しっかり閉まってないと気になるタイプなのか?)
俺は思わず自分の学ランの下の青いジャージの首元を確かめる。うん、俺のは特に何も問題ない。芦川のような律儀さはないが、このざっくりした感じも嫌いじゃない。中野先生の場合は……あの首元からチラチラ見える紺色のジャージの襟は、先生の凛とした雰囲気によく似合っていた。
グラウンドでは、陸上部員たちがそれぞれ練習に励んでいる。昨日と同じような光景だ。臙脂色のジャージ姿の女子たちが、トラックを走ったり、ハードルを飛んだりしている。ジャージのファスナーは鎖骨のあたりで止めている人が多く、胸元が少し覗いている。それでも十分健康的でいいものだが、芦川の「ファスナー上げっぱなし」は、その対極にある清潔感を漂わせている。
(やっぱ、芦川のジャージ姿、独特なんだよな……)
そう思いながら、もう一口カフェオレを飲む。甘さが口の中に広がり、思考が少し和らぐ。
「…?」
俺はその中の一人の女子に目がいった。ほかの多数の女子と同じく、臙脂色のジャージだが、上着のファスナーを突然、下げ始めた。その上着のファスナーが、するりと下へ引かれた。練習による発汗で肌に張り付いていたのか、少し窮屈そうに見えた首周りが解放されていく。
ファスナーが完全に下まで降り切った瞬間、ジャージの前がぱっと開き、その下に隠されていた白い半袖の体操服が露わになった。汗ばんだ布地が彼女の体型にぴったりとフィットしており、うっすらと肌の色さえ感じられる。彼女はそのまま上着のファスナーを全開にした状態で立ち上がり、ポケットに手を入れて何かを探しながら少し歩き回った。その時だった。
俺の視線は一点に釘付けになった。
彼女が屈んで紐を直そうとした瞬間、ジャージパンツの腰回りから一瞬だけ何かが見えた。パンツにしてはあまりにもぴったりとし過ぎている。太腿の付け根に沿って滑らかにフィットしているその布地は……短パンではない。その形は明らかに短パンのものではない。それは……。
(まさか……ブルマー?)
一瞬で脳裏をよぎったその単語に、全身の血が急速に巡るのを感じた。ブルマー。中学の体育の時に女子が着ているのを見たことがある。昔の……かなり古い……デザインの運動着。ジャージの下に短パンではなくブルマーを穿いている。その事実が、何故か強く俺の五感を刺激する。白い体操服とブルマーのコンビネーション。しかもその上に臙脂色のジャージを着ているという三層構造。一瞬だけ見えたその組み合わせは、あまりにも意外で、あまりにも鮮烈だった。
心臓が急激に脈打ち始め、顔が火照ってくるのが分かる。視線を逸らせない。でも、もしバレたらどうしよう。焦りと興奮が混ざり合い、呼吸が浅くなる。
「ねぇ、佐藤」
不意に芦川の声が耳に入って我に返った。彼女は少し離れた位置から俺のことを呼んでいた。どうやら俺がずっと無言でグラウンドを見つめていたので不審に思ったらしい。
「どうしたの? さっきからじっと見て」
「あっ! いや……別に!」
慌てて否定する。声が少し裏返ったかもしれない。
「さ、さっきの陸上部の女子、ジャージの下には体操服着てたんだと思ってな」
咄嗟にそう言ったものの、声が少し上擦ってしまった。
「当たり前でしょ。たいていみんな、ジャージの下は体操服着ているんじゃない? あんただってそうでしょ」
芦川は呆れたように俺の学ランの下に着ているであろう青いジャージを見やる。そうだ、俺もこの学ランの上着とジャージのさらに下には、半袖体操服と短パンを履いているのだ。
俺の視線は陸上部員から芦川のジャージ姿へと戻る。セーラー服の襟元から覗く臙脂色のジャージの襟。そのファスナーはやはりピッチリと首元まで上がっていて、肌は全く見えない。陸上部の女子が躊躇なく晒していた白い体操服の胸元とは対照的だ。今はなんだか禁欲的にさえ見える。それが、かえって俺の想像力を刺激する。あのジャージの下には、何が隠されているのだろうか。
(半袖の体操服は確定として……ズボンの下は……?)
短パンか? それとも……。とにかくそれが、ジャージという上着によって視覚的に隔てられながらも、その存在を匂わせている。この絶妙な距離感。隠されているからこそ、余計に気になってしまう。そして、陸上部の女子がさらっとジャージを開いたときにわずかに見えた光景が、フラッシュバックする。あれは衝撃だった。普段は見せない部分が偶然にも露出する、あの背徳感。それがもし芦川だったら……。いやいや、何を考えているんだ俺は。
(ジャージって……なんて罪な服なんだろう……)
肌を覆い隠すことで安心感を与えながらも、その下には別の種類の「見せること」を前提とした衣類が控えている。その矛盾。隠すことと、解放すること。その両義性が、なぜこうも心をざわつかせるのか。ジャージというアイテムが持つ魔力に、俺はすっかり囚われてしまっている。そして、それを身にまとっている芦川もまた……。俺の視線は再び芦川の臙脂色のジャージに吸い寄せられる。ファスナーを一番上まで上げて、首元まできっちり覆っているその姿。それは彼女の性格を表しているようにも見えるし、あるいは何かを守ろうとしているようにも見える。
「佐藤、なんか変な顔してるよ」
芦川が怪訝そうに俺の顔を覗き込んできた。近い。そして、彼女のセーラー服の襟元から覗くジャージの襟が、またもや視界に入る。
「えっ? いや、別に……。ただ、みんな毎日、ジャージで頑張っているなあって」
とりあえずそう言っておいた。本当は君のジャージ姿と、その下の秘密について妄想を膨らませていました、なんて言えるわけがない。ましてや、陸上部員のブルマーショットを目撃した興奮がまだ冷めやらないとは。そんなことを知られたら、間違いなく軽蔑される。
「そりゃ、春休みでも部活はあるし、頑張らなきゃでしょ。私たちだって、この補習、頑張って終わらせないと」
芦川は当たり前のように言う。そうだった。俺たちは、この補習を無事に乗り越えなければならないのだ。しかし、頭の片隅では、あの一瞬の出来事がこびりついて離れない。グラウンドで見かけたジャージの隙間から覗いた景色。それが妙に生々しく、リアルに感じられた。
「ああ、そうだな。終わらせないとな」
俺はなんとか平静を装って応じる。が、その間も視線はチラチラと芦川の首元へと向かってしまう。そこに何があるのか、あるいは何が隠されているのか、それを暴きたいという衝動と、見てはいけないという理性がせめぎ合う。
(落ち着け、俺。芦川に気づかれたらアウトだぞ)
自分に言い聞かせながら、俺は残りのカフェオレを一気に飲み干した。その冷たさが、少しだけ熱を帯びた頭を冷やしてくれた気がした。
「次、2時間目だね」
芦川が腕時計を見て言った。
「ああ、あと少しで始まるな」
俺たちは立ち上がり、教室へと向かう。廊下を歩く芦川の後ろ姿。スカートから覗くジャージの裾。その奥に何があるのか、俺の意識は無意識に探ろうとしてしまう。
(ダメだダメだ、集中しろ、俺)
首を振って邪念を追い払おうとするが、一度火がついてしまった好奇心は簡単に消えてはくれない。
グラウンドでは、相変わらず陸上部員たちが練習を続けていた。ジャージのファスナーが開いている彼女は、もう見つからない。
俺たちの春の補習は、まだ始まったばかりだ。




