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窓辺の風景

窓の外では、春の陽光が眩しい。もう桜は散ってしまったけれど、新緑の匂いが漂ってくる。外で活動している生徒たちの声が、かすかに聞こえてくる。サッカー部の掛け声。吹奏楽部の練習の音。

一方、この教室は、外の喧騒とは隔絶された静寂に包まれている。二人だけの補習。二人だけの空間。二人だけの時間。

(なんか……不思議な感じだな)

芦川と一緒にいることに、以前ほどの緊張感はない。むしろ、この静かな時間が心地よかったりする。それは、芦川も同じなのかもしれない。彼女が纏う雰囲気は、春の日の教室にぴったりと馴染んでいる。

俺は、窓の外を眺めながら、ふと思った。

(この補習が終わったら、芦川とも会えなくなるのかな……)

考えてみれば、学校が始まれば、俺たちはそれぞれの生活に戻る。俺は俺の友達と過ごし、芦川は芦川の世界で生きていく。別に、それが悲しいというわけじゃない。ただ、この春休みの補習は、普段とは違う特別な時間なのだ、と強く認識させられた。それは、少し寂しいような、それでいて、とても貴重なような、複雑な感情だった。

春の陽気は穏やかで、窓ガラス越しにも温もりが伝わってくるようだった。俺は窓枠に寄りかかり、外の景色をぼんやりと眺め続けていた。グラウンドでは、陸上部の女子たちがトラックを駆け抜けている。白いシューズが土を蹴る乾いた音が遠く聞こえるようだ。

芝生のトラックを軽快に駆け抜ける者、ストップウォッチ片手にタイムを記録する者、ストレッチに余念がない者――十数人の少女たちが春の柔らかな光の中、忙しく動いている。

彼女たちはみんなジャージを着ている。大半は学校指定の臙脂色ジャージだが、中は市販のものを着用している。黒い無地のシンプルなやつ(おそらく某スポーツブランド)、水色のポロシャツ風に見える爽やかなデザイン(某有名メーカーの最新作か?)、あるいは花柄があしらわれた珍しいタイプ(完全にファッション優先だろう)……。

指定ジャージ組は一見するとどれも同じに見える。臙脂色の生地に、袖とパンツの両脇に入る白い二本ライン。芦川が今まさに着ているやつだ。でもよく見ると違いはある。例えばファスナーの上げ下げ。完全に首元まで上げている子もいれば、胸元で少し開けている子もいる。開け具合の違いが、襟元から覗く首筋や鎖骨の見え方を変えるのだ。そしてズボンの裾。長いジャージの裾をわざと折り返して細さを強調する子もいれば、逆に靴下をほとんど隠してしまうほどダボっと穿く子もいる。ちなみに陸上部の女子たちは、ほとんどが白いハイソックスを履いていた。それが臙脂色のジャージの下端からちらりと覗く瞬間が、妙に眩しい。走るたびに裾が揺れて見える白い部分。あれがいいんだよな……。

(やっぱり、ジャージって……素敵なんだよな)

そんなことを考えている自分に気づき、少し顔が熱くなる。またくだらないことを考えてしまった。隣に芦川がいるのに。

そっと視線を隣の席に向ける。芦川は依然としてノートに向かっている。黒色のセーラー服の上から臙脂色のジャージを着て。制服の下にジャージという組み合わせは、確かに奇妙だ。でも不思議と違和感はない。むしろ、この春の陽射しに照らされた教室の中で、彼女のその格好は妙にしっくりきている。

俺が着ているのは青いジャージだ。芦川と同じ「上着にジャージ」という姿なのに、俺のはなんだか野暮ったく感じる。芦川が着ている臙脂色の方が、色彩のせいか、ジャージ単体でも華やかに見えるのだ。学ランとセーラー服の違いか、着ている人間の違いか。

俺の思考は、目の前の芦川の姿に自然と引き寄せられていた。

彼女は今、黒いのセーラー服の上着を身につけている。その襟元からは、首元までしっかりとファスナーを上げた臙脂色のジャージの襟が僅かに覗いていた。さっきまで見ていた陸上部の女子たちは全員ジャージ一枚だったが、芦川はセーラー服の下にそれを着込んでいる。この奇妙な重ね着が、彼女を補習という特別な存在に見せていた。

もし芦川がそのセーラー服の上着を脱いだら?

きっと現れるのは、あの陸上部の女子たちと同じ臙脂色のジャージ姿だ。袖周りとパンツの両脇に白いラインの入った、あのユニフォーム。普段の彼女は天文部員で、星を見上げる静謐なイメージが強い。しかし、セーラー服の下には、まさしくスポーツに適した機能的なユニフォームが隠されている。それって……

(実は……スポーティなんだよな、芦川って)

ノートに向かう彼女の後ろ姿は、静かで落ち着いている。でも、その下には動きやすいジャージ。もし万が一、芦川が何か理由で急に走り出すことがあったら? あるいはプールに備えてジャージも脱いだら? そんな瞬間を想像するだけで、俺の心臓は少し速く打つ気がした。それはきっと、春の陽気のせいだけではないだろう。

「……なに?」

突然、芦川の声が俺の耳に届いた。彼女はノートから顔を上げ、澄んだ瞳でこちらを見つめている。どうやら俺の視線に気づいたらしい。しまった、また見すぎたかもしれない。

「えっ? あ、いや……」

動揺が隠せず、言葉が詰まる。どうしよう、変な誤魔化しは通用しない。芦川は鋭いから。

「なんだか、ずっと外ばかり見ていたみたいだけど。何か面白いものでもあるの?」

彼女は首をかしげる。その仕草が妙に可愛い。

「い、いや……ただ……」

俺は必死に言い訳を探す。「ただ」ってなんだよ。その先を続けられない。視界の隅では、陸上部の女子たちが汗を拭いながら水飲み場へ向かっている。ジャージの袖をたくし上げて腕を露出させている子もいれば、そのままの子もいる。その光景自体は悪くない。

「あー……陸上部が頑張ってるなぁって思ってさ。みんなジャージだし……」

苦し紛れにそう言ってグラウンドを指差す。芦川の視線がそちらに移った。

「そうね。もうすぐ大会だって言ってたっけ」

彼女はあっさりと納得したように頷いた。俺の不自然な挙動を特に気にしていないようだ。良かった。危うく墓穴を掘るところだった。

でも……俺の本当の関心はグラウンドの彼女たちじゃない。今まさに隣にいる芦川の、「セーラー服の下のジャージ」にあるのだ。その秘密めいた層構造に、なんだか惹かれてしまう。まるで、堅牢な鎧(セーラー服)の下に、しなやかな戦闘服ジャージが隠されているみたいな……。

(いやいや、何考えてんだ、俺は)

頭を振って邪念を払う。でも、一度芽生えたそのイメージは簡単には消えない。今日の補習中も、何度となく俺を悩ませることになりそうだ。そんなことを思いつつ、俺は再び窓の外に視線を逃した。

陸上部の女子たちは、既に次のメニューを始めているようだった。それぞれの動きに合わせて、臙脂色のジャージが太陽の下で鮮やかに踊っていた。

「ねぇ」

芦川が立ち上がって俺のほうに近づいてきた。さっきよりも、ほんの少しだけ楽しそうな響きが混じっているように感じた。

俺は窓から反射的に視線を逸らし、芦川を見た。彼女はセーラー服の上着をきちんと着ているのがかえって、その下に隠れた臙脂色のジャージを想像させてくれる。あのセーラー服を脱いだら、陸上部と同じジャージ姿になるのだ。そのギャップが俺の脳内で勝手に妄想を膨らませてしまっていた。

「な、なんだよ……?」

少し緊張しながら聞き返す。

すると、芦川はくすりと笑った。いつものクールな微笑みとは少し違う。少し意地悪そうな、でもどこか親しみのある笑みだ。

「もしかして、誰か気になる子でもいた?」

「えっ!?」

思わず頓狂な声が出てしまった。窓の外を見ていただけのはずが、いつの間にか俺は陸上部の女の子たちを熱心に観察していると思われたらしい。しかも「気になる子」とは。勘弁してくれ。そんなつもりじゃなかったのに。

「ち、違うって! 別に誰も……!」

焦って否定する俺の態度が、余計に怪しい。芦川はますます面白そうに目を細める。

「そう? ずいぶん熱心に見つめていたみたいだったけど」

「た、ただ……みんな陸上部で頑張ってるなぁって思ってただけだって!  ジャージ着て走ったりしてるし!」

苦し紛れの言い訳を並べる。陸上部のジャージと芦川のジャージが同じ色だなんて口が裂けても言えない。

芦川はしばらく俺の慌てる様子を観察していたが、やがてぷっと噴き出した。

「あはは、佐藤ってば、そんなに慌てなくてもいいのに。冗談よ、冗談」

「……え?」

「からかってみただけ。そんなに気になる子がいるなら教えてあげようかと思っただけ」

彼女は肩をすくめた。どうやら完全に遊ばれていたらしい。心臓がまだバクバクしている。なんだよもう、そういう冗談はやめてくれよ……。

「ま、まあ……陸上部の連中は、俺たちと違って真面目に練習してるんだから、凄いよな」

必死に話を逸らす俺。芦川はまたクスクスと笑った。その仕草がやけに大人っぽく見えて、またドキッとする。

「そうね。私たちは補習でしょ?」

「……ああ」

彼女がセーラー服の上着を着たままでいるから、臙脂色のジャージの上半身はほぼ見えない。しかし、下半身――スカートの代わりに履いているあのジャージのズボンは、ちゃんと見える。白い二本ラインが入った臙脂色のそれが、セーラー服のスカートの代わりにプリーツのない硬い布地として存在している。ついそこに目が寄せられてしまう。

(やべぇ……また見ちまった)

内心で焦りながらも、俺は平然を装おうとした。

その時、教室のスピーカーからチャイムの音が鳴り響いた。3時間目の開始を告げる合図だ。

「あら、もうこんな時間」

芦川は机に向かって座り直す。黒色のセーラー服の上から臙脂色のジャージを着たその姿が、春の柔らかな光に包まれて妙に神聖なものに見えた。

俺も慌てて席に戻る。窓の外の陸上部の少女たちは、既に集合がかかっているようで整列しているのが見えた。

この春休みの補習。たった4日間。毎日午前中3時間だけ。芦川と俺の二人きり。座学オンリーのこの一日目の授業もあと一つだ。

そして俺はまた、隣に座る芦川のセーラー服の下に隠れた臙脂色のジャージのことを、つい考えてしまうのだった。あのセーラー服の下はどんなふうになっているんだろうか……と。



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