ライリス公爵家
ガタガタと音を立て移動する馬車の中で、大聖女ノアは満面の笑みを浮かべながら、外を眺めていた。
「ノア様ぁ……グスッ……大丈夫ですか……?」
子供の頃からノアに仕える侍女・アンが、啜り泣きながらノアを案じる。
ノアはふっと笑いながら、なぜあなたが泣いているの、と涙を拭ってやった。
「大丈夫よ。私は、国を救えたということだけで満足だから」
嘘である。本当は、内心ふざけるなよと怒りが込み上げてきている真っ最中である。
しかし、金銭面問題なく自由を謳歌できる、というのはこの上ない提案だった。
大聖女というのだから修道院やら教会やらに務めなくては行けないのかと危惧していたが、どうやら杞憂だったらしい。
それに、この先王妃になることも無いのだから、あの地獄の王妃教育や淑女教育からも、逃げられるということだ。
「さてさて、何をしましょうかねぇ」
ふふっと笑みを零すノアに、アンも釣られて笑ってしまう。
「こうなったら、もう好きなことやりましょうよ!ノア様、昔から冒険したいとか、木登りしたいとか言ってましたもんね!」
「ふふ、冒険はもう懲り懲りねぇ……。そうね、農業でもやってみようかしら」
普通ならお通夜状態の馬車の中、狭い密室には、2人の少女の朗らかな笑い声が響いていた―――。
◇◇◇
「おかえりなさいませお嬢様……。よくぞご無事で……!!」
「ノア様……!あぁ、生きててよかった……」
ノアの実家――もといライリス公爵家の屋敷へ馬車が到着する。
家の前には使用人たちが総出で出迎え、皆涙を流しながら、生きているノアのその朗らかな表情に安堵していた。
「すぐに当主様と奥方様がいらっしゃいますわ」
アンは荷物を下ろしながらそう言った。
――――アンの言うとおり、ノアの両親はノアが帰ってきたと知り、すぐに玄関へと駆けつけていた。
そして、約1年ぶりの対面――ノアの母、ミーニャ・ライリスは泣きじゃくりながらノアに抱きついた。
「ノア……!あぁ……貴方が無事でよかった…!少し身体を怪我してしまったようだけれど……、とてもワイルドで、貴方らしくて格好良いわ!」
母のその言葉に、ノアが固まる。
そして、ノアの目からぼろりと涙が溢れだした。
大聖女といっても、まだ齢16の少女。母のその言葉は胸に染み渡り、同時に、彼女が常に張っていた緊張の糸が切れてしまった。
「おっ……!おがあさま!わだッし……婚約っ破…棄ッ……」
「落ち着いてノア!大丈夫よ!あんな馬鹿王子放っておきなさい!とりあえず今は……今後のことは、色んな整理がついてから話しましょう?」
母・ミーニャがノアを強く抱きしめる。ミーニャもぼろぼろと涙を流していた。きっと、母として思うところがあったのだろう。
身体を壊してまで頑張った愛娘がここまで辛い思いをするなんて、許されることではなかった。
「ノア、よく頑張ったね。後のことはパパに任せておきなさい。必ずあの馬鹿達に思い知らせてやるからな」
そう言うライリス公爵家当主の顔は、憎悪と怒りに満ち溢れていて、とても人徳の公爵と呼ばれているとは思えなかった。
「お父様……、不敬罪になりますわよ」
「別にいい!大切な娘を傷つけられたことの方が重要だ!」
「そうよそうよ!」
奮起する両親に、ノアがふっと笑顔を取り戻す。アン含め周りの使用人達も全員涙を流していたが、それは悲しみに暮れている訳ではなく、どこか朗らかな空気が流れているようだった。
「さて、まずはお風呂に入ってらっしゃい。お土産の冒険譚はディナーの時に聞きたいわ」
「はい、お母様……!」
◇◇◇
公爵家の浴室。ノアはアンに髪を流されながら、気持ちよさそうに目を閉じていた。
「結局、涙を流してしまったわね……恥ずかしいわ」
「いえ、それが当たり前なんです!」
ふぅっと息を落とすノアに、アンが声を荒らげる。アンは今回の一件(婚約破棄騒動)に対し烈火のごとく怒っているようで、先程から何やらブツブツと陛下に対する恨み言が絶えない。
ノアはそんなアンを見て、また朗らかに微笑んでいた。
「本当に……いい家族といい使用人を持ったわ」
「でしょう!ノア様の使用人なのですから、当たり前です」
「ふふっ。そうかもね」
実際、ライリス公爵家はとても優しい家だ。
もしそこに愛が無ければ、手負いの身体に婚約破棄なんて、許されることではない。
まぁ、事情が事情なので、今回のことでノアを悪く言う者は貴族社会でも居ないだろう。
――――居ないと信じたい。
「ノア様は一層かっこよくなられましたよ。今なら何でも倒せそうです!」
「あらそう。そういえば、少し前にドラゴンを倒したわね。聞きたい?」
「ドラゴン!? 聞きたいですー!」
広く綺麗な大浴場では、そんな二人の楽しそうな声が響き渡っていたのだった――――。




